お互いに、生きたい空の下で
武頼庵様の自主企画「木枯らしの風景企画」参加作品です。
去年の2025年5月に行われたしいなここみ様の自主企画「瞬発力企画」のお題「東京」に出した作品を、加筆修正したものです。
破局して話が終わっていますので、苦手な方はご注意ください。
電車からホームに降り立つと、正面はもう外だった。東京じゃあり得ない光景だ。
さらにその先に彼氏の姿が見えて、顔をしかめてしまった。上は作業用のベストに、下も同様の作業用パンツ。首には手ぬぐいを巻いて、靴は黒の長靴。
間違っても、遠路はるばる東京からやってきた彼女と会うのに、相応しい格好じゃない。
ああやっぱりなぁ、と思うと少し悲しくなるけど、決めてきた覚悟が揺らがないのはありがたかった。
***
「よぉ。久しぶり」
「うん」
挨拶すると、彼はさっさと背中を向けて歩き出す。
「今日はさぁ、本当は柿でもあげようかなと思ったんだけど、全部鳥に食べられちゃってさぁ」
話しかけてはくれる。けど、私が後をついて行っていないことに気付かない。
「――ねぇ颯真」
この場から動かず言ってみると、彼はふり返った。
「なんだよ」
少し不機嫌そう。……もしくは面倒そうだ。大丈夫。今から、解き放ってあげるから。
強い風が吹いた。冷たい風だ。そういえば、天気予報で今日は木枯らし一号が吹くかもしれないって言ってたな、とふと思う。
風に負けないように、私は声を張り上げた。
「私、颯真にお別れを言いに来たの」
「……は?」
「もうここには来ない。今日でさよならしよう?」
「い、いや、ちょっと待て」
離れていた距離を、彼が戻ってきて詰めた。
「どうしたんだよ。なんで急に……」
「少なくとも、私には急じゃないよ。前から考えてた」
ブラック企業に勤めて体も心も壊れた彼は、東京から離れた田舎で農業を始めた。一方の私は、まだ東京暮らしだ。
遠距離恋愛だけど、それも悪くないと思った。虚ろな目をした彼の表情が、元気を取り戻しているのを見るのは嬉しかった。「東京へ帰って、会社の人に会ったら嫌だ」という彼のために、会うときにはいつも私が来ていることだって、別に不満があったわけじゃない。
「私は、東京で暮らしたい」
来るたびに思い知らされるようになった。
ここは私の暮らす場所じゃない。
「だから、もうお別れしよう」
知ってるから。同じく農業やっている家の娘さんと仲良くなってること。その時の彼の表情が、嬉しそうで照れくさそうにしていること。
その頃から、私が会いに来ても服装を気にしなくなった。農作業をする格好のまま、私の前に現れるようになった。笑顔が減って、億劫そうな表情を見せるようになった。
また風が吹く。私と颯真の間を吹き抜けていく。
風に混じるのは、土や水、草木の匂い。目に映るのは、畑なのか田んぼなのか、むき出しの土が続く土地。自動車はまばらに走るだけで、信号機もほとんどない。
上を見上げれば、遮るもののない広い空。空気は澄んでいるし、水も美味しい。ここで水道水を飲んだら、美味しくてビックリしたこともある。見たことはないけど、夜はきっと星空が綺麗に見えるんだろうなと思う。
東京に帰れば、高層ビルが突き刺さって空は狭い。水は消毒臭いし、夜だって星なんかほとんど見えない。風に混じるのは、排気ガスやアスファルトの匂い。
でも、ここに来る度に思う。私は東京がいい。東京にいたいんだって。
彼の言葉を待つ。けれど、その口は一文字に結ばれたまま動かない。それを確認して、私は言った。
「じゃ、バイバイ」
無言は了承だと受け取って、踵を返す。けれど、慌てたような彼の声が呼び止めてきた。
「ま、待ってくれ……!」
「なに?」
一応振り向いてそっけなく問うと、彼はうつむいた。
「……ごめん」
「別に謝ってもらうことはないよ」
強がっているつもりもなく、そう思う。
「私は私でいい人見つけるから。颯真も幸せになってね」
私から言い出さなければ、近いうちに彼の方から別れ話があっただろう。それを察したとき、「しょうがないか」程度しか思わなかったんだから、私の気持ちだってもう彼から離れていた。
「じゃあね」
今度こそ、呼び止める声はなかった。
田舎で居場所を見つけた彼。都会で生活したい私。お互いに、生きていきたい空の下が違っただけの話。いつかはこうなると思っていた。
スマホを見る。東京に帰ると、ちょうど15時くらいになるだろうか。どこかケーキ食べ放題の店にでも行って、一人でお別れ記念パーティーでもしようかなと思う。
別れたばかりなのに、心残りも何もないのが笑えてくる。
「よし、帰ろう!」
駅のホームに入る。
東京の、高層ビルが突き刺さっている空が、すでに懐かしい。
今日で最後になるだろうこの景色に別れを告げて、スマホでケーキ店の検索を始めたのだった。




