感知少女と断絶少年
プロローグ。カラオケにて。
「どうだった? 天斗」
「凄かったよ。力強くて。それに曲に合わせて身体を動かしてた時赤い髪がなびいて、そういう演出かと思ったくらい」
「はっは。そう褒めるでない」
「でもさ、遊離の声でさっきの曲はちょっとおかしいよ」
「な、なに? 一番熱意がこもる曲なのだぞ。あの曲だからこそ、あれだけ歌えたというものだ。ほら、点数だって九十五とでている」
「それは確かに凄いし、実際に聞いてる方としてもいい声だったけどさ。牛乳の宣伝曲っていうのは」
「うちは好きですよ。あの曲。思わず牛乳を注文したくなりました」
「そうだろうそうだろう。していいぞ。何リットルでもな」
「そんなに飲めないよ」
「ぼくが飲むのだ」
「そりゃ満だったら飲めるだろうけど」
「なに? 私だって牛乳なら負けんぞ」
「あなたどれだけ好きなのよ。次、あたしいいかしら」
「あ、うん。恩田さんはい、マイク」
「ありがとう」
「わあ、綺麗ですねー」
「案外歌い慣れているのかな」
「ふう、結構恥ずかしいわね。……八十点」
「まあまあ、そう落ち込むでない。天斗なんてもっと低かったんだぞ」
「僕を励ましの材料にしないで」
「私なんて十三点ですよ。きっとこの機械おかしいんですよ。店員呼びましょう」
「おかしいのは卸さんだよ。全国レベルの点数なんじゃないの? それって」
「そんな照れるじゃないですか」
「むしろこの現象を噂メモに書いておいたほうがいいんじゃないのか?」
「あ、ちょっと満、マイク食べないで。恩田さん満を抑えておいて」
「え、いや」
「断らなくても……。口に気をつけて後ろからなら大丈夫だからさ。体格差もあるし」
「こら天斗、嫌がる女子に無理をさせるでない。私が抑えよう」
「遊離だと服かじられても無頓着でしょ。また下着姿にならないでよ」
「あはは。ついてきて正解でしたねー。カラオケに来て漫才が見られるなんて」
「卸さんこそどうにかしてよ」
「やですよう。うちはメモを片手に遠くから見ていたいだけなんですから。それよりも満さんだって犬じゃないんですから、ちゃんと言えばわかってくれますよ」
「そ、そうだよね」
「でもお腹すいだのだ」
「そんなこと言われても、一高校生の経済力じゃメニューの端から端までってわけにもいかないし……。あ、これなんかどう?」
「な、なんでカラオケに賞金付き大食いメニューがあるのかしら」
「きっとカラオケですいたお腹を狙い撃とうとしてるんですよ。悪魔の罠ですねっ」
「ははは。いいんじゃないか? 満なら食べ残すことはないだろうが、応援するぞ? ここにはマイクも機材も揃っている」
「じゃあこれと……、ついでに飲み物とか頼む? 遊離は言わなくてもわかるけど」
「なんと」
「じゃああたしはアイスコーヒーをお願いするわ」
「うちはトマトジュースがいいです」
「じゃあ、それで注文するね。――えーと、注文いいですか? あ、はい勿論延長で」
プロローグ二。
眼下に街が広がっている。
風が強く、服や髪が否が応にもなびく。
――どうしてこんなことになってしまったのか。
彼、高井天斗は、その石を拾って以来、誰にも認識されなくなった。
本編。
そろそろ春か夏か曖昧になってきた頃。
その日はいつも通り、普通に高校に通い普通に家に帰り普通に寝て終えるはずだった。
しかし、帰り道に奇妙な石が落ちていた。
周りに人はなく、不気味な静けさが漂っている。
無色で透き通るような透明。うっかりするとそこに本当に石があるのかわからないほど。それでも、天斗にはすぐにその石がそこにあるとどうしてだかわかった。
丸くて表面がすべすべでビー玉よりは大きいが、片手で持てるくらいの石。
普段は物を拾うほど好奇心旺盛でもないが、手にとってみたくなる。
そのままひょいと手のひらに乗せてみると、石があるはずなのに、綺麗に自分の手相が見えた。
触った感じプラスチックではないだろうし、ガラスとも言えないような、不思議な硬質感。
指でつついたりしきりに眺めていると、いつのまにか手のひらから消えていた。
いくら透明度が高いとはいえ、突然手の中の石が消えたらさすがに気づくはずなのに、本当に気がついたら、という感じだった。
周りを探してみるが、見つからない。
最初見つけた時は遠目からでもハッキリとわかったのに。
しかたなく、天斗は家に帰った。
既に天斗の体にはある変化が起きているがまだ本人は気づかない。
「ただいまー」
天斗はいつものようにそう言って、玄関を通った。
よくある二階建ての一軒家だ。廊下を行き扉を開け、リビングにつく。
妹がソファーに座りテレビを見ていた。
「何の番組見てるの?」
尋ねるが返事はない。
普段から声が小さいって言われるけど、聞こえなかったのかな。
と思っていたら急に妹がこちらをみた。
なんだ、ちゃんと聞こえてたか。
しかし妹の反応は予想とはかなり違っていた。
立ち上がり、リビングの扉を確かめるように、開けたり閉めたりしている。
「なに? どうしたの?」
やはり返事はない。
「気のせい、かな」
妹はそう言ってまたソファーに座り、テレビに集中しだした。
(なんだろう、凛に無視されているような、何か怒らせるような事したかな)
天斗は確かめるように妹の隣に座り、テレビと妹を交互に見る。
妹はゆるいショートヘアで、簡単な部屋着で、表情を見てもそれほど怒ってるようには見えない。
隣に座っても邪険にしないし、もしかしたら天斗の気のせいだったのかもしれない。
テレビは夕方にいつもやっているドラマの再放送だった。内容は貧乏な兄弟のものだ。
天斗もよく見ているやつである。そのまま違和感も忘れて、ドラマに集中した。
結局妹は一度も話しかけてはこなかった。
夜になり父も母も帰ってきたが、やはり天斗とは会話が成立しなかった。
それどころか、帰りが遅いと心配までしだす。
「天斗はこんな時間まで何処に言ってるんだ。今までこんな事なかったのに」
「まあまあ、あの子も年頃ですから、そういうこともあるでしょう」
「しかしなあ」
普段から厳格な父が不機嫌そうに言う。
母はおおらかなのかあまり気にした様子はない。
「僕はここにいるよ。ねえ、聞こえてないの?」
さっきから何度も呼びかけているのに誰も応答しない。
(どうなってるの……)
さらに母の肩を叩いたり妹の髪をいじったりするが、やはり全く反応がない。
もはや無視というレベルを越えている。
こんなことがありえるのだろうか。
この場にいると無性に胸が締め付けられ、泣くか暴れるかしそうだったので、天斗はしかたなく、二階にある自分の部屋で本でも読むことにした。
現実逃避である。
さらに数時間がたち、もう日付も変わりそうだ。
一冊まるまる読み終えて天斗が一階に戻ると、ちょうどまた両親が話し合っている所だった。
「いくらなんでも遅すぎるだろう」
「そうねえ。お友達の家にでもいるのかしら」
「天斗の友達の番号、知ってるか?」
「いえ、私はわからないわ。凛なら知ってるかしら」
そう言って母は妹の部屋へと向かった。天斗も、この状況に進展がないかと、ついていく。
「凛、天斗がまだ帰ってきてないんだけど、天斗のお友達の電話番号、知らないかしら?」
さすがに中学生の妹は、まだ起きていた。
「え? お兄ちゃんが? うーん、番号って言われても、そんなの聞いたことないけど。お兄ちゃんは携帯は……持ってないんだっけ」
妹は持っていたが、天斗は必要を感じず持とうとはしなかった。
そもそもそれほど友達が多くないのだ。
「そうねえ。あの子が別にいらないって言うから。なんだか心配になってきたわ」
「お兄ちゃんのことだから、どこかで迷子にでもなってるんじゃないの? いつも、なんだかのんびりしてるし。そのうち交番とかから、連絡きたりして。迎えに来てくださいって」
「だといいんだけど……」
なんだか今の発言を聞いて、天斗は試そうと思っていたことを試したくなった。遠慮はいらないだろう。
妹の背後に回りこみその頭に向けて、それでも優しくチョップをくりだす。
(ごめん、凛)
「ん、なんか頭痛い」
そう言って、こめかみの辺りを指で抑える妹。
「あら、お薬飲む?」
「ううん、すぐ治まった」
(え? それだけ?)
やっと天斗の行動に反応したが、まるで病気の方の頭痛のように流されてしまった。
天斗の方も、頭が痛くなってくる。
どうして誰も、いないもののように扱うのか。さっぱりわからない。
「おい、どうだ?」
父もこちらにやってきた。
「駄目みたい、どうしましょう」
「やはり警察に届けるべきじゃないか」
「でも、お兄ちゃんひょっこり出てくるかもしれないよ」
「じゃあ、明日まで帰って来なかったら、朝に警察へ行きましょう」
天斗はすぐそこにいるというのに、どんどん話しが進んでいく。
やるせなくなり部屋に戻りベッドに寝転ぶ。
夕飯も食べておらず空腹とともに気持ちが沈む。
考える。
今日の朝はちゃんと家族とも会話が成立していたはずだ。
学校だって、何人かと話したし、相手も自分を見ていた。
それから家に帰ってからだ。おかしくなったのは。
もしかして、と思う。
帰り道に拾った、あの石のせいなんだろうか。
でも、たかが石を拾ったくらいで誰も天斗のことが見えなくなるなんてことが、ありえるのだろうか。
漫画やゲームじゃあるまいし。
天斗はそこそこ本も読むしそういう空想を広げたこともあるけど、だからこそ現実が現実的であることを理解している。
魔法も超常現象もありえない。
幽霊だっていないだろう。
もしかしたら宇宙人の化学兵器かも、なんて。
広大な宇宙だ。少しくらいならそういう宇宙人がいるかもしれない。わざわざ地球に来る事はないだろうけど。
だとしたらその宇宙人は人に見られていないだけで、あちこちにいるんだろうか。
またも現実から逃げるように、横道にそれた妄想をしながら、天斗はいつのまにか眠っていた。
この現象が今日限りであることを祈ったのは、言うまでもない。
朝になっても家族は慌てていた。
当然のように皆の前に姿を出しても誰も気づかない。
朝食もとらずに両親は警察へと飛び出していった。
妹も兄のことを気にしていたが、しぶしぶ学校へ行く。
そこそこ広い家に、天斗は一人残されてしまった。
精神的には、昨日の夕方からずっと一人のようなものだったけれど。
それから、数日が経った。
警察は色々事情をきいたり捜索したりしたが、当然全く成果は上がらない。
どんどん悲壮感に満ちていく家の空気。表情や気だるげな仕草からありありとそれがわかる。
妹はときおり、部屋に一人でいる時に天斗を呼びながら泣いた。
初めてそれを見た時は、とても驚いた。
普段はあんなにつんつんしていたのに。
勿論ずっと見ていることはせず、すぐに部屋を出た。
天斗の方も何とかして気づいてもらおうと、字を書こうとしたり音をならそうとしたりしたが、全く通じなかった。
ただ見えないだけじゃなくもっと大きな力が邪魔をしているように。
家族の顔よりもさらに沈んでいく天斗の心。
人に認識されないことがこれほど辛いことだとは思わなかった。
しかも、相手は自分を失った悲しみで溢れている。
ついに天斗は我慢しきれず、家をとびだした。
飛び出したはいいものの、行く宛はない。
通行人が多い所では、誰も天斗を避けないので、歩くだけでも一苦労だった。
家族どころか、誰一人として天斗が見えないという事実を理解して、さらに落ち込む。
お腹がすいて緊張しつつコンビニでおにぎりを手に取る。
そして、封を開けた。
しかし、店員はこちらの行動が視界に入っているはずなのに、何も言わない。
「すみません。いただきます」
怒ってくれれば、良かったのに。
もしかしたら後で在庫チェックの時首をかしげたかもしれない。
本当ならこんなものじゃなく、もっと派手に色々とできたのかもしれないが、気が沈みすぎている天斗にはそんな事をする元気はなかった。
そもそもあまり人に迷惑をかけたがる性分ではない。
街中で誰に呼びかけても反応はない。
まるで幽霊になった気分だが、痛みや空腹はしっかり感じる。
もしかしたら他にも自分と同じ存在がいるかもと思ったが、どこにもそんなものはいなかった。
とぼとぼと道を歩く。
気づいたら天斗は六階建てのマンションの屋上にいた。
それも、転落防止用フェンスの外側。
下の道をまばらに人が歩いている。
「おーい。誰かー」
願いをこめて一声あげるが、やはり誰もこちらを見ない。
世界と隔絶されていた。
「はは……、死んだあとも、誰も気づかないのかな」
この後の展開を想像して、一人苦笑する。
「そんな事考えても、仕方ないか」
どうせ、死後、この世を見ることはないのだ。
死体に人が驚こうが見えずにスルーしようが関係ない。
こんな現象が起きた今となっては、それも定かではなくなってしまったが。
「幽霊みたいなモノから、本物の幽霊になったりして」
ここまで来たが、さすがに本能が否定するのか、なかなか一歩を踏み出せなかった。
かわりに取り留めも無いことを呟いてしまう。
「遺書も、揃えておく靴も、いらないよね。誰が考えたか知らないけれど……ああ、空が綺麗だなあ」
雲ひとつない太陽と青だけの空。
そこには、天斗を無視する人間は見えない。
ずっと空だけを見ていたくなる。
上をみたままなら行けそうだと思う。
そう決めると名残おしくなり、最後にひと目だけ、自分の住んだ街を見ようと下をみると、そこには――。
自分と同じくらいの年齢の少女が、こちらを見ながら旗を振っていた。
どこから持ってきたのか、某チェーン店の名前がハッキリと書いてある、店の外に立ててあるやつだ。
ものすごく必死な表情で、懸命に腕を動かしている。
天斗が下を向いたのに反応するように、少女は大きな声を上げた。
それは屋上にいる天斗にもハッキリと聞こえた。
「死ーーーぬーーーなーーー!」
明らかに自分に向けてのその少女の行動に、天斗はその場にへたりこんだ。危うく落ちそうになる。
今まで誰も、天斗の事を見なかったのに。
目元が熱い。
「な、なんで」
裾で目を拭いながら、そう呟く。
それが、少女と少年の初めての邂逅だった。
天斗が座り込んだのを確認したようで、少女はマンションに入っていった。
足音が聞こえてきそうなほど、駈けるように階段を登ってくる。
勢い良く扉が開き、少女と天斗は同じ高さで出会う。
力強い赤い瞳。風になびく赤みがかった長髪。短いスカートに白いシャツに赤いネクタイ。揺れそうな二つの山。
天斗は状況を忘れ、見つめてしまった。
「おい、お前、そんなところにいたら危ないぞ。ほらこっち来い」
少女はそんな視線に構わず、つかつかとフェンスに近づき、天斗に手を伸ばした。
「う、うん」
有無を言わせない、そんな意志のこもった台詞に、天斗は従う。
フェンスを越えて安全な場所に足をつけた。
「よしよし」
言うとおりにした天斗に、少女は満足気に頷く。
そのまま天斗に顔を近づけ、恥ずかしがる天斗を気にせず、頭突きした。
硬いものがぶつかり合う鈍い音がした。
「あだっ」
おでこを抑える天斗。
「な、なにするの」
「それはこっちの台詞だ。お前さっき死のうとしてただろ。ふざけるな。死んだら全部失うんだぞ。わかってんのか?」
少女は明らかに怒っている。下手な事をいったら、さらに痛いことをしそうだった。
しかし、天斗の事情を知らない言い分に黙ってもいられなかった。
「う、そんなのわかってるよ。でも、もう失うものなんてないよ。皆、僕のことが見えなくなっちゃったし。家族だって。僕はもうこの世に存在しないのと同じなんだ。だったら、何も考えられなくなったほうがましだ」
一息で一気にそう言った。
久しぶりの人との会話がこんなものになるなんて。
「見えない? 私には見えてるぞ」
首をかしげる少女。
「そうだ。なんで、君は僕が見えるのさ。街中一人だって、僕が何をしても気づいてくれなかったのに」
「ああ、そうか。そうだった。あれの力か」
勝手に納得している少女。
「え?」
「信じるかわからないけど、前に石を拾ったんだよ。それ以来、壁の向こうとか、高いところとか、どこに人がいるかわかるようになったんだ。お前がこんな所でいかにも自殺しそうだったのも、それで気づいたんだよ」
まるでレーダーのように。
「石?」
「そう。丸くて、ちょっと大きくて、中になんかつぶつぶが入ってたよ」
「ぼ、僕も似たようなのを拾ったよ。こっちは透明だったけど。その時からか、他人に何を言っても、気づいてもらえなくなったんだ」
「なんだ、お前もか。じゃあ仲間だな。良かったな死ななくて。私に会えたじゃないか」
それは、ともすれば傲慢そうな台詞だった。
しかし自信に満ちたその台詞に、たしかに天斗は救われたのだった。
「うんっ」
「私の名前は、遊離結だ。お前は?」
「僕は高井天斗だよ」
「そっか。じゃあ天斗。今後もよろしくな」
「え?」
「おいおい、ここでさよならする気なのか? 私はこのヘンテコな能力をどうにかしたいと思ってるんだが」
「それは……僕も同じだけど」
寧ろ困っている度合いは、天斗の方が圧倒的に大きいだろう。
「だからさ、同じ境遇どうし仲良くしよーぜ。とりあえず、ここじゃなんだから、喫茶店にでも行くか」
「う、うん」
男らしいお誘いである。断る理由はない。
振り向き遊離は歩き出す。
天斗もそれに続く。
なんだか彼女についていけば、どんなことでも解決しそうな、そんな振る舞いだった。
落ち着いた雰囲気の喫茶店で席につく二人。
店に入った時、店員がお一人様ですか、と聞いてきた。
「ごめんね。あんまり僕と喋ると、変な奴に思われるかも」
「あんま気にすんなよ。知り合いでもない人間を気にしてもしょうがないさ」
それほど客はいないので、店員がすぐに注文をとりにきた。
まるで見えない何かと話しているような遊離に、店員は怪訝な顔をするが、仕事はちゃんとこなすようだ。
「ご注文はお決まりですか?」
「ああ、牛乳を二つ」
どうみても一人なのにドリンクを二つ頼むので、店員は一度聞き確かめた。
それでも遊離が二つと答えると了承して去っていった。
少しして、テーブルに牛乳が二つ並ぶ。
「ほら」
遊離がその内の一つを天斗に差し出す。
「いいの?」
「ああ」
ストローで牛乳を飲む天斗。独特の甘い香りと、濃厚なコクが口に広がる。
氷には白い霜がくっついていた。
「しかし、本当に天斗の姿は私以外には見えてないんだな」
「うん。僕はもう身に沁みてるよ」
溜息混じりにそう言う。
「ふうん。しかし、天斗が飲んだその牛乳は他人にはどう見えてるんだろうな。ちょっと気になるぞ。はは」
対して、遊離はなんだか楽しそうだった。
「どうなんだろう」
「例えば、牛乳が飲むたびに消えていくとか、持っただけで、グラスごと消えるとか、私が二つ分飲んでることになるとか。ま、私達二人じゃ確かめようもないことだけど」
「あんまりそういうこと考えてなかったなあ」
突然の不幸に、考える余裕がなかった。
発現してから、ただただこの能力に振り回されていただけだ。
「遊離さんの能力は、人の位置がわかるんだっけ」
「遊離でいいよ。もしくは結」
「ええ、そんな恥ずかしいよ」
「私の名前が恥ずかしいだと。ひどいやつだ」
じとっと天斗の目をみて、遊離は言う。
「そういう意味じゃなくて……、じゃあ、遊離」
さすがに下の名前を呼び捨てにする勇気はなかった。
「おう」
「人の位置がわかるって、どういうふうな感じなの?」
「うーん、なんというか、頭にぱっと浮かぶんだよ。目に頼るわけじゃないから、私の後ろの人間の位置もわかる。この感じを上手く伝えるのは難しいな」
腕を組み、うなる遊離。
「それは石を拾った瞬間?」
「ああ、そうさ。最初はびっくりしたよ。急に情報が増えて、頭が痛くなったもんだ」
「じゃあ、僕もそうだったのかな。あの日、どの時点からこうなったのかわからなかったけど」
「なんなんだろうな、あの石は」
「ほんとにね……」
謎の石について、各々思いをめぐらせる二人。
少しの間静かになったが、遊離が口を開いた。
「それで、天斗はこの後どうするんだ? 家に帰るのか?」
「家は……、さすがにいられないかな。家族を見てるだけで辛くなるから」
家族は今も天斗を探しているだろう。
でも、顔を見せにいっても相手には見えない。
落ち込むように黙ってしまった天斗をみて、
「よし、じゃあうちに来い」
遊離はあっさりそう言ってのけた。
「えええ、そんな悪いよ」
「ここまできたら、乗りかかった船だ。いや、毒を食らわば皿までかな」
「毒?」
「それに天斗って、なんか弱そうだし、放っといたらまた変な事しそうだ」
「ははは」
乾いた笑いの天斗。
実際飛び降りようとしただけに、なんとも言えない。
「でも、ご両親の許可もとらないと」
「大丈夫。私は一人暮らしだから」
なっ、と天斗は焦る。妹がいるので女子にはある程度慣れているつもりだが、それでも、彼女がいたわけでもない。
それがいきなり一人暮らしの女子の家に泊まる?
とても、穏やかではいられない。
「え、えーと、そうだ。高校生の男女が二人だなんて、ちょっと危ないような」
「危ないのか? でも、天斗ってあんまり男って感じしないしなー。背もあまり変わらないし」
確かに、天斗と遊離は同じくらいの背丈だ。天斗は男子の中でも小さいほうで、遊離は背か高い。
加えて、高校生男子にしては中性的な顔立ち。年上の女性に可愛いと言われたこともある。
「でも、えっと、その」
「いいから来い」
「はい」
まだまごまご言う天斗に、据わった赤い眼でびしっと言う遊離。
反論の余地は無かった。
二人は喫茶店をでて遊離の家に向かう。
天斗は喫茶店の支払いはまだできたが、この先が不安だった。
手持ちは財布に少ししか無い。
道すがら、その事を正直に伝えた。
「あの、僕あまりお金持ってないよ。一緒に住むのなら、色々と困るんじゃ」
「いいってそんなの。どうせ私の親の金だ」
堂々と言う。天斗は首を傾げざるをえない。
もしかして、と思うが、それは家をみて確信した。
そこは、高校生の一人暮らしにしてはやたらと大きなマンションだった。
四人家族でも部屋が余るだろうことが、外からでもわかる。
数字のパスワードを入力して、玄関ホールに入る。そのままエレベーターへ。
「前から一人じゃ広いと思ってたんだよな。ちょうどいいや」
「あの、両親はどんなお仕事してるの」
「さあな、あんまり詳しく聞いたことはないなあ。海外にいるのは手紙で知ってるけど」
「海外……」
「そのせいで、ほとんど話したこともないな。おっと、天斗の前であまり言うべきじゃないか」
「ううん、別にいいけれど」
ちん、と音がして、目的の階についた。外の景色が遠くまでよく見える。
「さ、どうぞ」
鍵をあけ扉を開き天斗を迎え入れるように言う。
「おじゃまします」
やはりマンションだというのに、外見どおり中も広い。
玄関に入るとそういう機能なのか、自動で明るくなる。さりげなく、段差のないバリアフリー構造でもあった。
しかし中に入ると、なにやら少しにおう。
決して天斗が思い描く女子の髪のようないい匂いではなく、ただ臭い。
扉を開けるとゴミ袋がころがっていて、台所のシンクにも使用済み食器が溜まっていた。
「な、なにこれ」
「ん? ああ、ちょっと汚れてるな。片付けるのって、どうも苦手でさ」
「ちょっとじゃないよっ」
さらに雑誌やら、いつのものなのか引越しのダンボールやら、白い……。
「ちょっと、あれ」
「ああ下着だ。すまんすまん」
「もっと恥じらいをもってよっ」
それは上下揃っていて、白色で、小さくリボンがついていて、たまに見かける妹のものよりも、はるかに輝いて見えた。
天斗の顔が、みるみる赤くなっていく。
「大丈夫か? 顔色おかしいぞ」
「もー片付けるよ。ほら、手伝って」
「えー」
「えーじゃないっ」
一六歳にして初めて女子の家に上がって、最初にすることは片付けだった。
まず窓を開ける。天斗よりも大きい窓だ。マンションの高さもあって、新鮮な空気が舞い込んだ。
さらにとりあえず、ゴミの日に出せるような状態なのに出していないゴミ袋は隅に固めておく。
新たにゴミ袋を出して、落ちているゴミをひたすら拾い集める。
雑誌類は棚にしまい下着は遊離にまかせて、物がなくなると簡単な市販のワイパーを床にかける。
机の上に散乱した食べ終えた弁当や紙パックも、がんがん捨てていく。
最後にシンクの洗い物をひとつひとつ丁寧に洗い、流しの生ゴミも片付けて、一応掃除は完了した。
朝忘れずに袋をゴミステーションに出さなければいけない。
「おお、天斗、そなた、やるではないか」
「何その口調は。いくら一人暮らしだからって、女の子なんだからもう少し綺麗にしててよ」
男の一人暮らしなら、汚い部屋の代名詞だが。
「む、男女差別だぞ。セクハラだぞ」
「下着が落ちてる部屋に呼ぶのは、セクハラじゃないの?」
「見たいか? 私のぱんつ」
「え、み、いやそんな」
「口がにやけてるぞ。変な顔」
「え、え、そうかな」
言われて、口元を手で抑える。
「それはともかく、これだけ掃除できるなら、もしかして料理もできるか?」
遊離は期待をこめた眼で天斗を見る。それとこれは全く別物だと思うけれど、遊離には同じ家事として見ているのかもしれない。
部屋に散乱していた残骸をみるかぎりどうやら自炊はしておらず、コンビニやスーパーの弁当をたべて生活しているようだ。
よくそんな食生活で、これだけ綺麗な肌を保てるものである。
「ううん。期待のそえなくて悪いんだけど、料理はそんなに。たまに手伝ったりしたくらいだよ」
「そうか……」
肩をおとしてわかりやすく落胆する遊離。料理をさせるためだけに連れてきたんじゃないかと思えるくらいの落ち込みようだった。
そんなことはないだろうがと、天斗は心の中で否定する。
「えっと、でも、簡単なやつだったら、できるかも。カレーとか」
「本当か?」
「うん、ちょっと顔が近いよ」
目を輝かせ、勢いあまってまた頭突きしそうになる遊離。
天斗は恥ずかしさからか、赤くなりながら引くことしかできない。
「よし、天斗。これから頑張ってくれたまえ。道具は揃っているぞ。前に私が料理に挑戦しようとした時に用意したからな。結果は、まあ、見るも無残なものだったが」
「え。何がおきたの。たかが料理で」
「たかが? おいおい天斗。料理とは恐ろしいものなのだぞ。火は上がるは、色は変色するは、毒ガスのようなにおいは立ち込めるは、あの日はこの部屋に住めなくなるかと思ったほどだ」
「……」
何が起きたのか想像するだけで恐ろしい。遊離に料理は絶対にさせないでおこうと、天斗は決心したのだった。
「じゃあ、これから頑張るよ。ただ住まわせもらうだけじゃわるいしね」
「ならば買い物にいくぞ。ほら、冷蔵庫、なにもないからな」
そう言って遊離は冷蔵庫を開ける。そこには肉も野菜も何もなく、使いかけのジャムがひとつ転がっているだけだった。
「わあ、よく今まで生活できたね」
「ほら、ここのスーパーは弁当の種類が豊富だろう」
スーパーについた二人。遊離はまっさきに弁当コーナーへ行き、天斗に見せるように言う。それなりに大きい店なだけあって、弁当も惣菜も色々と揃っていた。
「なんで遊離が誇らしげなのさ。今日はカレーでいいよね。うまくできるかわからないけど」
「私よりは大丈夫なはずだ」
(まあ、確かに)
適当に材料をカゴに入れていく天斗。さすがに良い物を選ぶ眼は持っていない。
「大丈夫か? 肉は生では食えないんだぞ?」
「知ってるよっ。ちゃんと煮込むから大丈夫だよ」
心配そうに見ている。一体どれだけ出来合いのものばかり食べてきたというのか。
「ほら、天斗これもだ」
そう言って、遊離は牛乳を三本持ってきた。
「え? 多くない?」
「私は牛乳が好きなんだ。買っても買ってもすぐなくなってしまう」
確かに、部屋のゴミの中にはかなりの量、牛乳の紙パックがころがっていた。
遊離の大きい胸を見れば、これだけの牛乳好きも頷ける。巨乳に免疫の無い天斗は、その部分をあまり見ないようにしているが。
「そうなんだ。あとは、お米あったっけ?」
「ああ、それならあそこに」
遊離が指さした先には、惣菜と共に並ぶパックに入った白いご飯があった。
「……わかった。お米も買おう。炊飯器はあったよね」
額に手をやり、念入りに思い出す。
確かあったはずだ。冷蔵庫の隣に。おそらく遊離の両親が持たせたのだろう。どうせなら、使い方も教えておいてほしかった。
それでも、置いてあることに対して心の中で礼を言う。
「ほら、お米っていったらこれだよ」
米の並ぶコーナーで天斗はぽんと袋を叩く。二キロや五キロや十キロ入りの、さまざまな名前のお米が並んでいる。
ひらがなが多いのはなんでだろうと、どうでもいいことをふと思う。
「前から思っていたが、これ、食えるのか? 固いのはいやだぞ」
「炊けばいいだけだから。本当どれだけ料理に疎いのさ。いやもうこれは世間知らずといってもいいくらいだよ」
「ははは」
「もう」
その朗らかな笑顔をみると、なんだかこんな些細な事がどうでもよくなってしまう気がする。
色々と必要な物を揃えて、二人は遊離の家に戻った。店の客達は二人に奇異の視線を向けていた。
「ただいまーっと」
「おじゃまします」
「おい、天斗。おじゃましますじゃなくていいんだよ」
「う、うん。さすがにまだ慣れてなくて」
買ってきたものを冷蔵庫にしまい、夜まで少し時間があったので、二人は適当に時間をつぶす。リビングには机や椅子やテレビがある。
遊離の部屋は、天斗の妹と違って、あまり女の子らしくなく、漫画や雑誌の入った棚とベッド以外、物が置いてない簡素なものだ。壁には備え付けのクローゼット。
そのせいか、天斗が中に入るときも、あまり緊張はしなかった。
それから、料理に入る。
天斗はまず米を炊こうと、炊飯器をあけた。
「うわっ」
するとそこには、ぐちゃぐちゃのどろどろで、得体のしれない何かが、炊飯ジャーの中に入っていた。
恐ろしい臭いが鼻をついてきて、あと数秒嗅いだら気を失いそうだ。
「どうした? うわー」
天斗の声に、近づいてきてそれを覗きこんだ。さすがに遊離も驚く。天斗はすぐに蓋を閉めた。
「うわーじゃないよ。一体いつからこうなっていたのさ。そもそも、これ一度使おうとしてたの?」
鼻を抑えながら言う。
「うーん。悪いが記憶にない」
「ええー」
臭いものに蓋をする勢いで、すべてを忘れたのだろうか。あちこち掃除したとおもったのに、こんな所に爆弾が眠っていた。
異様に臭い。
すぐに天斗は、顔をそむけながら、ジャーを洗いにかかる。換気扇を回すのを忘れない。
はたして今日米を炊いて、においとか大丈夫だろうかと心配しながら、ひたすらスポンジで泡まみれにしていく。
なんとか鼻を近づけても、嫌なにおいがしなくなったので、米をとぎセットしてスイッチを押した。
さらに、野菜を洗い、皮を剥いていく。
「おお、ナイフの扱い上手いな」
「ナイフじゃなくて包丁ね。いまのはわざとなのか天然なのか」
小さく切り、肉と共に鍋で軽く焼き、水を入れ、煮込む。
「どうして火が上がらないんだ?」
「さて、どうしてでしょう」
不思議がる遊離に、天斗はなんだか投げやりに返してしまう。そのままタイマーをセットし、またテレビに戻る。
遊離は心配そうに鍋を見ていた。その姿は、ちょっと面白い。
タイマーがなったので、火を止め適度にアクをとり、ルーを入れまた火にかける。
少し煮て、完成だ。惣菜コーナーにあったポテトサラダも開ける。
「できたよ遊離」
「ほおー見事なものだ。素晴らしい」
「まだ食べてないのに」
感嘆する遊離に、照れつつ苦笑する。
これくらいなら誰でもできると言うのは、野暮というものだ。
「うん、美味い。まさにカレーだ」
「もう、なにそれ。うーん僕も、ちゃんとしたご飯は久しぶりな気がする」
実際天斗は、姿が見えなくなってから、質素な物しか食べていなかった。二人でいると、姿が見えないことを忘れそうだが。
むしろ忘れられるほど、天斗は幸せなのかもしれない。
それから食事も終え、二人はそれぞれ風呂に入ることにした。
しかし風呂の前で天斗は気づく。
「あ」
「どうした? 一緒に入りたいのか?」
「ちがーう。えっと、着替えが無いなと思って」
「ああ、それなら家にとりに行けばいいじゃないか」
「うん……」
天斗の静かな返事を聞いて、遊離は思い出す。今の天斗の家の現状を。
「なんなら、私も一緒に行くか?」
「いや、一人で行くよ。僕は見えないから、いきなり見知らぬ子が、一人で訪ねる形になっちゃうし。うん、僕は大丈夫」
決意を固めたように言う天斗に、
「わかった」
しっかりと遊離は返した。
それでも今日は遅いので、仕方なく着ていた服をまた着ることにする。
ちゃんと二人別々に風呂に入り、天斗は今まで使われていなかった部屋で、遊離は自分の部屋で、それぞれ眠りについた。
明日は平日である。
天斗が起きると、そこは見知らぬ天井だった。しかしすぐに思い出す。ここは遊離の家だ。
時計がないが、今何時だろうと部屋を出る。廊下を少し歩くと、遊離が自分の部屋で下着姿だった。
扉をあけっぱなしで、制服に着替えている途中だったのだ。
「わ、わあ」
「おはよう天斗。少し遅いぞ」
遊離のそんな台詞にかまわず、扉をしめる天斗。
そんなつもりはなくとも、しっかり眼にやきついてしまった。綺麗な白い肌に細い手足とウエスト、それでいてあるところにはしっかりとあるバランス。どうやってあの胸を支えてるのか不思議な白いブラ、そしてパンツ。
忘れるのに、しばらくかかりそうだった。
扉ごしに話しかける。
「もう、ちゃんと扉閉めててよ」
「大丈夫だ。私は気にしない」
「僕は気にするよっ」
そこで、掛けてあった制服が、天斗と同じ高校だったことに気づく。
「僕と同じ高校に通ってるんだね」
「そうだったのか。どうする? 一緒に来るか?」
「え、うーん。確かに、ここにいてもしょうがないけど、それこそ遊離が学校で僕と話たら、変な顔されるじゃ」
「まあ、そのへんは気をつけるさ。いや、寧ろ来い。情報収集するから、天斗もいた方がいい」
「情報収集?」
「ああ、この変な力についてだ。もしかしたら、他にも同じように困っている奴がいるかもしれないし」
「なるほど」
「じゃあ、行くぞ」
「ちょっとまってよ。顔くらい洗わせて」
そうして二人は家を出た。天斗はどうせ誰にも見られないだろうからと、私服のままだ。そもそも制服は家に置いたままである。
遊離は黒を基調としたブレザーで、下はスカート。普通のものよりやや短くしてある。
道を歩きながら、天斗は考える。
この姿になってから、そういえば学校の存在をすっかり忘れていた。
急にいなくなって、クラスメイトはどういう反応を示しているだろうか。
気にはなったけど直接教室へ行って確かめる勇気はでない。
遊離が違うクラスで本当に良かった。
教室につくと、遊離は適当に友達に挨拶している。
さすがに人が多いので、ここまで付く間に天斗は何度か人にぶつかった。
それから遊離は何人かの女子に尋ねた。
「なあ、最近変わった噂とかないか? 変な事件とかさ」
「えー遊離急にどうしたの?」
「いや、最近変なの拾ってさ。気になってな」
(変なのって僕のことじゃないよね)
石の方のことだと信じる天斗。
「そういうことなら、うちが答えましょう」
急に、一人の少女がやってきた。
眼鏡をかけていて、短い髪に短いポニーテイル。背も胸も短いというか小さくて、手には手帳を持っている。
「おお、そうか。ええと、名前なんていったっけ」
「がーん」
助け舟のように現れた少女に、あっさりと酷いことを言う遊離。本当に初めて会ったかのような反応だ。
「うちは卸栞ですっ」
「そうだ、栞だ。教えてくれ栞、この通り」
酷いことをいった詫びも含めてなのか、ぺこりと頭を下げた。
「そこまで頼むのなら、教えてあげましょう」
にやりとしながら手帳を開く。
(絶対、最初からそのつもりだったよね。聞かなくても自分から喋ったよね)
「ええとですね、最近夜の学校で、幽霊がでるみたいですよ」
「幽霊?」
「ええ。白い影が彷徨ってるだとか、見たものは数日寝込んでるだとか。あとは……コンビニで食べ物の万引きも、多いみたいです」
(……後半のは僕のせいだろうな。それにしてもそんなことまでわかるなんて、この子は一体何者なんだろう)
「あ、幽霊の噂なら聞いたことあるー」
「私もー」
遊離が最初話を聞いていた女子達が、口々にそう言った。
「ふむ。これは調査するべきだろうな。なあ天斗」
天斗の方をむき、そう言う。
「う、うん」
周りを気にせず急にこちらに話を振るので、どきっとして返事がつまってしまった。
「ん? 遊離、誰と話してるの?」
案の定女子の一人に聞かれてしまう。
「なあに気にするな」
特に焦る様子もなく、簡単に流した。
そのまま授業が始まってしまう。
天斗は、なんだか懐かしく感じた。座る場所もないので、壁によりかかり、密かに授業を聞く。
教科書もノートも机もないのが少し寂しい。
クラスの人は、わりと静かに授業を受けている。
このクラスは真面目な生徒が多いようだ。
と言っても、天斗のクラスとそれほど変わらないけれど。
途中、図書室に行く選択肢も思いつくが、何となくこの場に留まった。
沢山の後ろ姿の中に遊離のものもある。
赤みがかった長髪。
昨日の一日で、遊離は普通の女の子っぽくないとは思ったけど、どうやらクラスにはちゃんと馴染んでいるようだ。
天斗はそれほどでもなかったので少し羨ましくなる。
今となっては体が元に戻らない限り、馴染むどころの話ではないのだが。
仮に今、黒板の前で小踊りしても、誰も何も反応しないだろう。
遊離を除いては。
思いついてもやらないが、それだけで少し物悲しくなり、溜息がでてしまう。
すると何かを察知したのか、遊離が突然振り向いた。
手まで振っている。
天斗も手を振り返す。それだけのことで、少し元気になった。自分でも単純だと思う。
周りの生徒や教師は突然の出来事にただただびっくりしていた。
そんな周りをよそに普通に前に向き直り、ノートをとる遊離。
遊離の後ろでは何人かの男子生徒が、自分に向けて手を振ったんだと、そわそわしていた。
教師も特に注意せず咳払いを一つついて、授業を再開した。
もしかしたら、遊離が変な行動をするのはこれが初めてではないのかもしれない。
いくつか授業が終わり、昼食の時間になった。
料理はできないし、一人暮らしだったので遊離は当然、いつものように購買でパンを買う。
天斗もそれに倣った。
「遊離ー一緒に食べよ」
と、女子達から誘われていたが、
「いや、私は用があるんだ。すまない」
そう言って断っている。
そして二人は屋上だ。今日も昨日ほどではないが、晴れている。
数人先にきていた生徒はいたが、屋上は広いのでまだまだスペースがあった。観葉植物まで置いてあり、憩いの広場になっている。
「はあん、やっと牛乳飲める」
遊離は嬉しそうに小さいパックの牛乳をちうちうとストローで飲む。
「それじゃあまるで中毒だよ」
パンの封を開けながら、天斗は呆れたように突っ込む。
「よいではないかよいではないか。甘くて美味しいぞ」
「そりゃあ美味しいけどさ」
「なんだなんだ。不満があるのなら、何時間でも牛乳の良さを語ってやる。それを聞けば天斗も牛乳を愛すようになるはずだ」
「洗脳しようとしないで」
たった数時間でも本当に洗脳されてしまいそうなところが恐ろしい。
「まあそれより、今夜、学校へ乗り込むぞ」
「うん。例の噂を確かめるんだよね。やっかいな力の原因を探るために」
見つかれば怒られる行為だが天斗は止めず、寧ろ乗り気である。
それだけ困っているので当然のことだ。
「そうだ。もし誰かが変な力を持ったら、何か噂になるはずだからな」
「うん」
パンを咀嚼する二人。
「ねえ、遊離はいつもパンなの?」
「そうだな。自分では作れないし、購買に弁当はないからな」
「じゃあ、僕が作ろうか? 僕は前はいつも弁当を持たされてたから、なんだか味気ないなと思って」
「それは、マジか?」
「う、うん」
冗談だと言ったら、大変な事になりそうな空気だった。天斗はもちろん本気だったが。
「素晴らしい。私もパンでは力が出ないと思っていたんだ。さっそく明日から頼もうかな。
水筒には牛乳を入れてくれ」
笑顔になったが、あっさりと変なことを頼んでくる。
「ええっ」
「駄目か?」
上目遣いで聞いてくる。
「いや、えーと別にいいけど」
水筒にはお茶という固定概念が崩れた天斗だった。
「まずそこが最初にでるリクエストなんだね」
半笑いで、呆れたように言う。
「いやいや、これは重要なことだぞ。せっかくの弁当も、一緒にでてきたのがお茶では萎え萎えだぞ」
「萎え萎えなんだ」
「萎びてしまうぞ」
「それはまずいね」
張りのある綺麗な遊離の肌が、萎びたところを想像する天斗。勿論、ただの比喩だろうけど。
しばらく雑談していると、昼食の時間が終わった。
「よし、戻るぞ天斗」
「あー、僕今から、自分の家に色々物を取りに行こうと思うんだ。授業は別にうけなくてもいいし。今後の予定も決まったことだし。早いほうがいいと思うから」
「そうか。ふむ。こちらに問題はないが、気をつけろよ」
「自分の家に行くだけなんだから、何も起きないって。じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
そうして、天斗は学校を出た。遊離は教室へ戻る。
急だったが、今の時間でないと家族がいる可能性がある。
まだ顔を見る度胸は無かった。見たらどれだけ心に負荷がかかるか。
いつも通っていた通学路を歩き、自宅につく。鍵は持ち歩いていた。
「ただいま……」
なんとなくそう呟くが、勿論返ってくる声はない。
家の中をこそこそと見て回るが、予想通り誰もいないようだ。別に音を立てないようにしたりする必要もないのだが、心情的にそうもいかない。
「着替えと、貯金箱と、あ、歯ブラシも持って行こ」
いくつか服がなくなり家族は驚くかもしれないが、生活がかかっている天斗にはあまりそちらに気を配ってもいられない。
空き巣に入られたと思うのか、天斗が帰ってきたと思うのか。
自室に入り、必要な物を選び手に持つ。
ふと机の上に眼をやると、手紙のようなものが置いてあった。
『天斗へ。帰ってきたら連絡ください』
「……」
自然と足が止まる。文字のひとつひとつをゆっくりと読み返してしまう。
「これは、ひどい、トラップだなあ」
誰も見ていないのに、強がった。しかし、声が震える。
眼にくるものがある。これ以上それを見ていると泣きそうだったので、急いで部屋をでた。
鼻をすすり、改めて、自分の現状を認識した。
「早く、元に戻らないと……」
今のところ全く戻れる目処は立っていないが、そう強く呟くのだった。
「ただいまー」
「おかえり遊離」
先に戻っていた天斗は帰ってきた遊離にそう言う。
「ふへへ」
「な、なに」
嬉しそうに怪しく笑うので、びっくりした。
「いやー、いいもんだな。帰った時に家に人がいるっていうのは」
どうやら、おかえりと言われた事が嬉しかったらしい。遊離はずっと一人暮らしだったからだろう。
「ああ、なるほど。僕もこうなってしまったから、もし言われたら嬉しいかも……」
浮かれていた遊離だったが、そう言う天斗をじっと見て気づいたように、
「大丈夫か? なんかあったか?」
と、聞いた。
あっさり見破られるなんて、まだ自宅での手紙のショックが残っていたのかもしれない。
「平気平気。平均気温三十度だよ」
天斗はつとめて明るく振舞った。結果、遊離は黙ってしまったが。
「お、おほん。もう、すぐ調査しに学校行くの?」
顔を赤らめながら、尋ねる。
「それより、今の台詞の話をしようぜ。なんだっけ、へいきへ」
「もーいいからっ。行くの? 行かないの? どっち」
「まあまあ、落ち着けよ天斗。今から行っても、まだまだ陽は出てるぞ。行くのは夜になってからだ。飯を食ってからな」
「そっか。そう言われてみればそうだよね。じゃあ、夕飯の支度するよ」
そう言って、冷蔵庫を確かめる。昨日買った品がいくつか入っていた。
「今日は何かなー。いやー天斗みたいな嫁がきてくれたらなー」
椅子にすわり机につき、すっかり食べるモードだ。
「そんなよくあるボケを振られても、どう突っ込めばいいかわからないよ」
「ふふん、照れおる照れおる」
「照れてません」
やや苦戦したが、天斗はなんとか夕食を完成させ、二人でそれを食べた。
そして何時間か経ち向かうは学校である。
夜道を歩く。通行人も少なく、車も通らない。
静かなものだった。
月は見つからないが、点々と星は見えた。
「それにしても、卸さんだっけ、色々知ってて凄いね」
「ああ、そうだな。名前はしらなかったが、何者なんだろう。新聞部にでも所属しているのだろうか」
「クラスメイトの名前はちゃんと覚えてあげなよ。そうそう、僕がコンビニで勝手に食べちゃった物のことも、なんだか知っていたみたいだし」
「そんなような事言ってたっけ。なんだ、あれの犯人は天斗だったのか。駄目だぞ。私だって、買ってない牛乳は、ちゃんと我慢している」
「うん……。反省してる」
後半の部分は、天斗にはあまり理解できなったが。
「そうだ。例え目の前に大量の牛乳が並んでいても、一度レジを通さないと、飲んじゃいけないんだ。いくらヨダレが溜まろうとだ」
「普段そこまで耐え忍んでいるの? え、昨日のスーパーの時も?」
「ああ、牛乳、飲みたいなあ」
「今は無いよ」
話している内に、目的地についた。
夜の学校。
それだけで、なんだか色々なものを想像する。暗闇の中に建つ様は、昼間に若者が集まる場所には到底見えない。
外から見ると、職員室だけはまだ明かりがついていた。
何人か残っているのだろうか。
「いくぞ、天斗。見つからないようにな」
「うん」
そうは言っても、天斗はどうしたって、見つかることはないのだが。
二人はひっそりと囲いを越えやすそうなところから侵入する。
さらに窓をあけ中に入る。
「開いてたんだ」
「開けておいたのさ。元々そのつもりだったのだから、当然の備えだ」
廊下は暗い。沢山ある扉のどこからか、何かが出てきそうで、どきどきする。
「なんだか、怖いね」
一応懐中電灯を持ってきたが、役に立ったようだ。
特に音はしない。昼間はあんなに明るくて人がいるのに、こうも雰囲気が変わると、なんだか不思議なものだ。
「あんまり、理科室とか音楽室には行きたくないなあ」
有名な怪談をいくつか思い出しながら天斗は言う。
「怖いのは苦手か?」
「ちょっとね。遊離は……あんまり、というか苦手なものなんてなさそうだけど」
「そんなことない。私にだって苦手なものくらいある」
「例えば?」
「ビーフシチュー」
「えっ? そうなの?」
幸いいままで作ってはいないが、そういえば苦手な食べ物があるのなら、先に聞いておくべきだった。
「だって牛乳を入れない方のシチューなのだぞ?」
「……」
思いの外というか、予想外の理由に思わず何も言えなかった。なのだぞ、と言われてもどう返せばいいのやら。これじゃあ苦手というよりただの敵愾心だ。
「えーと、味は?」
「知らん。食べたこと無いからな」
「じゃ、じゃあ今度食べてみなよ。きっと美味しいから」
「まあ、天斗がそういうのなら。ん、いやまて、三階に人影が二人。恐らく高校生だ」
目を閉じ、脳内を探るように遊離はいう。
誰にも見えない天斗をも見つけ出した能力が、壁を越え怪しい影を察知したようだ。
「あ、そっか。遊離には解るんだったね。二人かあ。なにしてるんだろう。僕達と同じように、噂に釣られたのかな」
「まあ、人間とは限らないがな。二人組の幽霊だったりして」
「え、もしかして、その力でいままで幽霊とか見つけたことあるの?」
「ふふふふふ」
「ちょ、ちょっと何か言ってよ」
つかつかと、冷静に歩を進める遊離に、やや及び腰になりながらついていく。
一階も、二階も、何にも遭遇しなかった。
遊離の探査に引っかからなかったので、当然かもしれないが。
そして、三階だ。窓から無人のグラウンドが見える。
懐中電灯を消しておく。
「あそこの教室のようだ」
ひそひそと小さい声で、遊離が言う。
「どうするの? 見つからないように、僕だけで見てくる?」
「なるほど。いい案だ。だが、私も扉の影から覗くぞ」
そう言って、足音を立てないように、静かに扉に近づく。
大体の相手の位置は、力のおかげで見ずともわかる。
相手にばれないように、じわじわと顔をだしていく。
「わ」
何をしてもばれない天斗は、堂々と中を確認したが、その光景につい声を出してしまった。
「?」
遊離は怪訝な顔をして、中を見る。
「!」
詳しくは言えないが、高校生の男女が、何かをしていた。
天斗も遊離もしっかりとそれを見たようだ。
「わわわ、遊離、これは」
そう言う天斗をほっといて、遊離はさっさと来た道を戻ってしまう。
「あれ? ちょっと遊離、待ってよ」
懐中電灯をつけて追いついてみると、それだけの明かりでもわかるくらい、遊離は顔が赤かった。
天斗も、さっき見た光景が頭から離れない。
「遊離、さっきのは」
「ああ、今回の噂は外れだな」
「そうじゃなくて、あの二人は」
「た、天斗、その話はするな。きっと夢だったんだ。あと、あまりこっちを見るな。顔が熱い」
普段は毅然としている遊離が落ち着かないのを見て、なんだか天斗は逆に落ち着いてきた。
あれを見たとはいえ、ここまで恥ずかしがるとは、下着姿を見られても平気だった遊離にしては驚きだ。
いままで遊離のことを綺麗だと思ったことはあるけど、なんだか今は可愛いと思ってしまう天斗だった。
「じゃあ、おやすみ遊離」
「ああ」
二人はそのまま部屋に戻り適当に時間を潰して寝ることにした。
遊離は暫くの間生返事ばかりだった。
天斗としては、アテが外れて残念な気持ちが大きい。
「ふう」
電気の消した部屋。
自分のベッドの上で、静かに溜息をつく遊離だった。
「おはよう。遊離。朝食はできてるよ」
弁当の準備をしながら、朝食も作っておいた天斗。
あまり料理をしたことがないにしては、上出来な手際だった。
朝にふさわしい、味噌汁の匂いがたちこめる。
「さすがだ。天斗」
ぱちぱちと拍手する。
牛乳をグラスについで一気飲みしたあと、遊離は思い出しながら赤面しつつ言う。
「えーと、きの、昨日のことだが」
「うん」
「おそらく幽霊の噂は、あの二人が流したものだろう。他の人を近づけさせないためにな」
「ああ、そうやって二人だけの時間を作ってたんだ」
「まあ推測だが。こうなるとまた新たな噂や事件を探さねばならないな」
「そうだね」
「よし、食って食って頑張るぞう」
「あはは」
天斗が用意したのは、味噌汁、白米、納豆、焼き魚、そして和食なのに、牛乳。
言った分、確かに遊離は沢山朝食を食べ、二人は学校へ行った。
今日も晴れており、皆賑やかに教室に集まっている。
「なあ栞。他に気になる噂はないか?」
朝からさっそく、栞を捕まえて遊離は聞いた。
「なにー? まだ探してるの? 遊離、オカルトにでも目覚めたの?」
ところが横から別の女子が口を挟む。
「あたっ」
その女子が遊離に近づく時、天斗にぶつかり天斗は尻餅をついてしまった。
感触もないので、女子は気づいていない。
「大丈夫か?」
「ん? 何が?」
女子は急にそう言う遊離に、不思議そうな顔をする。
「うん。大丈夫だよ」
天斗は、そう答えた。
「いや、こちらの話だ。なんだっけ。ああそうだ。前に言ったろう。最近変な奴を拾ってな。その原因がどこかにないか探してるんだ」
「あれ? それじゃあ、まるで物じゃなくて人みたいですよ遊離さん」
立ち上がり隣で聞いていた天斗は、思わず突っ込んでしまう。
「なにそれー動物?」
「昨日言った噂はどうしたんですか?」
栞が尋ねる。
「ちゃんと調べてきたぞ。……あれは恐ろしい体験だった。夜の学校はあいつらの物だな。白い影がひとつふたつみっつ。見ただけで呪われてないか、心配なくらいさ。どうしてこんなに集まるんだと思ったよ。もしかして、この学校はお墓の上にでも建ってるんじゃないかってね」
それに対し、遊離は嘘八百の法螺話で返した。
本当の事は言えなかったのだろう。
「ひい」
栞は信じたのか、震え出す。
「まあまあ、あいつらが暴れだすのは夜になってからさ。それより、他にないか? 噂」
遊離に肩をぽんぽんとされ、栞は落ち着いたようで、
「うーん、今はないですね」
手帳をぱらぱらめくり、言った。
(あれには何が書いてあるんだろう)
「数日待てば、何か起きるかもしれないですよ」
そんな予言めいた言葉をのこす。
「そうか。まあ、仕方ないか」
聞き込み捜査を終え適当に話していたら、チャイムが鳴った。
授業開始だ。
昨日と同じように、天斗はぼんやりと教室の皆や黒板や教師を眺める。
昨日今日と見る限り、どうやら遊離はかなり勉強ができるようだ。
だからこそ、変な行動をしても咎められないのかもしれない。
何度か科目と教師が入れ替わり、またランチタイムがきた。
「天斗、行くぞ」
「あ、ねえ、あんまり友達の誘いを断るのは、どうかと思うから、今日は他の皆と食べたら?」
昨日遊離が女子の誘いを断っているのをみて、気になっていたのだ。
「なあに、気にするな。せっかく天斗がこれを用意してくれたのだ。共に開けようではないか」
これ、といった時に弁当を掲げる。
女子のグループ意識は強いと聞くけど、どうなんだろうと天斗は思う。
「遊離がそう言うのなら、いいけれど」
昨日と同じように、屋上に腰を落ち着ける。
「はい、遊離」
そう言って天斗は水筒の蓋に牛乳を注いで渡した。
「っぷは。あーこれこれ」
一気に飲み干し、満足気に頷く。
その健康的な笑顔をみると、天斗の方もなんだか元気になってくる。
それから、遊離はかぱっと弁当の蓋を開ける。
「おお、結構揃っているじゃないか」
「半分は冷凍ものなんだけどね」
ご飯のおかずになるような肉類などは、弁当に入れておくだけで、勝手に解凍されていく市販のもの。
天斗がやったのは、朝食と一緒に焼いた魚の切り身と、白米とミニトマト等を入れたくらいだ。
苦笑してしまうのも無理は無い。
「よいではないか。少しずつ、レパートリーを増やしていけば。いただきまーす」
「うん。いただきます」
この先もずっとこの生活が続くように言う。
天斗は、この体が元に戻ったらどうなるんだろうと、少しだけ思うのだった。
(どうしてこんなことしてるんだっけ)
目の前では、遊離が下着を選んでいる。
遊離は現在私服で、スタイリッシュと言えそうなパンツルックだ。
ショッピングモールの下着屋に二人はいた。
どこをみても女性の下着ばかり。男の天斗には、いるだけで辛い場所だ。
様々な形や色、大きさ、シンプルなものから、紐やらフリルのものまで。
しかし店員には天斗が見えていないので、変な顔もされない。
この後の遊離の独り言や行動には、不思議に思うかもしれないが。
始まりは、
「よし、二人でどこか出かけよう」
遊離のそんな言葉だった。
「ん?」
急に遊離がそう言うので聞き返す。
二人は今、夕食の時間だ。
段々手馴れてきたのか、天斗の調理時間も短くなってきた。
「噂もないようだし、私達のほうから探しに行くぞ。まずは街にでもくりだそう」
「え、それって……」
天斗の頭にある単語がうかぶ。
今までも二人で出かけたことはあったが、街でとなると、これはもうデートと言ってもいいんじゃないだろうか。
今まであまり意識していなかったが、その単語が出てくるだけで、なんだか気になってくる。
前に夜の学校で見た二人組の影響だろうか。
遊離はどこまで気づいているんだろう。
「なんだ、嫌か?」
しゅんとしたように、天斗をじっと見る。
「ううん、そんなことないよ。うん。行こう」
あまりがっつかないように気をつけながら答える。
「日にちは、次の休日にしよう。最初は何処へ行くかな……」
そう言って、遊離は思考に入る。
天斗もいろいろと考えながら、楽しみにその日を待つのだった。
「うーん。これはこれで、楽しむべきなのかなあ」
予想外の、下着屋だった。
「なにか言ったか? これなんかどうだろう」
品物に夢中になっていた遊離が、一つ選んでこちらに見せる。
それは遊離の眼みたいに赤色で、なんだか派手だった。
「えっ、高校生でそれは、ちょっとどうなんだろう」
「そうかな」
「でも、遊離にはむしろ合ってるのかも」
「それはどういう意味だ?」
特に怒ったわけでもなく、純粋な興味で聞く遊離。
「いや、えーと、格好いいってことで」
体型が高校生にしては大きい部分がある、とは言えない天斗だった。
あれでは合うサイズが少なくて苦労しそうだ。
「ふふふ、格好いいか。よし買うぞ。着たところは、ちゃんと見せてやるから、安心していいぞ」
「み、みせなくていいからっ」
そんな情熱的な姿を見せられても困る。
天斗としては、もっとシンプルな可愛いものも捨てがたいのだが。
「ほら天斗、こんなのもあるが」
今度は布が小さくそれ自体が紐にみえなくもないような、こんな人通りの多い所で売っていいのかと、突っ込みたくなる物だった。
「駄目っ」
天斗は言いながらすばやくひったくり棚につっこむ。
危ない代物は二人の視界から姿を消した。
「むう、動きやすそうなのに」
「あんなのをつけて、動きまわらないで」
「わかった。天斗の前では動かないから」
「そういう意味じゃなーい」
これはからかわれているのだろうか、と思う。
「ん?」
お喋りしていたら、急に遊離があさっての方向を向いた。
手には怪しげな下着を持ったままだ。
あれじゃあ、下の肌が透けて見えちゃうんじゃないだろうか。
「どうしたの? 遊離」
下着の事はほっといて、聞いてみた天斗。
「なんか、変な動きをしている奴がいるぞ」
「え、え?」
「行くぞ天斗」
「うん」
そう言って駆け出す、と思ったが、ちゃんとレジを通して買うものを買ったのだった。
それから店の外へ出て、辺りを確認する。
「何? 変な動きって」
「ううん、何だこれは、何やら、消えたり現れたりしているやつがいる」
頭を手で抑え唸っている。
「僕を見つけ出した遊離でも、それってことは……うーんでもそんなことあるのかな」
そこである可能性を思い浮かべた。
漫画やゲームでよくある能力のひとつ。
テレポートだ。
「例の石なら、それくらいできるんじゃないか?」
遊離も天斗とおなじ考えのようだ。
「確かに、僕や遊離の例を考えれば、そうだよね。その人は近いの?」
「ああ、このショッピングモール内だろうな」
「ええ、かなり近いんだ。こんなところで、そんなに力を使ってなにしてるんだろう」
「鬼ごっことか」
「鬼が怒るよっ」
「かくれんぼか」
「隠れたら動いちゃだめっ」
「ふむ、他に遊びあったかな」
顎に手をあて、思案する遊離。
「なんで遊び限定なのさ。その人、小学生なの?」
「いや、私の視たところ中学生か高校生だろうな」
「だったら、もっと別のことしてるでしょ」
「私はしたいぞ。かくれんぼ」
「わかったから、今度ね」
「むう」
ふくれっ面だ。遊離がするとなんだか可愛らしい。
「それより、それくらいの歳の人が、買い物をするところでテレポートって……」
「何かわかるか?」
「とりあえず、会ってみようよ。遊離、案内して」
「わかった」
遊離が先導してモール内を歩く。
何店か素通りしているうちに、
「あの子だ」
遊離がそう言って、一人の少女を指差す。
その子は自動販売機の隣にあるベンチに腰掛けていた。
見たところ遊離よりは背が低い。女の子らしいフリル付きの服で、髪を両サイドで結って、前側にかけていた。スカートもなんだかウェーブがかかっている。
「確かに、小学生には見えないね。どうする?」
「私が聞いてみよう」
「それしかないよね」
天斗が話しかけても、暖簾に腕押しだろう。
少女に遊離が近づいていく。
(石の事を聞き出すんだよね。どういう話の運び方をするんだろう。結構、難しそうだなあ)
天斗が脳内でシミュレートしているうちに、遊離は少女の目の前にたどり着いた。
少女が怪訝な顔で、遊離を見る。
(警戒してるなあ。ここは慎重にいったほうがいいよね)
そんな思いはつゆ知らず、
「おい、お前。テレポートできるだろう。ちょっと話さないか」
はっきりと、そう尋ねた。
「な、な、な」
さすがにびっくりして、口が開きっぱなしの少女。
「こ、こらー」
天斗も思わず突っ込む。
「どうした?」
天斗の方に向き、聞き返す遊離。
少女からは、誰と話しているかわからないだろう。
「そんなストレートに聞いたら、相手が驚いちゃうでしょ」
「しかし、聞きたいことはキッパリと簡潔に言ったほうが、わかりやすいぞ」
「それはそうかもしれないけどさ、いきなりそんな事聞かれる身にもなってあげないと」
「ふむ。ならばもう一度だ」
ちゃんとわかったのか、遊離はまた少女の方に向き直す。
「おや」
しかし、少女は消えていた。
いくら話しこんでいたとはいえ、目の前から少女が立ち去ろうとすれば、さすがに二人も気づいただろう。
つまり、力を使ったのだ。
「逃げられちゃった」
天斗がぽつりと呟く。
「ふふ、ふふふ」
遊離が、怪しげに笑い出した。
「ど、どしたの」
「天斗、今から鬼ごっこのはじまりだ」
とても嬉しそうだ。開会式の宣言のように、そう言い切った。
「いくらテレポートできようと、私の能力からは逃れられまい」
察知した位置に向かって、走りながら言う。
「問題は、遊離の索敵範囲と、相手の逃げる速さ、どっちが上かってことだよね」
必死についていく天斗。遊離のほうが、体力はあるのだろう。
「今の所は、見失ってはいない。なあに、私を信じろ」
「うん。もちろん」
数分移動して、例の少女を発見した。
今度は、ファンシーな小物が並んでいるショップの中だ。
さすがにどこにいるかわかっていると、見つけるのも早い。
「おい、逃げるな。ちょっと話がしたいだけだ」
「ひゃああ」
また相手は消えてしまった。
「むう、やはり鬼ごっこはタッチしないと駄目か」
「そんなルール、相手は考えてもいないと思うけど。次は笑顔で話しかけてみたらどうかな。にこって」
「こうか」
「それじゃあニヤリ、だよ」
「なら、こうか」
「それじゃあ見下してるみたいだよ」
「むう、難しいぞ」
「ええー。うーん」
少し考える天斗。今まで見た遊離の中で、一番輝いていた顔は……。
ある場面が、頭に浮かぶ。
「ほら、牛乳だよ。牛乳を飲んだ時の顔」
「しかし、手元にはないぞ」
「想像でなんとかして。早く追わないと、遠くにいっちゃうかもよ」
背中を押し、急かす。
「わかった。できる限りやってみよう。出口はそっちじゃないぞ。天斗」
違う方向に押す天斗を窘める。
またも少女をみつけ、遊離はなんとか笑顔で近づくが、また逃げられてしまう。
何度かそんな事をしているうちに、天斗がひとつおもいつく。
休憩がてら足を止め聞いてみた。
「そういえば、思ったんだけど、遊離手を繋がない?」
「なぜだ?」
「前に不思議に思ったことあったけど、僕の持った物って、他の人からはどう見えているのかなって。空中に浮いていたりするのかな」
「それは、どうだろう」
「でも、もしそうだとしたら、もっと他の人がびっくりすると思うんだよね」
「ふむ」
「だからさ、もしかしたら、僕の持ったものって、他の人からは見えなくなるのかも」
天斗の拙い説明を聞き、考える遊離。
「なるほど。姿を消して、それで捕まえようというのか」
「うーん、それより、僕達も同じように力を持ってるってことがわかってもらえれば、ちょっとは話もしてくれると思う」
次なる作戦も決まり、また追いかける。
段々近づいてきたので、手をつなぐことにした。
「た、天斗、本当にやるのか?」
「うん。駄目なら、それでもいいんだけど」
「全然、駄目じゃないぞ。これくらい」
そう言って、天斗の手をとる。
遊離はいつのまにか頬が紅潮していて、動きがぎこちない。
「なんか、自分で言っておいてなんだけど、恥ずかしいね。でも、温かい」
「か、感想を述べるな。ほら、行くぞ」
天斗を引っ張るように歩き出す。
下着屋だったり途中現れた少女だったり予定外の事が起きたけど、手をつなぐ事で今更ながら、やっぱり楽しみにしててよかったと天斗は思う。
二人が足を止めるとそこは、モールの外れのクレープ屋の前だった。
クレープを片手に、花壇に座り込んでいる少女。
「いたぞ。全くこれで何度目なんだか。今度こそ逃げないでくれるといいが」
「そうだね。遊離の姿は、ちゃんと消えてるのかな」
「試してみよう」
「えっ」
遊離は少女に近づいていく。天斗も当然、引っ張られるように、側にいる。
目の前にきても、少女はなんの反応も見せない。
呑気に空をぼーっと見ながら、クレープを美味しそうに食べている。
「見えないみたいだね」
「ふむ」
頷いたかと思うと、いきなり少女の頬をぷにっとつつきだした。
「だめだって。そんなことしたら」
つついていた手を掴み、共に下がる天斗。
「こんな事をしても気づかないのか。凄いなこれは。体験してみて改めてわかったぞ」
遊離の悪戯心が刺激されまくりのようだ。
「はっまさか。いままでも女子にあんなことやこんなことを……」
疑いの眼差しを天斗に向ける。
「そんな事してないよっ。そりゃ、ちょっとは食べ物を盗んじゃったことはあるけれど、人に危害をくわえたりはしてないよ」
必死に弁明する。
普通の高校生男子なら、もっと凄い事をしそうだが、天斗は実際何もしていない。
「まあ、そんなことはどうでもいいか」
「よくないよ。ちゃんとわかってくれた?」
遊離に疑われた事がそれだけ気になるのか天斗は聞き直す。
けれど遊離はただからかっただけのようで、本題に戻った。
今重要なのは、少女から話を聞くことなのだ。
「では、やるか。手を離すぞ遊離」
「うん……」
色々と諦めたのか、大人しく了承する。
二人の手が離れると、遊離の姿が少女に見える。
「ひあっ」
もう何度も何度も顔を合わせているが、さすがに何も無いところから出てくると、驚いたらしく、その勢いでクレープを投げつける。
遊離の顔にぺたりと、食べかけのものがへばりつく。
「ん、甘い」
それをひょいとつまみとり、口へ運んでしまう遊離。
「駄目だよ。はしたない」
天斗は一応突っ込んでおく。
「なんなのあなた、さっきから何度も現れて、しかも今なんて突然」
顔にクレープを当ててしまったことも、気にする余裕がないくらい少女は驚愕している。
「おおやっと話をする気になったか。気づいているかわからないが、私達も石を拾ったんだよ。お前の位置がわかったのも、今消えていたのもその力だ」
遊離は相手が逃げていない事を確認して、説明をはじめた。
「石……。私達って?」
複数形なのが気になったらしい。
「私と、もう一人ここにいるんだ。高校生の男子で、とある石を拾ってから、誰にも見えなくなってしまった」
「え? もう一人?」
「ああ」
「言われても、簡単には信じられないよね……」
天斗はやや諦めたように、そう呟く。
「ふうん」
少女は納得したのかしていないのか、小さくそう言いながら立ち上がった。
「その見えない子は今どこにいるの?」
「ここだ」
言いながら、天斗の輪郭を表現するように遊離は手を動かす。
少女も、その部分に手を伸ばす。
天斗の体にその手が触れる。見えていないので、顔や肩に容赦なくだ。
大人しく、動かないようにしている天斗。
それでも見知らぬ女子に触られるというのは、なかなか我慢できるものではなく、体を無意識にもじもじと動かしてしまう。
「ん?」
触れても感触はないが、しばらくそうしてようやく、そこに何かあることがわかったようだ。
「おお、大胆だな。そんなところまで手でまさぐるなんて」
遊離がにやにやしながらそう言う。
実際には大した所には触れていないのだが。
言われて、少女は手を引っ込めた。何処を触っていたのかと想像して、やや赤くなる。
「わ、わかったわよ。誰かがいるみたいね」
「そうだ。彼は高井天斗。私は遊離結だ。お前はなんていうんだ?」
指差しつつ、自己紹介をする。
「あたしは恩田御空、高校生よ。前に石を拾ってから、瞬間移動できるようになったの。あなたたちもそうなんだっけ」
「さっき言った通りな。私達はこの力をどうにかしたいと思っている。天斗は特に困っているんだ。それで、同じように石を拾っていたかもしれないお前を追いかけ回したんだ。悪いな」
「それはいいけれど……」
「ねえ、遊離」
石の事を考えているのか、黙る恩田をよそに、天斗は話しかける。
「なんだ?」
遊離は後ろを向いて、答えた。恩田からすれば相変わらず変な行動だが、天斗と話していることはわかるだろう。
「その子、万引きとかしてないよね」
先程考えた事を言う。別に聞かなくてもいい事かもしれないが、聞かずにはいられなかった。
「おいおい、あまり人を疑うもんじゃないぞ」
「それはそうなんだけど、こんな場所で何度も力を使ってるなんて、気になるよ」
「ふむ」
顎に手をあてそう言うと、遊離は恩田の方に振り返った。
「なに?」
「御空、万引きしたか?」
もう名前で呼んでいる。しかしそんな事より、
「ちょっとちょっと、だからストレートすぎるってば」
天斗はそう突っ込まざるをえない。
ずばり聞かれて、恩田は表情が固まっている。
また逃げられてしまうんじゃないかと、天斗は心配になる。
しかしそんな事にはならなかった。
「し、してないわよ。いい加減な事言わないでちょうだい」
「ならばなぜ、何度も瞬間移動していた。私にはわかっているぞ」
「それは、ただ歩くのにつかれたから、そっちのほうが楽なだけよ」
恩田の言い分を吟味する遊離。すぐに結論はでたようだ。
「そうか。良かった。悪いやつはいなかったんだな」
笑顔の遊離。
あまりの眩しさに、悪いことをしていなくても、恩田は一瞬たじろいでしまう。
天斗も胸をなでおろす。
「それで、御空は石を拾っただけか? 他に変わったことは無かったか?」
「ううん。期待にそえなくて悪いけど、何にも。あたしもこの力がなんなのかさっぱりだわ」
「そうか……」
せっかく見つけた、別の能力者も、あまり成果にはならなかったようだ。
未だに石がなんなのか、ヒントさえつかめていない。
「それでも、これから何かあったら連絡くれないか?」
「わかったわ。携帯、もってるわよね」
「ああ」
二人は赤外線で番号を交換しあう。
それをみて、天斗は自分が携帯電話を持っていないことが、少しさびしくなった。
(というか、遊離、携帯持ってたんだ。女子高生なら、そりゃ持ってるか)
それなりに一緒に過ごしているが、今更ながらそう思った。
連絡先も交換しあって、とりあえずこの場は別れることにした。
「それじゃあな。御空」
「うん。ばいばい、遊離さん、高井くん」
手を振り、歩き出す恩田。
天斗のことは見えていないのに、律儀にそう言い残した。
「またね」
天斗もそれに返す。
遊離とのお出かけは、天斗の思いとは裏腹に別の能力者に会うという、意外な結果を残したのだった。
「しかし瞬間移動とは、便利そうな力だったな」
現在、二人はスーパーだ。
お出かけを終え、夕方から夜になる頃、食料の買い出しである。
この時間だと、なかなか他の客も多い。避けるのも一苦労である。
「そうだね。少なくとも、困ってはいなそう」
「学校へ行くときとか、遅刻しそうになってもひとっ飛びなんじゃないか?」
「そっか。それいいね。そもそも寝坊しなければいいんだけど。あの力は一回でどこまで移動できるんだろう」
「今日見た限りだと、それほど離れた所へはいけなそうだったが」
つまり仮に遅刻しそうになって学校へ行こうとしても、何度も瞬間移動しなければいけないだろう。
慌てながらそうする恩田を想像すると、少しおもしろい。
「あ、お肉安い」
天斗は思考を中断して、値段に注目する。
「肉か。肉は好きだぞ」
「ハンバーグならひき肉、からあげならもも肉、生姜焼きならロース肉」
レシピを思い出しながら、そう呟く。
「全部買ってしまおう」
どささっと、カゴに突っ込む遊離。そんなに冷蔵庫に入るのだろうか。
「次は牛乳だ」
今日一番嬉しそうに、そのコーナーの前に立つ。
「色々種類あるけど、遊離はどうやって選んでるの?」
特濃だったり、無調整だったり、鉄分だったり、低脂肪だったり、迷えるくらい並ぶ牛乳たち。
「良い質問だ。私は毎回、選ぶのに神経を使っている。ここは正念場だ」
眼をぎらぎらさせて、鼻をすんすんさせて、遊離は真剣な表情だ。
「いつも買うの決まってるわけじゃないんだ」
「ああ、今私の体がどの味を求めているかとか、相手の日によってかわる微細な変化とかな。しっかり読み取るんだ」
遊離の言う相手とは、もちろん牛乳のことだ。
「パックの中なのに、わかるんだ」
呆れるような褒めるような、微妙な顔の天斗。
「よし、今日はこれとこれとこれだ」
意を決したように、三つ選び出す。それはどれも、メーカーが違っていた。
天斗にはパッケージに書いてある以上の事は、さっぱりわからない。
「ふふん、今は用なき惣菜コーナーが見えるぞ」
「え、なにその高みからの眼は。今でも、たまに食べてるでしょ」
二人は適当におしゃべりしながら、買い物を終えた。
もはや常連客や店員は、独り言を続ける遊離を見慣れたように過ごしている。
「遊離さん。噂が幾つか入りましたよ」
卸が朝から、そう話しかけてきた。なんだか声に力が入っている。
汚名返上のつもりなのだろうか。
まだ時間が早いので、教室に生徒は揃っていない。
「ほほう。どんなのだ?」
「まず一つ目は、あなたですっ」
「ん?」
鼻先に人差し指をつきつけられる。
それに対し、遊離は冷静なままだ。
「スーパーやその他の場所で、独り言をやたらとしていると、噂になっていますよ」
「そのことか。皆に気にするなと伝えておいてくれ」
(ああ、遊離が僕のせいで噂になっちゃってる)
完全に自分のせいなので、気が気でない天斗。
「別に遊離さんが気にしないのなら、うちもそれでいいですっ。うちは噂を集めるだけですから」
「それで、他のは?」
「次は、怪奇、消えた少女。です。最近、消えたり現れたりする高校生くらいの女の子が目撃されています」
何かのキャッチコピーのように、そう言う。
「ふむ。それはショッピングモールとか?」
「よくご存知でっ」
(もう噂になってるんだ。恩田さんだっけ。結構あの人も、人の眼を気にしないタイプなのかな)
「それももういい。次は?」
「ええー。かなり不思議な噂だと思いますが。まあいいでしょう。最後は、大食い野郎です」
最後にしては、あまり迫力がない。
「なんだそれは。そんなのどこにでもいるぞ」
遊離も結構食べる方だと、天斗は思う。
「ただの大食いじゃないんですよ。街にある数々の食事処で、様々な大食いチャレンジがあるんですが、それを次々と制覇するだけじゃなく、そのあとさらに店のメニューも食べだして、それで気を病んだ店主が何人も」
「その程度で気を病むな」
ばっさり切り捨てるように言った。
「ねえ、遊離。その人も、もしかしたら石を拾ってるんじゃ」
さすがにこのまま話が流れては、気になって眠れない。
「ただの大食いだぞ? でも、そう言われてみれば、そんな気がしないでもないような」
「なんでそんな煮え切らないのさ。どう考えても、普通の人間じゃないよ」
もしかして、遊離自身もよく食べるから、実感がわかないのだろうか。
もしくは、人間の限界を信じているのか。
「ふむ。天斗がそういうのなら、調べようか」
「本当に独り言するんですね」
興味津々といった顔で、遊離を見ながら言う卸。
「どなたとお話を?」
「私の大事なパートナーさ。残念ながら、人には見えないのだが」
(パっ……)
さらりと言うその台詞に、天斗は不意打ちをくらった気分になる。
朝から胸の鼓動が元気だ。
「いいですね。うちもそんな相手がほしいですっ」
「ならば、町中で上を見上げてみるのだな」
これはブラックジョークに入るのだろうか、と天斗は一人考える。
「そんな事より、その大食い野郎の話だ。今まで何処で現れたか、詳しく教えてくれ」
「了解しました」
何故か軍の敬礼のように、卸は手を頭にやりそう答えた。
それから詳しく話しあう二人。
天斗も横で聞いているが、結構な数の店に出没しているようだ。
「天斗、着替え覗くなよ。ここには他の女子もいるのだからな」
体育の時間になり、更衣室へ行く途中で遊離はそう言った。
逆に言えば遊離一人の着替えなら覗いてもいいのだろうか。
大食いのことは、とりあえず学校を終えてから行動する事に決めている。
「覗かないよっ。いままでもそんなことしたことないでしょ」
「わかっているさ。天斗は紳士だ。普通の高校生男子といえば、野獣みたいなものなのに」
「紳士って」
さすがに過大評価だと天斗は思う。
レディーファーストだって、ほとんどしたことない。
遊離はそのまま他の女子達と共に更衣室に入っていった。天斗は外で、静かに待つ。
中の様子を妄想したりはしない。
中からきゃいきゃいと、サイズがどうの下着の柄がどうのと聞こえてこようが、考えない。青空が綺麗だ。
「久しぶりだ。天斗」
「そんなに経ってないよ」
更衣室から出てきた遊離は、白い体育服に、黒っぽいブルマだった。
緩さの少ないそのシャツは、遊離の大きい部分を自然と強調している。なんだか、服の下が若干赤くも見える。
さらに、長い髪をポニーテイルのようにまとめていた。
(やっぱり高校生にもなって、この格好はいかがなもんだろう。ただでさえ遊離は色々と大きいのに)
ただの学校の正式な服に、一言言いたい天斗。
あまり直視できない。
「遊離ー何してんのさ。行こ」
「ああ」
中で話していた相手なのか女子の一人がそう言い、遊離はそれにならう。
グラウンドに向かうようだ。
(運動は苦手なんだよね。座って見てようかな……うあ)
天斗はついていきながら、この後のことを考える。
しかし目の前の光景に、考えが止まる。
遊離がブルマのお尻の部分を指で直していたのだ。
(僕が後ろにいるってわかってるはずなのに。でも、遊離なら見られても気にしないのかな。僕のほうがなんだか恥ずかしい)
体育が始まると、遊離は良く動き良く走った。
まとめた髪が随分揺れている。
(絶対僕より体力あるだろうな。腕相撲ですら、ちょっと自信ないもん)
木陰に座り込み、ぼーっと体育の光景を眺めている。
笑顔で動きまわる遊離を見ているだけで、なんだか退屈しなかった。
でも、混ざれないのが少しだけ寂しい。
(これじゃあまるで病弱な子だよ。でも、似たようなものかな)
いつの間にか時間が過ぎ、そろそろ体育が終わるかなと思った頃、遊離がこちらに来た。 クラスメイトが不思議そうにこちらを見るが、すぐにいつもの事かと各々していたことに戻る。
「天斗、走るぞ」
「えええ」
遊離は天斗の元へ来るなりそう言い放った。その顔には、流れる汗が太陽の光に照らされている。動きまわった勲章だろう。
「ほら、ほら。座っていては鈍ってしまうぞ」
「わ、わかったよ」
既に足踏みを始めていて、誘うように手をこまねく。
天斗も立ち上がった。
二人は駆け出す。遊離は、なんだか楽しそうだった。
天斗も走り続ける。既に体力を使っているはずの遊離に、ついていくのがやっとだ。
やや固くそれでも土らしさの残るグラウンド。まきあがる土煙。まだ夏には早いというのに、照りつける太陽。足を動かすたびに酸素が身体から減っていく感覚。
何も考える余裕はない。
寧ろ、頭を空っぽにできたというべきか。
そのまま二人は、時間いっぱいまで走り続けた。
「ふう、全くびっくりしたよ。いきなり走ろうだなんて」
体育の時間が終わり、更衣室まで歩く道すがら。
天斗はまだ息が平壌運転に戻っていない。
「よいではないか。体を動かすと、気分がいいもんだぞ」
「それはそうかも。ちょっと走っただけなのに、汗かいちゃった」
服の首元をひっぱり、ぱたぱたと風を入れる。
「動いてお腹すいたな。早く昼時にならないものか」
「あはは」
なんだか朝の大食い野郎の話を思い出す。
この分だと遊離はきっと、弁当をぺろりと平らげてしまうだろう。
それだけじゃ足りず、購買にも行くかもしれない。
しかしそうはならなかった。
いつものように屋上へ行き、定位置に座り込む。
晴天の下で食べると気持ちがいいものだ。
さっそく牛乳をのもうと遊離が水筒を傾けるが、何も出ない。
「あれ。天斗、何も入ってないぞ」
「ええ、そんなはずは」
天斗も確かめるが、やはり空だ。
「しょうがない。先にこっちだ。牛乳は食ってから買いに行こう」
「ちゃんと入れたはずなんだけど」
遊離は弁当を開けにかかる。
その封の縛り方は、なんだか朝と違っている気がする。
「あ?」
開けてみると、水筒と同じように中は空っぽだった。
と言っても、使われていないように綺麗ではなく、食べ物が詰まっていた痕跡は残っている。
つまり先に誰かが食べたのだろう。
「どういうことだ」
「うわっ」
天斗もそれをみて驚いた。当然だ。朝からあれだけ手間を込めて、料理をひとつひとつ込めたのだから。
「うーん、誰かが食べちゃったのかな」
勿論天斗の方を開けてみても何も入っていない。
教室に置いておいた弁当にまでは、天斗の力は及ばないので、被害を逃れることはできなかった。
「天斗」
「ん? ……遊離、怖い」
「ああ、私は怒っているぞ」
その時、偶然にも風が吹き、遊離の髪が大きくなびいた。
遊離は何か大切なものを壊されたように、その表情には怒りの色が満ちている。
(僕の作ったお弁当のために怒ってくれてるのかな。……単にお腹がすいてたり、牛乳の方の線も否めないけど)
天斗は弁当がなくなっても、冷静なままそう思案した。
「私の弁当返せーっ」
突然立ち上がり青空に向けて、そう叫ぶ遊離。
屋上にいた他の生徒が、びっくりしてこちらを見た。
さっそく二人は犯人探しである。
教室に戻ってみると、どうやら他のクラスメイトも同じように、持ち込んだ弁当を食われてしまったようだ。
ざわざわ騒いでいる。
クラスの弁当率は割と高かったようだ。
「なんだ、皆もやられたのか。しかしこれだけの量を食うとは、犯人はどれだけ大食漢なんだ。もしかして、一人じゃないのか?」
ざわめくクラスメイトを見て、遊離は考える。
「ちょっと見てきたけど、他のクラスは無事みたいだよ」
天斗が戻ってきて、そう言う。
「何。つまり犯人はこのクラスに恨みがあるか、たまたまなのか、このクラスの人物ということか」
「ねえ、遊離。気づいてる?」
「何がだ」
「犯人は朝噂に聞いた、石を持つ大食い野郎の可能性にさ」
「……ああ、勿論だ。今、言おうとしていたところだ」
「それならいいんだけど」
怒りで頭に血が昇って冷静じゃないのか、それとも本当に人間の力を信じているのか、遊離は全く気づいていなかったようだ。
「でも、その大食い野郎って、うちの学校の高校生だったのかな。それとも先生? そこまでは判ってなかったんだよね」
もしそれらではなかったら、目立っているだろう。
学校とはそういうところだ。
「ああ、そいつの容姿までは聞いていない。噂にのぼらないほど、地味な奴なのか、それとも口にするのもおぞましい奴なのか。校内に不審な人物がいないか、念入りに調べてみるか」
そう言って遊離は頭を手で抑え脳内を探るように眼を閉じる。
邪魔にならないように、静かにそれを見守る天斗。
「なにやら、小さい子がいるぞ。小学生か?」
「たんに身長が低いだけじゃなくて?」
「いやこれはさすがに。一応、会いに行くぞ。天斗」
「わかった」
駆け出す遊離についていく。走りながら、廊下は走っちゃ駄目だっけ、とそんな事を考える天斗だった。
「このあたりだ。何やら数人に囲まれている」
目的の場所についたようだ。そこは一階の渡り廊下だった。
すぐに中庭に出れるところだ。
遊離の言うとおり女子が数人集まって騒いでいた。
「きゃー」
最初はかわいい、だとか、どこからきたの、だとか聞こえていたのに突然悲鳴に変わった。
「どうした?」
遊離と天斗が駆け寄ると、女子の一人の胸元の服が、円形に破り取られていた。
破れた制服と中心の紐の部分が千切れた下着と、肌が見える。幸い血は出ていない。
「この子をぎゅってしたら、どうして、こんな……」
ショックを受けたように、そう呟く。
それをきっかけに、女子達が離れると、中心にいた小さい子の全貌が見えた。
その少女は、見たところ小学生の中でも真ん中の学年くらいで、背が低く髪も短い。
今はスカートを履いているが、服装によっては、男の子に見えてしまうかもしれない。
年齢のせいか、痩せているだけか、女の子としても肉付きがあまりよくない。
それでも、まつ毛の長い顔はやたらと可愛らしかった。
「小さいな。本当にこんな子が犯人なのか」
「石があれば、どんな体の子でも、それくらいできるんじゃないかな」
二人は少女を見て感想を述べる。高さの違いから、自然と見下ろす形になってしまう。
少女はじっと、遊離を見ている。
「その子が私の服を、こんなにしたのよっ」
横から、先程の女子が少女をゆびさし口を挟んだ。
「おおそうか。お前、石を拾ったのか? どうしてこの学校にいる?」
遊離がまたも直接的に、聞きたいことを聞いた。
それに対し、少女はにこっと笑い返す。
「お姉さんが、ぼくと遊んでくれるんだよね。石をくれたあの人が、そう言ってたもん」
「何、それはどういう」
天斗や遊離にとって、気になる事を口走る。
それに気を取られているうちに、少女は遊離の元へ駆け寄った。
「あっ」
天斗が止めに入ろうとするが間に合わず、少女が遊離に抱きつく。
ごそごそと何やら動いている。
遊離が肩をつかみ、引き剥がしてみると、制服の一部がなくなっていた。
少女の方を見ると咀嚼するように口を動かしている。
「もしかして、服を食べたの?」
口ではそう推測をもらす天斗。しかし遊離のちらりと見えるお腹の方も、気になってしまう。
「ふふん、とんだ悪食だな」
「美味しいよ?」
美少女の制服を食べる。まるで変態のようだが、相手の少女はそれを純粋に食料としてみている。
「遊離、あんまり近づくと、制服食べられて、全部脱げちゃうよ」
「そんな事を気にする私ではないさ」
天斗の忠告を聞かず、少女を捕まえんと近づく。
「本当に、もう一人いるかのようにお話してるんだね」
少女はそうもらしながら、遊離を迎え撃つ姿勢だ。まるで誰かに天斗のことを聞いているかのような口調である。
遊離がまず右手を伸ばす。相手の服を掴む気だろう。
少女はそれをあっさりと躱した。
(避けた)
驚く天斗をよそに、そのまま少女は遊離の右腕を逆に掴み、口を近づける。
遊離はとっさに左手で、少女を止めようとするが、それすら躱すように体を捻り、肩の部分を食いちぎりながら、離れた。
少女が服だけでなく人の肉も食う存在だったら、大変なことになっていただろう。
随分と動きが早い。
沢山食べている分、エネルギーの濃度も高いのだろうか。
その後も数回、捕まえようとして逆に服を食われた。
だんだん遊離の露出が増えていく。
「遊離、僕も動こうか?」
天斗がそう問いかける。確かに、見えない天斗が後ろから羽交い絞めにでもすれば、話は早いだろう。
妹の昔の頃を思い出せば、別に物怖じもしない。
しかし、
「いや、これは私の弁当の戦いだ。まだ手を出さないでくれ」
そう答えた。
(弁当の戦いって)
少し呆れるが、作った時の過程を思い出すと、嬉しくもある。
[弁当? あああの教室のやつのことね。どれも美味しかったよ。ひとつ水筒に牛乳を入れてる変なのがあったけど」
「それは私のだぞ。返せ」
「食べちゃったものは返せないよ。悔しかったら捕まえてごらん」
そう言って少女は身を翻し、校舎内へ逃げた。
(遊離の力を知ってるんじゃないのかな。なんのつもりだろう)
遊離も同じ疑問を持ったようだ。
「なんのつもりだかしらないが、私から逃げようとはいい度胸だな。なんなら、十秒待ってやろう」
余裕たっぷりにそう言い、数を数え始めた。
「鬼ごっこ?」
なんだか天斗は、恩田の時の事を思い出す。
数え終えて遊離は移動をはじめる。天斗もそれについていく。
範囲は校舎内だろうか、とふと思う。
「奴は三階だ」
階段をのぼる。生徒達がにわかにざわめいている。
高校内に小学生がいて、動きまわっていればそれも仕方の無いことだろう。
登り切ると、廊下の中央あたりに、少女はいた。
しかしこちらの姿を見つけた途端、走って逃げ出す。
遊離もスプリンターのようにかけ出すが、追いつけなかった。
昼ごはんを食べていないせいか、それとも単純な地力で負けているのか。
天斗もお腹が空いて、しかも先程体育の時間に走ったので、あまり体力は残っていない。
途中でリタイアして、今は遊離一人で追っている。
「遊離、大丈夫かな」
廊下を見ながら、天斗は心配する声を洩らした。
どうすることもできず、天斗が校内をふらふら彷徨っていると、遊離が戻ってきた。
表情にやや疲れが見える。
「あいつ、なかなか頭いいな。常に距離をとれる位置にいて、こちらに気づくとすぐ逃げる。それに足自体も相当速い」
位置がわかろうが苦戦しているようだ。
「遊離、お腹空かない? どたばたして忘れてたけど、購買行く?」
「確かに空いてはいるが、悠長なことをしていて、相手は逃げ出さないかな。飽きたとか言って」
「うーん、そうなったらまた街に出て探そうよ。とりあえず購買行こ」
多少強引に、遊離を連れて行く。
腹が減っては戦はできぬ。
しかし、その行動も虚しく空振るのだった。
「ごめんねえ。もう売り切れなのよ」
購買のお姉さんは、申し訳なさそうにそう言った。
あちこち破れてる遊離の服装には突っ込まないのだろうか。
「何? いくら少し遅れたからといって、一つも残っていないなんてことがあるのか?」
「それが、今日はもっと前、午前中のうちになくなっちゃったのよ。可愛らしい子が来て、全部買ってっちゃったの。ここの学生には見えなかったんだけど、つい、ね。あの子、あれぜんぶ食べたのかしら」
言われるがままに、全部売ってしまったらしい。
総額いくらだろう。
金持ちなのか大食いの賞金なのか、はたまた別の誰かの援助があるのか、天斗は少し気になった。
「牛乳は? 牛乳はないのか?」
「ないわねー」
「そんな……」
この世の終わりのような顔をしている。
「あの子供、許すまじ」
ここでさらに、怒りの念が増したようだ。
「でも、どうするの? このまま、体力を消費していくのは分が悪いんじゃ」
「仕方ない。相手の位置はわかってるんだ。罠を張るか」
「罠?」
「追い立てた時に階段を通るから、そこの足元に紐を」
「危ないよっ」
「なら、廊下の中央に足をとる粘着テープを」
「どこから用意するのさ。それに、他の生徒もいるんだよ?」
そう注意した時購買の近くにあった時計が天斗の目に入った。
もうすぐ昼休みも終わりだ。
「そろそろ生徒が教室に戻る時間だね。人に紛れるなら、これが最後のチャンスかも」
「ふむ」
天斗の意見を聞き、思考に入った遊離。
「よし、策を決めたぞ。私があの子を捕まえて、おしりぺんぺんするところを見ているが良い」
「えええ」
どんな作戦を思いついたかより、そんな恐ろしいことを考えていたのか、と天斗は驚いた。
「あのお姉ちゃんこないなあ。諦めちゃったかな」
少女は階段を見逃さないようにしながら、独りごちる。
廊下は長く、ルートは限られている。
「ぼくも今日は帰って、また明日こようかな。そこそこ楽しめたし」
そう何度も高校に小学生に来られては困ると、突っ込むものはいない。
しかし、声をかけるものはいた。
「ねー彼女、なんでこんなとこにいるの?」
「お前それじゃあナンパだろ」
「ロリコンかよ。引くわー」
「ば、ばか。ちげーし」
数名の男子生徒が、少女に近づきそう言った。
茶髪だったり、制服を着崩していたり、あまり真面目そうには見えない。
子供が珍しいのか、ただの興味本位だろう。
(ああ、変なのに絡まれてる……。どうしよう)
たどり着いた天斗は、その光景をみて、心配になる。先程、遊離にここで見ているように言われたのだ。
少女はじっと、男子たちを不思議そうに眺めている。
それから近づき服に手を伸ばした。
「お、なになに?」
若干嬉しそうな当の男子。もしかしたらロリコンかもしれない。
しかし横から伸びた手に止められ、少女は服を掴むことができなかった。
「ふふん、捕まえたぞ」
「え、なんで」
いくら男子の方を見たといっても、こんなに早く階段からここまでこれるはずがない。
人に紛れようとしても、その格好と髪では、遠目でも気づく。
「なあに、ただ三階の教室から、そこの教室に降りただけだ。ここに居るのは判ってたしな。そして、お前が目を離している隙に一気に」
少女のすぐ側の教室から、遊離はでてきたようだ。
「降りたって」
「うん。窓から」
窓の外。若干の足場はあるが、それでも実際に三階から二階へ移動できる度胸のある人間がいるだろうか。
少女は呆れ果てる。
しかしすぐに、危険な状況を思い出し、暴れた。
「こら、おとなしくしろ」
とっくみあいになる。それでも、遊離は決して手を離さない。
どんどん遊離の服がぬげていくが、力では優っていたようで、最終的には胴を腕で抱える形になった。
下着丸出しの女子高生が、女子小学生を、抱えている。
それは前に天斗と一緒に買った、赤い下着だった。
「うわー、派手なの着けてる」
「でも、なんか格好いいかも」
「で、でけえ」
男子や女子がその光景をみて、口々に感想をもらす。
(あれ、あの時のだ。本当に着てるとこ見せられちゃった。……わざとじゃないよね)
天斗は一人、周りとは別の事を考えた。
遊離はそんな視線や声には我関せず、少女に語りかける。
「人の物を食ったら泥棒だぞ。悪い子にはきちんとおしおきだ」
そう言って、遊離は手を掲げた。
食い物の恨みは恐ろしい。
「これが、クラスメイトの弁当の分」
その掲げた手で、少女のおしりをぺちんと叩く。
さすがに、服の上からである。
「ひゃん」
衝撃でスカートが揺れ、白いものがチラリと見えた。
「これが、牛乳の分」
またぱちんと叩く。
「あん」
少女はさっきから、変な声を出しているが痛くないのだろうか。
周りの眼があるせいか、顔が赤い。
「そしてこれが、私の弁当の分だ」
最後のようで、先の二発より、強めに叩いた。
「んあっ。わかった。もう、痛いからやめて」
少女はついに弱音をもらして、足をばたつかせる。
(反省、したのかな)
これでやっと事件解決かと天斗が安心しそうになった時、
「おい。そこでなにをやっとるか」
階段から、教師が一人上がってきて、遠くから大声でそう言った。
「わっやば」
今更ながらの教師の登場に、焦る天斗。
遊離は下着丸出しだし、小学生もいる。
このままでは、指導室にでも連れて行かれて、説教確実だ。
「逃げよう。遊離」
「む、了解だ」
「なになに?」
そう言って、天斗は遊離と少女の手を掴み、誘導するように引く。
遊離も、少女を抱えたまま走りだす。
「あれ? どこいった。消えたぞ」
天斗の力で、突如消えた遊離と小学生を、見回し探す生徒達。
教師も現場にたどり着いたが、二人を見つけることはできなかった。
三人は人気の無い、校舎裏に移動した。
木々とフェンス、校舎の間で、木々であまり見えないが外もあまり人通りはなく、陽の差し込みが悪いせいかやや薄暗い。
「お兄さんって、こんな顔だったんだ」
「なっ!?」
教師の目から逃れて、落ち着いたと思ったら、突然少女がそう呟いた。
遊離以外には見えないはずなのに。
とても驚いて、思わず手を離してしまう。
「あ、消えた」
「え? え?」
「ふむ」
その一連の流れを見て、顎に手をやり考える遊離。
「天斗、今まで私以外と手を繋いだこと、あるか?」
「え? な、ないよ」
まるで浮気調査の質問だが、遊離の考えは違うようだ。
「もう一度、この子と手を繋いでみろ」
「うん」
よくわからないが、言うとおりにする。
遊離の手とは違う感触だ。そこまでドキドキしない。
「あ、また見えた」
「……ああそっか」
さすがに天斗も気づいた。
今まで遊離以外には、誰にも見えなかった。触ろうが、文字を残そうが、駄目だった。
でも、手をつなぐ間だけ、相手に見えるようだ。
その間、同じように姿が見えなくなるからだろうか。
なんだかどんどん、この不思議な力の事がわかってきた。
初めてこの力を持った時は、絶望しか感じなかったのに。
手を繋いでる間なら逢えるなら、今まで伝えられなかったことも伝えられるんじゃないだろうか。
例えば、家族に。
気持ちがざわつく。
いますぐにでも、行くべきだろうか。
「天斗」
黙りこむ天斗に、意識を戻すように呼びかける。
遊離の方に顔を向けるが、今自分がどんな顔になっているのか、天斗にはわからない。
「あまり事を急ぐな。良い事無いぞ。その件については、あとで二人でじっくり考えようじゃないか。今はこの子についてだ」
「う、うん。そうだね」
深呼吸して、落ち着くように努める。
気づいたら手は離れていた。
(そうだ。遊離がそばにいるんだ。焦る事なんてない。それに、この子が言ってた例の人の事も気になるし)
冷静になると、一つ気になった。
「遊離、これ着て」
上着を脱ぎ渡す。まだ遊離は、ほぼ下着のままだった。
このままでは風邪をひいちゃうし、なによりこっちが恥ずかしい。
本当は下も着せてあげたいが、手元にはない。
「ああ、悪いな」
それを羽織った。
「それで、お前名前は? 私は遊離結、こっちは高井天斗、ってもう知ってるかな」
天斗が平常に戻ったようなので、遊離は少女に聞いた。
「ぼくは道成満だよ。うん、二人の事はもう聞いてるのだ。お兄さんお姉さん」
遊離を見上げて、道成は答えた。
名前をわかっていても、お姉さんと呼ぶ。何かこだわりでもあるのだろうか。
「そうだ、その人。だれに私達の事を聞いたんだ? そいつに石も貰ったんだろう?」
「そうだよ。お姉さん達も石を拾ったんだよね。それで、そんな不思議な事に」
遊離は頷く。
「ぼくに石をくれた人はね、髪が金色で、おっぱいも大きくて、服は黒くて、なんかツノ? みたいなのも頭に生えてたよ」
「……」
それを聞いて、二人は黙りこむ。
(なにそれ、コスプレ? 不思議な石を手渡すくらいだから、格好も変なのかな)
「ふふ、大きいおっぱいか。どれくらいだ?」
遊離はまずそこを尋ねた。胸を張りながらだ。
(なぜそこを聞く)
「うーん。お姉さんと同じくらい」
じっくりと、遊離の胸を眺めて、道成はそう答えた。
(遊離と同じくらいの人なんて、いるんだ……)
本題とは無関係だが、それはそれで、天斗には衝撃的だった。
「それはますます会ってみたくなったぞ。今どこにいるか知ってるか?」
「ううん。すぐにどこかへ行っちゃったから」
「どうしてそいつは、満に石を渡したんだ? 私達や、もう一人は石は拾ったんだが」
もう一人とは、テレポートの力を持つ、恩田の事だ。
「石をくれた時に言ってたよ。君はお友達がいないから、あたしが面白い奴を二人、紹介してやろう。この石の力を持っていれば、食いつくはずだ。って」
何やら、モノマネなのか、力を込めるように、嘲笑するように、そう言った。
あっさりと、友達がいないことを暴露している。
やはり、先程の騒動は遊んでいるつもりだったのだろう。
度が過ぎすぎて、遊離におしおきされてしまったのだが。
「なるほど。大食いの能力だけに、食いつくか。ふふ」
「えええ。何がなるほどなの」
またもや的を外したような事をいう。
「そういう事なら、私達が友達だ。な、天斗」
「勿論」
天斗は頷くが、道成には見えていない。
「ほんとに? やった」
それでも、とても嬉しそうだ。さっそく、連絡先を交換した。道成の方は、家の電話番号だったが。
「なんなら、今度家に来てもいいぞ。牛乳はやらんが」
「大人気ないよ。遊離」
「よし。では、そろそろ授業に戻るか。若干遅れてしまったが、問題なかろう」
話はすんだようで、遊離はそう切り出した。
「問題あるよっ。遊離の服っ。それにいま戻ったら、色々聞かれて、大変そうだよ」
「ふうむ。なら帰るか。どうせあと、一つや二つくらいだしな」
時間割を頭に浮かべる。
「ちゃんと人に見えないように、手を繋いでね。その格好じゃ、警察が来ちゃうよ」
「そんなに私と繋ぎたいのか。しょうがないやつだ」
「ちがーうよ」
「あは。お姉さん面白い」
一人漫才に見えたのか、道成は笑い出す。
「ふふん」
それに、にやりと返す遊離。
「じゃあ、ぼくもそろそろ行くね。またねお姉さんお兄さん」
「ああ、またな」
そう言って、道成は去ろうとしたが、遊離が思い出したように声をかける。
「そういえば、石をくれた人は名乗らなかったのか?」
「名前かどうかわからないけど、言ってたよ」
道成は真剣な顔だ。
「あたしは悪魔だって」
「悪魔、かあ」
道成はそう言っていた。
あの後、仲良く手を繋いで二人は家に戻った。
夕飯の天ぷらを箸でつまむ。さっくりとして、案外美味しくできた。
最初作れるか不安だったけど、書いてあった通りにしたら意外と簡単だったのだ。
大量の油を使ったので、遊離がどきどきしていて、何度か火を消されてしまったが。
「本物かどうかはわからないぞ」
「でも、石の凄まじさを考えると、悪魔くらいいてもおかしくないのかも」
完全にこの世の法則を無視した石の存在。どこかの研究機関に持っていったとしても、何もわからないだろう。
「それもそうか。どちらにしても、必ず見つけ出さないとな」
「そうだね」
やっと手がかりが見つかったのだ。
もし会えたら、天斗が受けた迷惑な石の力をどうにかしてもらわないといけない。
悪魔に話しが通じるのかが心配だ。一応人型のようではあるけれど。
「悪魔といえば、道成ちゃんが言うには、僕達の事を知っているみたいだったね」
「面白いやつを二人紹介してやる、だったか。監視でもされているのかな」
「それなら、遊離の力に引っかからないかな」
近くにいたりして。
「あの時言われてから、注意してみたが、みつからなかった。そもそも、その悪魔とやらが石を生み出したのなら、その力で見つけるのはおそらく無理だ」
「そりゃそうか。ふぐが自分の毒で死ぬわけ無いよね。悪魔には、僕の姿も見えてるって事か」
「恐らくな」
悪魔について考える二人。何ができるかわかりやすい石に比べて、悪魔は何が何だか、さっぱりわからない。
今わかるのは見た目くらいか。
それすらも、悪魔なら変えられるのかもしれないが。
監視。天斗はこれまでのあれこれを考えて、何かを思いつきそうになるがでてこない。
「まー悪魔については、次の手がかりを何とか探すか。それより、天斗、どうするんだ?」
「ん?」
「ほら、手を繋げば、人に会えるっていうやつさ。家族に逢うのか?」
「ああ、そのことか。……色々と、難しいよね」
冷静になった頭で考えると、問題が色々とある。
手を繋いでる間だけしか会えないのだから、幽霊か何かと思われるかもしれない。
もし信じてもらえたとしても、一緒に生活するのは至難の業だろう。
最初の接触も、相手が驚きすぎて、大変な事になるかもしれない。
「もし天斗に逢う気があるのなら、私も一緒に行くぞ」
遊離はそんな、心強い事を言う。
「どうして、遊離はそこまでしてくれるの?」
もう既にかなりお世話になっているが、いまさらながら、そう聞いた。
「なんだいまさら。水臭いぞ。ここまできて、いきなり見放すわけがなかろう。それに、私だって天斗には色々と感謝している。料理だとか、話し相手だとかな」
「そっか。うん」
天斗はその言葉を聞いて、決意を固めた。
「僕、会いに行くよ。両親は柔軟ってわけでもないし、とても力の事を信じられないと思うから、妹にだけ、会いに行こう」
「うむ」
力強く遊離は頷く。
「そうと決まれば、いつ会いに行く? 明日か? そもそも、天斗の妹の名前は? 歳は?」
「名前は凛だよ。歳は十四。中学生だね」
「それなら、明日学校を休んで、下校するところを狙うか」
遊離はあっさりとそんな事を言う。学校を休むことを、全然気にしないのだろうか。
しかし、天斗もそれに同意した。
「うーん、そうしよっか。今日の騒ぎも、少しは収まるかもしれないし、普通に下校してから行っても、間に合わないだろうし。なるべく外で会いたいからね」
「よーし。凛の下校は夕方だよな。それまで、遊びにくりだすか。天斗も、あまり思いつめないで、気持ちを楽にしたほうがいいぞ」
「うん。大丈夫。お出かけかあ。前みたいに、また石を拾った人が現れたりして」
「さすがに、そう何度もあるわけなかろう」
「そうだよね」
何処へ行くのか、楽しみだ。
最も、最後には妹に会うという心が痛みそうなイベントがあるわけだが。
最悪殴られるかもしれない。
なるべくネガティブにならないようにしながら、それでも妹を何日もほったらかしにしたことに、気を重くする天斗だった。
「天斗、今日は弁当が必要だ。用意してくれ」
朝一番で、遊離はそう言った。
「え? お出かけなら、お店で食べればいいんじゃ?」
そのつもりで、起きてから朝ごはんくらいしか用意していない。
「いや、今日はずっと手を繋ぐぞ。天斗の力体験日だ。だから、店では食えない」
「えええええ」
朝から驚いた。
(ずっとって、妹に会うまで? 片時も離さず? 緊張しすぎて、変な行動に走らないかな)
「嫌か?」
「嫌じゃないです」
それでも、願ってもない申し出だ。
思わず敬語になってしまった。
「ならば、よろしく頼むぞ」
「うんっ」
こうなったら気合を入れて弁当を作るしかない。
材料は限られているが、料理は心、という偉大な言葉を胸に掲げる。
一つ一つ丁寧に。
微細な舌の感触を煩わせないように、いらないところを取り除く。
時間はかかったが、なんとか完成に至った。
準備も終わり、遊離が玄関で待つ。
遊離は今日も下はズボンで、上も体のラインがわかるような、薄手の服だった。
「さあ、行くぞ」
そう言って、遊離は手を天斗に向けた。
その手の上に、天斗は自分の手をのせる。
二人は手を重ねたまま、家を出た。
「何処に行くの?」
まだ午前中であり、時間はたっぷりある。
こういう時はプランを決めておいた方がいいのかもしれないが、遊離がもう決めているようなので、それにならう。
「まずは公園だ。森緑の香りをかごう」
公園といえば、近くのあそこかなと天斗は思い浮かべた。
それなりに大きく、一回りするだけで徒歩なら結構かかる。
自転車で走る人もいるくらいだ。
ボートはさすがに浮かんでないが、池もある。
ほとんど何もない公園を歩くだけなんて、若者にしては大人しい行為だったが、遊離と天斗はゆったりと、その公園内を歩き回った。
「お、天斗、あそこにカップルがいるぞ」
「しっ、見ちゃ駄目」
池を見たり、木々を見たり、人を見たり、ベンチで休んだり。
適当に楽しんだあと、移動することにした。
「せっかく人から見えないのだから、普段できないことをするか」
「えっ。何するの」
遊離は近くの手頃なビルを指さした。
天斗はいくら見えないとはいえ、腰が引けたが、結局入ることになった。
ビルに入ると、平日の午前なので、皆仕事しているのが見れた。
「はっは。働くが良い」
「社長の気分?」
遊離は片手を腰にあて、ふんぞり返る。
社会人の一人に的を絞って、追い始めた。
彼はまだ新人のようで、しきりに謝ったり仕事を覚えたりしていた。
高校生の二人には、随分と新鮮な光景だ。
そのまま人にぶつからないよう注意しながら、結構な時間を過ごしてしまった。
「そろそろお昼か。ならば、移動だ」
遊離は時間とお腹の具合を確認し、そう言った。
事前に場所のあてを決めていたらしい。
ビルの出口へ向かう。
「どこで食べるの?」
「ふふん、とりあえずはお楽しみに、だ。電車に乗るぞ」
歩を進めて、駅に辿り着く。
今の二人なら無銭乗車も簡単にできるが、律儀に切符を買った。
近くなので、大した金額ではないが。
手を繋いだまま切符を改札機にいれ、ホームに入る。
「さすがにこの時間だと、通勤ラッシュとやらもないな」
「経験したことないよね。僕もだけど」
天斗は本等で得た知識を元に、一体どれくらい苦痛な電車内なのか、想像することしかできない。
すぐに目的の駅につきまた歩き出す。
駅を出ると遊離が、
「あれだ」
と、その建物を指さした。
そのビルは周りをみてもひときわ大きく、目立っていた。多く備えられた窓が太陽の光を反射している。
一体何のビルだろうと、天斗は見上げながら思う。
やがて正面についた。そこから見上げると、首が痛くなる。
中に入ると、ただのオフィスビルのようだった。
先程の所よりも高級感があり、警備員もいた。
当然、二人にとっては意味のない警備だ。
そのまま一気に、屋上へと昇った。
「良かった。入れそうだ。さすがに下見はしていないからな」
「ここで食べるんだね」
エコロジーを意識しているのか、花や緑がある。さらに景色をみると、学校のそれより遥かに眺めがいい。
「いいね。気持ちい」
風は少しあるが、ぽかぽかしてて、暖かい。
「だろう。来たかいがあった」
景色を堪能したあと、弁当を広げる。
「ほほう。いつものとは違うな」
「うん。今日は結構動くと思って、いつもより多くしたんだ」
ひと目でそれはわかっただろう。
「うんっ。最高に美味い。卵焼きも、からあげも、うさぎの形したリンゴも、おにぎりも甘すぎず辛すぎず」
さらに、味の違いにも気づいた。天斗の腕も随分上がったようだ。
「良かった」
遊離の笑みに、天斗も笑顔になる。なんだか今までの積み重ねの集大成を、その弁当に込めたような気がしていて、それが報われたのだ。
嬉しくないはずがない。
食べ終わると、遊離が仰向けに寝転んだ。
「遊離、太るよ」
「いいから、天斗も同じようにしてみるといい」
仕方なく横になった。
すると、空が目前に広がった。
太陽はうまく雲に隠れて、まぶしくはない。それでも、青空と雲の割合がちょうどよく絵に描きたくなるほどの、空だった。
「夜だったら、星が最高なんだろうな」
遊離はそう呟く。
「今でも、十分綺麗だよ」
天斗はそれに答える。
その時ふと、あの遊離と出会う直前の、青空を思い出した。
しかし悲しくはならない。寧ろ、あの時と今の幸福度のあまりの違いに、身を悶えたくなる。
そんな事しようがしまいが、全面の青空の前ではちっぽけなことだったが。
側には、食事を終えたあとに手を繋ぎ直した遊離がいる。その手の存在感は、空の大きさの前にも負けていない。
二人はしばらく、静かにそうしていた。
天斗はそのまま、遊離と出会った直後や、その後のことを、一つ一つ丁寧に思い返していた。
それからもあちこち楽しんで、もう陽も傾いている。
二人は、凛の通う中学の正門の前で、待ちぶせするように待機していた。
「凛が現れたら教えてくれ。まず私が話しかける」
「うん。いきなり僕が現れたら、他の生徒の前でびっくりしちゃうもんね」
そうは言っても、手を繋いだとたん凛も他の人からは見えなくなるのだが。気分の問題だろう。
「凛は可愛いのか?」
「うーん。さすがに兄妹だから、わからないよ。髪はふわっとしてるけど」
「ふふ、そうか。なんて話しかけようかな」
何を想像しているのか、遊離はにやつく。
「また変なこと言って、逃げられないでよ」
恩田の時のことを思い出しながら、天斗は注意する。
「安心したまえ。私だって、真面目な時はちゃんとする」
「うん……」
その言葉に対し、天斗は思わず微妙な態度の返事になってしまった。
そのまましばらく雑談していると、
「あ、ほら、あれが凛だよ」
天斗は門から出てきた一人の少女を指差しそう言った。
白色の多いブレザーに身を包んでいる。
「よし。行くぞ」
二人は凛に近づき、遊離は、
「やあ、凛。私はお前の兄のパートナーだ。天斗が会いたいと言っているから、ちょっときてくれ」
胸を張りそう言い切った。
ぽかーんとする凛。
天斗はもうさすがに驚かない。むしろ予想の範囲内だ。
ここは姿を見せるべきかと思う。
「ふ、ふざけたこといわないでよ。お兄ちゃんはずっと姿を見せないのよ。連絡も一回もないし。冗談だとしても、悪質すぎる」
すごい剣幕で、凛はそう言う。
一体、どれだけ思いを溜め込んでいたのか。
すぐにその場を離れようとしたので、天斗は急いで、手をとった。
「あー。凛」
凛の後ろからそう呼びかける。
「もう、変な人が変な事いうから、幻聴までしてきた」
言いながら、声のする方に振り返る。
そして、またもぽかんと、目を丸くした。口まで開いている。
「ひ、久しぶり」
愛想笑いをうかべ、手をぱたぱた降る天斗。
天斗は、あまり妹を驚かせるのは本意ではない。
何か反応が欲しいと思っていたら、凛の手が伸びてきた。
そのまま、天斗の頬を掴みひっぱる。
「い、いたたた」
もちのように、よく伸びてしまった。
「ほ、本物?」
「本物だよっ。マスクで変装する人なんて、映画の中だけだよ」
痛む頬を手で抑えながら、突っ込むが、凛はまだ様子がおかしい。
震えながら、顔を赤くしている。
そして、天斗の胸に飛び込んだ。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん」
服に顔をこすりつけるように言う。天斗も、手を離さないように注意しながら、抱き返した。
「ごめん。なんの連絡もできなくて」
「生きでて、良かった」
凛の声は水分を含んでいて湿っぽい。
「ああ、生きてるよ。ちゃんと、僕はここにいる」
抱いていた手で、頭を撫でる。両手が使えないのが、もどかしい。
しばらく二人はそうしていた。
通行人には、何かに向かってうんうん頷く遊離の姿しか見えていない。
「それで、なんで今まで消えてたのよ。あとこの人だれ」
やっと落ち着いたと思ったら凛はそう言った。
遊離を指さしている。
「あれ。なんか冷たい」
まだ天斗が石を拾う前の頃の凛を思い出す。
手を離されないだけましだろうか。
「お兄ちゃん」
質問に答えないので、怒ったように凛は急かした。
「わ、わかったよ。何処から話そうかな。あの日、石を拾ったんだ。学校から帰らなかったあの日」
「石?」
「うん。それから、その日ちゃんと家に帰ったんだけど、凛にも、父さんや母さんにも、僕の姿が見えていないようだったんだ」
「嘘っ。あの日ちゃんと家中だって探したよ」
「だからね、姿自体が見えなくなっちゃったみたいなんだ」
「そんな非現実的なことあるわけないでしょ」
「そうだよね。僕だってそう思う。でも、ほんとなんだ」
なかなか信じてくれない凛。しょうがないことなのだが。
「天斗」
遊離はそう呼びかけ、自分の手を指で示す。
天斗はうなずき、手を離そうとしたが、なかなか凛は手を解いてくれなかった。
それでもなんとか、離す事に成功した。
「あっ」
凛は残念そうにそうもらす。そしてすぐに、天斗が消えたことに気づいた。
「お兄ちゃん、どこ」
不安にならないように、天斗はすぐ手をまた掴む。
「わっ。いた」
急に現れた天斗に、驚く凛。
「ね。手をつないでいる間だけ、姿が見えるんだ。そろそろ信じてくれた? というか、くれないと困るんだけど」
「……よくわかんないけどわかった」
懇願するように言う天斗をみて、凛はそう答えた。だがまだ話は終わっていない。
「それで、その人は誰なの」
びしっと指をつきつけた。遊離は余裕の表情だ。
「私は遊離結だ。私も石を拾ってな、人の位置がわかるようになった。それでなのか、天斗の姿も見える。なにやら困っていたので、部屋に呼んだ」
飛び降りようとしてたとは、さすがに言わない。
「そう。それ以来、ずっとお世話になってる人だよ」
兄の恩人ということがわかったのだが、凛はなんだかショックを受けていた。
「お兄ちゃん、ずっとこの人と暮らしてたの? そう言えば、さっきパートナーとかなんとか」
「……うん」
凛の表情を見ると、なんだか答えづらいが、事実なので頷くしかない。
パートナーかどうかは、天斗にはよくわからないが。
「うあ。お兄ちゃんがおっぱいの餌食になっちゃった」
「おって、何いってんのっ」
凛の爆弾発言にびっくりしてしまう。
「そ、そうだぞ。私はまだ何もしていない」
何を想像したのか、赤くなる遊離。
「え、まだって」
凛が目ざとく突っ込んだ。
「ち、違う。本当に何もしていない。天斗には、料理をしてもらったりしているだけだ」
「料理? お兄ちゃんそんなのできたの?」
「うん。できるようになったのは、ここ最近だけどね」
珍しく慌てる遊離を見ていたかったが、凛の質問に答えておく。
「ねえ、家に戻ってこないの? その体についてなら、私からもパパとママに話すよ」
「それは……無理だよ。もし信じたとしても、ほんの一時しか姿が見えないんじゃ、まともな生活はできないよ」
「ずっと手を繋いでればいいんじゃないの?」
なにげに凄い提案をする凛。一応想像してみるが、さすがに無理がある。
「いいわけないでしょっ。わかってくれ凛。今はこのヘンテコな力を何とかしようとしてるんだ。もし、元に戻れたらちゃんと帰るから、それまで待っていてほしい」
「……」
黙り込んでしまう。もしかしたら納得してくれないかもしれない。
しようがしまいが、天斗にはまだ家に帰る気はない。
「じゃあ、たまに、会いに行ってもいい?」
小さい声で、見上げるように言う。
「ああ、勿論だ。いつでも家に遊びに来てくれ」
遊離が答えた。天斗も当然頷く。いままでのように、遊離は凛とも番号を交換しあった。
「じゃあ、お兄ちゃん。今日は帰るね。またね」
名残惜しそうに、凛は掴んだ手を見る。
「うん。そうだ、お父さんとお母さんには、まだ何も言わないでね。余計な心配かけちゃうし、凛がおかしくなったと思われるかも」
「でも、何も言わないのも辛いよ」
それもそうかと、天斗は考える。しかしどう伝えればいいのだろう。
ただ生きてると言っても、理由を聞かれればおしまいだ。
「それなら、夢に出てきた事にしてみればどうだろう」
遊離がそう提案する。
「それくらいしかないのかな。ちゃんと生きてるって事を伝えないと、怒られそうだけどね」
「わかった。お兄ちゃんはちゃんと生きてるんだもんね。死んだことにされちゃ、たまらないよ。私、ちゃんと伝えるからね」
「あんまり暴走しないでね」
少々気合が入りすぎている気がして、天斗は窘める。
「じゃあ、今度こそ行くね。また会いに行くからね。具体的には、明日あたり」
「明日!? 別にいいけれど」
「またなー。凛」
遊離も手を振り、二人と一人は別れた。
二人も帰路につく。まだ天斗の力体験会は続いているのか、遊離は天斗の手をとった。
「どうだった? 天斗」
それは凛の事を聞いているのか、今日全体の事を聞いているのか。
「今日は色んな事があったね。ずっと触れてて、なんだか遊離と距離が縮まった気がする」
「な、恥ずかしい事言うな」
予想外の答えに、遊離はたじろぐ。
「それに、凛だ。会ってよかったよ。もっと早く会っておけば、泣かせずにすんだんだけど、それはできなかったし」
「凛はいい子だったな。私もあんな兄妹が欲しかったぞ」
「遊離は兄妹いないの?」
「ああ。もしいたら、一緒に住んでただろうな」
その場合、今の天斗の立ち位置がその子になるんだろうか。
天斗はそれはそれで見てみたい気もする。
「ところで、天斗は体が元に戻ったら、もううちには住まないのか?」
空を見ると夕日がまぶしい。道が狭いので、壁が影を作る。
雰囲気のせいなのか、遊離が寂しそうに、そう聞いた。
凛が言ったことを気にしたのだろうか。
「……うん。さすがに戻らないとね。いつまでもお世話になるわけにもいかないし」
「そうか。家ががらんとしてしまうな……」
「遊離、僕がいなくなっても、また部屋汚さないでね。あと、栄養ちゃんととらないと駄目だよ」
「ふふ、まるで母親のようだぞ。天斗。それに安心しろ。そうなったら、今までと違い出前もとる」
「それ全然変わってないよっ」
「なあに、そうなるのはまだまだ先の話さ。と言っても、早く手を打たねばな。……なんだか難しい」
遊離は明るくそう言った。
二つの気持ちに挟まれているのか、最後の方は声が小さかったが。
天斗も体を元に戻したいような、戻したくないような、複雑な気分だ。
思いついたことがあるのだが、それを試すと、今の生活が壊れてしまうような。
今はその時期じゃないと思いなおす。
「お、自販機だ。牛乳、あるかな」
「あるほうが珍しいと思うよ」
考えを中断して、遊離にそう言う。
「むむ、無い……。世界は私に優しくないな」
「この自販機一つに世界レベルのプレッシャーをかけなくても」
並んでいるラベルに牛乳がなかったので、遊離は悩みはじめた。
(牛乳以外に好きな飲み物ないのかな)
悩む遊離をみていたら、それに気づいた。
というか、もっと早く気づくべきだった。こんなに音もしているのに。
話に夢中になりすぎたか。
歩いてきた方から、車が一台こちらへ向かってくる。
手を繋いでいたので、当然運転手には見えておらず、ブレーキも踏んでいない。
「遊離っ」
咄嗟に、天斗は遊離を突き飛ばした。
それによって、ようやく遊離も車に気づいたようだ。
突き飛ばす時に手が離れ、遊離の姿が現れる。
そこでようやく、運転手もブレーキを踏み出した。
しかし天斗には間に合わない。
「ぐ」
ボンネットに跳ね飛ばされ、塀にぶつかり止まる。
いままで体験したことのない衝撃が、天斗を襲う。
タイヤと路面の擦れる音やら、鉄と肉のぶつかる音やら、コンクリートに人間がぶつかる音がした。
聞こえたのは遊離だけだ。
やがて車が止まったが、無傷の遊離をみて、すぐに去ってしまった。
天斗の事については、まるで気づいていない。
改めて石の恐ろしさを知る遊離だったが、そんな事を考えている場合ではない。
すぐに天斗の元に駆け寄る。
ぼろぼろだ。
血が腹や口や頭から溢れ、足が変な方向に曲がり、嫌なにおいもする。
「た、天斗……」
手をとり、呼びかける。
「ゆ、うり。よかった」
遊離が無事なことに、安堵する天斗。
「よくないっ。全然よくないぞ。私がもっとちゃんと、周りを見ていれば。こういう時のための私の力だろうが」
遊離は自分を責めるように言う。
「すぐに救急車を呼ぶからな」
そう言って携帯を取り出すが、番号を押す直前に呟く。
「誰にも見えない天斗をどうやって治療するというんだ」
予想していなかった不意打ちに、遊離の手が止まる。
しかし何もしなければ、間違いなく天斗の命は消える。
その時、天斗が苦しそうに喋り出した。
「遊離、聞いて」
「なんだ、別れの言葉なら聞かんぞ」
「そうじゃないよ。今すぐ、してほしいことがあるんだ」
この体で、最後まで言えるか不安だが、今はこれに賭けるしかない。
今まで考えていたことをまとめ、してほしいことだけを簡潔に遊離に話す。
「わかった。やってみよう」
変な指示だったが、遊離は信じてくれたのか、二つ返事で答えた。
遊離はそのままの姿勢で、すうっと息を吸い、胸を張る。
「しーおーりー! 用があるからこっちこーい!」
天斗が今まで聞いたことのないようなでかい声で、遊離は力いっぱい叫んだ。
見える限り、当然、卸はどこにもいない。
やがて残響も消え、静かになる。
(駄目だった、かな)
天斗が諦めかけた時、それは現れた。
「やー、呼びましたか遊離さん。たまたま歩いていたら急に呼ぶ声がしたので、びっくりしちゃいましたよ。それで、何のようです?」
遊離の後ろから現れたのは、卸栞だ。無論彼女には、重傷の天斗は見えていない。
しかし、
「おい、栞。なぜ私が見えている」
遊離はそう尋ねた。
言いながら、体の影に隠すようにしていた手元を、栞に見せる。
天斗と繋いだままのその手。
石の力によって、遊離の姿は誰にもみえないはずだ。どでかい声も、近所迷惑にはならない。
ただし、悪魔を除いては。
(良かった。当たってたんだ)
安心したせいか天斗は意識が遠のく。
「え? 見えてちゃおかしいですか? いままでだって、仲良くお話したじゃないですか」
卸は楽しそうに、大仰に身振り手振りを混じえながらそう言った。
対する遊離は笑う余裕もない。
むしろ睨みつけている。
「小芝居はいいから、この状況を何とかしろ」
そう言われて、卸は動きを止めた。
それどころか、遊離が瞬きした途端、別の姿になっている。
道成が言っていたように、黒い服で、ツノのようなものが生えていて、胸が大きくて、夕日に反射しているのかきらきらしている金髪。
「えへへ、天斗くん。痛そうだねえ。あ、気絶してるから、全然平気かなあ。ん? 気絶と平気って両立するのかな。まあいっか」
開口一番、卸の時と全然違う口調で、そう言った。
「おい」
怒気をはらんだ声で、遊離は再度悪魔に呼びかける。
「そうだねえ。せっかく、あたしの力を得た二人が、それがきっかけでらぶらぶになりそうで、まるであたしってば恋のキューピッドかってくらい面白かったのに、ここで死んだらつまんないよねえ。じゃあじゃあ、選ばせてあげようかな。悪魔から人間への、悪魔の選択だ」
体をくねくねしながら、ぺらぺらと無駄に喋る。
しかし最後の方の言葉に、遊離は反応した。
「なんだ」
「ずばり、天斗くんの体を治してあげるか、石の能力をとりあげて、元のただの人間に戻るか、ですだすどす。ずばり二択っ。どっちをするにしても、あたし疲れちゃうからねー。
あ、お喋りするくらいの治療はしてあげます。仲良く二人で話し合ってねー」
相変わらずボディランゲージをしながらの語り口だ。
「ふん、そんなの聞くまでもない、決まっている」
「遊離、ちょっと待って」
意識が戻り、先程よりも体が軽い。
むしろ怪我なんてしていないように天斗は喋ることができた。
「なんだ天斗。まさか石の力を消す方を選ぶ気か?」
「遊離、それで僕の家は元に戻るんだよ。もうあんな、暗い家はなくなるんだ」
真剣な表情で、天斗はそう言った。
遊離に会う前の、石を拾ってから家にいた間の事を思い出す。
誰も彼もが溜息をついていたあの家。
天斗はついわがままを言うように、願いを押し付けてしまう。
「僕だって、遊離と離れるのは嫌だけど、石の力がなくなったって、会えなくなるわけじゃない。いつでも会えるんだよ」
当然力が消えたら、天斗は元の家に戻るが、遊離が望むなら、部屋の掃除だって、料理だって、することはできる。
「それに、今すぐ怪我を治さなくたって、死ぬとは限らない。力を消してから、救急車を呼べば、助かるかも」
「巫山戯るな」
天斗の説得を、遊離は力強く遮った。
その迫力に、天斗は何も言えなくなる。
悪魔はこちらを見て、にやにやしたままだ。
「あまり冗談を言うものではないぞ。死ぬとは限らない? 助かるかも? 死んだら終わりなんだよ!」
先程の卸を呼ぶ声よりも大きいかもしれない。
少なくとも、天斗にはそう感じた。
「死んだらもう取り返しがつかないんだぞ。天斗の家族もだ。おい、あの時飛び降りようとした時と、何も変わっていないのか? また命を投げ出すのか? 私と過ごした日々にも、何も感じなかったのか?」
「違うよ遊離。僕は変わった。あの時はただの弱虫で、文字通り投げ出す事しかできなかったけど、今は違う。遊離に助けられたし、遊離の力強さに憧れた。遊離が命を守りたいように、僕にだって守りたい物がある」
家族は今も天斗を忘れず探しているだろう。
何度も諦めかけたかもしれない。それでも、諦めきれず。
凛の様子を見て、そう思った。
早く笑顔で戻って、安心させたい。
「ふん、綺麗ごとをぬかすな。天斗のはただの無謀だ。いいじゃないか、体を治してから考えれば。そこにいる悪魔は信用ならないが、他にも方法はあるはずだ。明日も、凛に会うんだろう? 命を失ったら、それもできないんだぞ」
天斗は言われて、凛とした約束を思い出す。
あの時、凛に泣かれて、もう泣かせたくないと思ったけど、もし死んだら今日の比じゃないくらい、涙を流すだろう。
(なんか、嫌だなあ)
「……わかったよ、遊離」
天斗の胸の内は決まった。
「あ、話終わっちゃう? もっとしててもいいのに。ビデオに録画したいくらいだったよ。えへへ」
悪魔の軽口を気にせず、天斗は答えた。
「悪魔さん。僕の体の傷を治して」
「ほいさあ。遊離ちゃん、信用ならないとか言わないでよー。ちゃんと治すんだから。見ててよね」
嬉しそうに、指を振る。途端、天斗の体に異変が起きた。
天斗の周りに散らばった血や肉が、凄い勢いで、体に戻っていく。
さらに、ぐちゃぐちゃだった傷も、うぞうぞと音をたてながら、段々綺麗な肌に戻ってきた。
やがて天斗の傷は、全て綺麗さっぱりなくなった。治っていく光景は、悪魔らしくグロテスクだったが。
「はい元通りー。あー疲れた。まったく悪魔が人の怪我を治すなんて、なんの冗談ってかんじだよね。ほんとは、治したんじゃなくて戻したんだけどさ。まったく……」
「天斗っ」
その後も、何やら悪魔はごちゃごちゃと喋りつづけていたが、遊離は構わず、天斗を抱きしめながらそう言った。
「わぷ、苦しいよ遊離」
遊離の大きい胸が、天斗の吸うはずだった酸素を遮る。
しかし圧力もすごいが、柔らかさも凄まじかった。
遊離の匂いや感触や体温を、全身で感じてしまう。
「遊離、ちょっとはなれ」
あまりくっついていると、なんだか身体が熱くなってくる。
それはまずいと思い離そうとしたのだが、
「全くこれだから天斗は放っとけないんだ」
遊離は気にせず、天斗の耳元でそうささやいた。
先程の命の話の事だろう。
もう少しこのままでもいいかなと、天斗はそう思った。
「な、何見てるんだ」
恥ずかしそうに、遊離は身を離しながら言う。落ち着いてきて、現状を認識したようだ。
なんと悪魔はまだ頬に手をあてて見ていた。
「早くどっかいけ」
「まあ、邪魔者を消して二人で何をするつもりなのかしら。若さあふれる情欲をぶつけあうのかしら。わかったわ。バレないように、こっそり影から見させてもらうことにするわ。
って言っちゃったらバレちゃうか。えへへ。そろそろ面白い事もなさそうだから、消えてもいいんだけど、まだ聞いてないことあるんだもん。ねえ、天斗くん。どうして栞があたしだってわかったの? せっかくおっぱいの小さい格好にしたのに」
確かに、卸の姿と今の悪魔の姿では、その部分の格差はすさまじい。
といっても、他にも髪とか背とか色々違う所はあるのだが。
「別に、確信があったわけじゃないよ。そうだったらいいなって思っただけ。気になったのは、遊離が最初、名前を知らなかったこと、噂を集める力が優秀すぎること、あと、見えないはずの僕に一度もぶつからなかったこと。悪魔は僕達を気にしてるって、満ちゃんが言ってたから、呼べば声は聞こえるとおもったよ」
これでも、姿が見えなくなってから、結構人にぶつかられている。
避けるのも一苦労だ。
「面白そうな二人組ができたから、クラスに潜り込んだんだけど、ちょおっと強引すぎたかしら。でも、ほとんど当てずっぽうだったのね。それにまんまと引っかかっちゃったのね。まあったく天斗くんが死にそうだから、焦っちゃったのかしら。あんな小手先に引っかかるなんて」
頭を抱えている。相変わらずオーバーな動きだ。
「ま、でもでも、だいたいわかったわ。じゃあ、あとは若い二人にまかせて、おいとましようかな。しちゃおうかな。今日みたいに学校休んじゃ駄目だゾ。また明日ねー」
そう言って、悪魔は姿を消した。
「なんだあいつ、これからも学校、来るつもりなのか」
おそらく、卸栞として。
「みたいだね。遊離、僕達も帰ろう。なんだか疲れちゃった」
傷は治っても、痛みは記憶に残る。
「そうだな。帰ろう。疲れには牛乳だぞ」
「それはあまり聞いたことないよ」
二人は同じ家へ、足を運ぶ。手は、繋がれたままだ。二つの影が、夕日によって伸びていく。
翌日二人がいつものように学校へ行くと、卸は普通に教室にいた。
遊離は天斗の能力をすぐ戻せと掴みかかったが、
「いいですよ?」
卸は軽い口調でそう言いのけた。
「え?」
「あは。その顔面白いです。写メとっていいですか?」
「おいふざけるな。締め上げるぞ」
「悪魔を脅さないでくださいよ。怖いなあ」
肩を縮める様子はポーズとしては怯えているが、そんな様子が微塵も感じられない。
黙ってやりとりを見ていられなくなり、天斗も口をはさむ。
「それ、本当なの?」
「ええもちろん。悪魔は嘘つきません。前回の二人のやりとりがあまりにも可笑しくて面白かったので、それくらいはしてもいいかなと」
「やりとりって」
「ほらあれですよ。『僕にだって守りたい物はある』『笑わせるな。天斗のはただの無謀だ』とかとか」
かあっと顔が熱くなる。怒りと言うよりは恥ずかしさだ。嘲笑めいていたのに、何故か怒りはわいてこない。あえていえば、卸の物真似は全然似ていなかった。
「よし。それならすぐ……」
「なになにー? どしたの?」
遊離がなにか言いかけたところで、教室の女子達が集まってきた。今の卸の芝居がかった台詞のせいだろう。
「ま、まって遊離。とりあえず、人のいないところいこっ。ね?」
「まあ。人気のない所にうちみたいなのを連れ込んでどうする気ですか。3Pですか」
わけのわからないことをいう卸には答えず、二人で協力して連れて行った。
とりあえず屋上だ。
時間が時間なので、人はいない。それでも一応陰になる端っこで話を再会した。
「野外はどうなんでしょう。幸い望遠鏡で覗いてる人はいないようですが」
「ねえ、本当に本当なの?」
きょろきょろと変な事をいう卸を無視して、天斗は本題を尋ねた。
「しつこいですねー。あんまりしつこいと、女の子は逃げちゃいますよ」
「え、ご、ごめん」
「おい、天斗がどれだけ苦しんだと思ってるんだ」
「わかりましたよう。じゃあ、いきますよ」
そう言ったかと思うと、手をわきわきと動かして天斗の胸の前へ。それから一気に、胸の中に沈み込ませた。入り込んだ長さのわりには、背中を貫いてはいない。
「お、おい」
遊離が慌てたようにいう。突然目の前の人間の身体に腕が入り込んだら、誰だって驚くだろう。それが知り合いなら尚更だ。
さらにうねうねと手が動く。
「ぐ、あ、ふ、う」
心臓を掴まれているような、腋の下を両手で弄られているような、身体を中から洗われているような不思議な感覚が天斗を襲う。
気持ちいいとも気持ち悪いともいえるし、吐き気がするとも満たされているともいえた。
一瞬とも永遠ともいえるような奇妙な時間が流れた後、手が引き抜かれる。
その卸の手には、透明な石が握られていた。遊離にはその姿を捉えるのも一苦労だが、天斗にはわかる。あの時あの場所で拾った石だ。
「さて、これで天斗さんの姿は誰にでも見えるようになったわけだけですけど、見えるようになっちゃったわけですけど。これどうしましょう。またそのへんに捨てておきましょうか」
「やめて」
捨てていたのか。いくらなんでもまた捨てられてはたまらない。天斗のような被害者がまた生まれることになる。
そうしたら遊離がまた見つければいいのかもしれないが、天斗としてはそれもなんとなく嫌だ。
拾った人間が加害者になる可能性もあるけれど。
「た、天斗、戻ったのか? 私にはわからないが」
「うん……。そうみたい」
「天斗さんにはわかりますよね。これがどういった石であるか。……もう帰ってもいいですか? 授業始まっちゃいます」
悪魔の癖にそんなことを言う。授業なんて受ける必要があるのか、ただの冗句なのか。
「天斗、どうする?」
これからどうするのか。授業を受けるのか? いや、そんなわけがない。
帰るのだ。朝早い今ならまだ、家に誰かいるかもしれない。いないかもしれないけれど、それでもとにかく。
「僕、行くよ」
「そうか」
ぽつりと、遊離は呟いた。何か言うべきか迷う。
「なんだか寂しくなるな。別に会えなくなるわけじゃないが……」
「遊離、ごめん。そして、今までありがとう」
(こんな僕を救ってくれて)
屋上から出て行く。遊離は止めなかった。止めたら天斗を困らせると考えているのだろう。
「天斗さーん。また学校で会いましょうー」
卸の軽い声が響く中、屋上の戸をくぐった。どうやら学校に居続けるらしい。
いまだ私服で来ていたから、なるべく教師に捕まらないように学校を走り抜けた。
天斗のそんな姿をみて、振り返る生徒や教師達。
ちゃんと見えている。
たったそれだけのことが嬉しくて、その場に立ち止まり声をかけたくもなったけれど、天斗は自宅へ走り続けた。
そして、自宅の前だ。
一般的などこにでもありそうな2階建て。車が一台停まっていて、自分の部屋の窓がここから見える。
石を拾った日のことを何故だか思い出しながら、家の戸を開けた。
「ただいま」
エピローグ。
あれから、天斗は無事普通の生活に戻ることができた。
誰にも認識されないなんてことはなく、しっかりと目と目を見て会話できる。
学校に通ってみれば、しばらく行方不明扱いだったクラスメイトにやたらと驚かれ質問攻めにあってしまった。
まあこれも嬉しい事だけど。
妹なんて、昔よりも確実にべたべたしてくるようになった。もう手を繋がなくても見えているはずなのに、存在を確かめているように。
「ちょ、ちょっと遊離、これどういうこと」
「ん、何がだ」
「いやこの部屋だって。ちょっと目を離した隙になんでこんなに汚れちゃってるの」
あれからもこうして、遊離とはよく会っているのだが、部屋にあがってみれば見るも無残な感じになっていた。当然のように下着まで落ちている。
「うわー、あなた達の愛の巣ってこんなに汚れてたんですね。ただれてますねー」
何故か今日は卸も来ている。悪魔と呼ぶか迷う所だけど、見た目は完全に可愛らしい女の子なのでそう呼ぶのは憚れた。
「可愛いだなんて、そんな」
頬に両手を当てて、くねくね。
天斗の心中を当然のように読んでくる。さすがに学校ではこんなおかしな真似はしないが、今は事情を知るものしかいないからか。
「って違うって。あ、愛の巣って表現もおかしいし、僕が住んでた時はちゃんと綺麗にしてたんだからね」
本当に。
遊離が物を落とすたびに天斗が拾っていた。道標のために落とされたパンを拾って食べ歩くように。
(いやそんな怪しい真似ではないけれど)
「愛の巣だ」
「な、なんで誇らしげに言い切るのさ」
遊離は相変わらず強気というか男らしいというか。
「そうか。私と天斗の間に愛はなかったというのか。家族のように一緒に暮らしていたというのに」
「あ、あーそうね。うん。家族」
「いいんですか? 結婚しなくて」
「けっ」
卸の発言にあわてふためいていると、チャイムが鳴った。
遊離が呼んでおいた二人が来たようだ。
恩田御空と道成満。
あれからも同じ石を拾ったもの同士、仲良く遊んだりしている。満に関してはもう保護者のようなものだ。
ちなみに二人も遊離もまだ石の力を持ったまま。
大食いは無くなったほうがいいんじゃないのかと思ったが、満は満足しているみたいだし、そもそも悪魔がそっぽ向いたので、だ。
何か派手な事でもしないと聞いてくれそうもない。
「こんにちは。う」
「なはは。汚い部屋なのだ。さすがのぼくも食べたくない」
「た、食べなくていいよ。させるつもりもないし」
どんな児童虐待なんだ。
「おう来たか。いやあ随分賑やかになったもんだ。少し前まで二人、その前なんて一人だったのに」
「そうだね」
人の縁とは不思議なものだ。
けれど、もう遊離は一人じゃない。そして天斗も。
「さて、今日は何をする?」
「えっとそのまえに」
「ゲームがいいな」
満は言う。子供らしい遊びだ。
「人狼ゲームなんてどうでしょう」
人狼ゲームというものを天斗は知らなかったが、何やら不穏そうな名前だ。
「ツイスターゲームがいいです!」
「そ、そんなものないよ」
「買ってきます!」
「いやいや、いいよ」
どうしてそこまでツイスターゲームにこだわるのか。あれって確か、色の上で人が絡みあうゲームだよね、と思い出す。
このメンバーでそれは……、出来るわけがない。
「まったく、お前たちはまとまりがないな」
遊離がそんなことを言う。リーダーシップはあるのだが、肝心のリーダーがこれでは。
「それにしても、一つ屋根の下に女の子四人を連れ込むなんて、天斗さんはいやらしいですねー」
「えっ?」
遊離、道成、卸、恩田。果たして卸は女の子と。
「天斗さん?」
思考を遮るかのように、いい笑顔で呼び止められた。怖い。
「いやらしいってなんなのだ」
「ま、まさかそんな目的で」
道成と恩田も口を開く。
スタイルが良くて、救ってもらいまでした遊離。小学生で健康的な満。眼鏡をかけていて、色々な事を知っていて、そもそも悪魔な卸。他校の制服を着ていてテレポートなんかもできる恩田。
「って、ていうか、僕が呼んだわけじゃないし。そもそも僕は遊離に会いに来ただけで。ね、ねえ遊離」
「本妻発言きました!」
「うむ。できれば一々会いにこず、ここにまた住んでほしいくらいだ」
「今度は同棲発言です」
「そ、それはえっとその」
「もじもじしています。女の子みたいです。意識しすぎて逆にできないんでしょうか。ここは夫の遊離さんが優しく語りかける場面では」
「変な実況入れなくていいから」
「ねー、そんな事よりゲームー」
満らしいというか小学生らしい興味の方向である。
「本妻がいるなら安心です」
「そうですよね。身の危険を感じませんよね。ただでさえこんななよなよした奴が相手では」
「そんなに? ていうか卸さん本性でてない?」
今にも悪魔の姿になってしまいそうだった。
「私の嫁になんてこというんだ」
「ちょ遊離おかしいから」
その後もきゃいきゃいがやがや騒ぎたてる面々。これまでの苦労や、石を拾った苦悩が嘘のようだった。
しかしそろそろ、天斗としては言わなければいけない事がある。
女の子達が楽しそうにこれからすることを決めてしまいそうだったので、余計にはっきりとだ。
「ねえ、皆」
ちゃんと皆こちらを向いてくれた。認識はされている。人と人は繋がっている。
「そろそろ部屋、片付けようよ」




