ヒロインはもういない ~転生して五年、マンガの世界だと気づいたけど詰んでるかもしれない~
まず言い訳をさせてくれ。
前世の記憶が戻ったのは十歳のときだ。
「ここ、もしかして原作ありの世界じゃね?」
そう思ったことは、一度や二度じゃない。
だが、この世界には“決定的な要素”がなかった。
トラックに跳ねられた後に神様に会った記憶もなけりゃ、チート能力を選んだ覚えもない。魔法陣で召喚されたわけでもなく、ただ「気づいたらスラムのガキに記憶が混ざっていた」だけの、ドラマ性のかけらもない乗り移り転生。
数多の転生モノを読んできた俺にとって、それは可能性の一つに過ぎなかった。
街並みはそれっぽい剣と魔法のファンタジーだが、決定的な要素がない。
偉大なる航路や悪魔の実、あるいは「グルメ時代」と聞けば、あの世界だと分かる。だが、ここにはそういう固有の象徴がなかった。
要するに、判断材料が少なすぎたんだ。
俺はスラムのガキだ。知識なんてほぼゼロ。
名前はルーク。黒髪に白メッシュ、緑の目。
……だが、そんな見た目の奴はこの街に何人かいたし、鏡なんて高級品、このスラムにゃほとんどねぇ。
国名? 地名? 知るわけねぇだろ。
魔術の専門用語? 貴族様に教えを乞うなんて、機嫌次第で首が飛ぶロシアンルーレットだ。そんな命懸けのギャンブル、やりたくねぇ。
転生特典も、チートもない。
前世一般人だった俺には、今日を生きるだけで精一杯だった。
だから――俺はここを「よくある底辺転生モノ」だと思い込んでいたんだ。
あのルークだなんて、思うわけねぇだろ。
◆
転生して五年。ルーク、十五歳。
「……ちっ、今日も少ねぇな」
「文句言うなら食うなよ」
「言ってねぇよ」
乾いた笑いが漏れる。
砂と埃の味がする固いパンを齧る。いつもの日常。
魔術? そんなもん見たこともない。貴族が使う遠い世界のお伽話。
それが、ただのスラムのガキである俺の現実だった。
――変化は、唐突に訪れた。
「おい、聞いたか?」
飯の最中、年上のガキが話しかけてきた。
「この前、王都で罪人の公開処刑があったってよ。しかもよ、あの逃げ出した旧王家の血筋らしいぜ。名前なんつったっけな……確か――」
その瞬間、なぜだか心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
「ソフィア……なんとかファング……」
「……ソフィア・フォン・アンファング」
「そうそれ。何だ、知ってたのか?」
思考が、止まる。
忘れるわけがない。前世で、何度も何度も叫んだ名前だ。
最推しで、呼ぶたびにフルネームを口にしていた、あのキャラ。
「……嘘だろ」
ソフィア・フォン・アンファング。
それは、あの漫画で――ルークのヒロイン、だろ……。
◆
ありえない。
裏切られ、人間不信に陥った彼女を、ルークがその圧倒的な力で奪い去り、そこから物語は動き出す。一度は離れ離れになり、再会してからも様々な困難を乗り越え――そして最後は結ばれる。物語の“メインヒロイン”なんだぞ。
確信がある。あの独特な名前、王家の生き残りという設定。
この五年で肌に感じてきた世界観のピースが、一気に噛み合っていく。
そこまで考えて――ようやく気づいた。
もっと致命的で、最悪な事実に。
「……待て。俺、ルークじゃねぇか」
黒髪に白メッシュ、緑の目。スラム育ち。名前も同じ。
だが――俺は、弟子入りしてねぇ。
原作のルークは五歳のとき、ある事件で二流魔術師に拾われる。
そこで才能を開花させ、一流の証である固有魔術に覚醒する。
その固有魔術は、【魔術喰らい】。
自身が受けた魔術を取り込み、その場で術式を知覚する能力。そこから独力で術式を理解し、同じ魔術を使うことも、打ち消すこともできる。
固有魔術としては決して強力ではない。むしろ弱い部類だ。なぜなら、この能力の強度はルーク本人の「知能」と「精神」に完全に依存しているからだ。
だが、彼は後に最強へ至る。
物語のインフレに飲み込まれ、一度目のラスボス戦で数百億年前――星すら生まれる前の時間へと飛ばされる。
ただ一人で。
不老となり、見た目も変わらないまま存在し続ける。
やがて彼の固有魔術は、「万物は魔術である」と認識する領域にまで至る。
その境地において、彼は森羅万象を自在に創り出し、消し去る術を得たのだ。
原作者公認、最強の男。
なのに今の俺はなんだ。
魔術の「ま」の字も知らねぇ、ただの十五歳のガキだ。
笑えない。いや、笑うしかない。
「はは……」
将来、世界最強。現段階ですら本来なら一流の魔術師であるはずの存在。
なのに今の俺は、ただのスラムのガキだ。
――頭を抱える。現状を整理しろ。
詰み要素は三つだ。
メインヒロインが既に死亡している。
(一応、蘇生方法はいくつか存在するが。……どれも物語終盤に登場する伝説級の手段ばかりだ)
魔術が一切使えない。
(修行イベントを逃したせいで、固有魔術の発現すらしていない。魂が違う俺に、そもそも同じ力が宿るのか? ……いや、薄い望みではあるが、俺の固有魔術が代替として効く可能性を信じるしかないが……)
魂そのものが、本物のルークではない。
これが、決定的な絶望だ。
ルークは、あの異常な精神力で最強にまで登りつめた。
確かに魔術の才能は、百年に一人と言われるレベルだった。
だが、数百億年という時間の中では、そんな存在は数億人はいたはずだ。
それでもあいつが“最強”になれた理由は――才能じゃない。
あの、狂気じみた精神力があったからだ。
脳裏に、原作の光景が浮かぶ。
何回も世界を救った原作のルーク。
中身がただの前世一般人である俺に、あいつと同じ道が歩めるわけがない。
「……いや俺、完全に詰んでね?」
誰にも聞こえない声で、俺はそう呟いた。




