第1話
犬は不規則なリズムを刻んで歩く。私はただその後ろを追いかけるようにして駆け足で従う。首から続くもりもりとした筋肉を揺らし、確固たる目標に向かって突き進む姿は頼もしいが、それはいつだって簡単に崩れてしまうような脆いものであることを、知っている。
このあたりの地域、戦禍を逃れたらしいとされる路地裏は、新しさと古さが混在しており奇妙な匂いが蓄積されている。
犬はいつもの道をゆく。いつもの道という定義はこの犬には実際には通用しない、敢えていつもの道と語るのは我々のために他ならない。我々、ニンゲンの。
甲斐犬の原種。
四年前、ブリーダーから譲り受け「ちくわ」と名付けた。嘗て勇ましさを誇っていたかの国の由緒正しい血統らしい。
黒毛に虎斑、尻尾は巻かずふさふさとした柔らかい毛に覆われている、舌に黒い紙魚。これがなによりの特徴、そして眉目秀麗。地頭が良く主従関係に重きをおく。
狩猟犬として知られているが、ちくわは狩猟を知らない。お手、お座り、待ては教えられたが、獲物の狩り方を教える者はいなかった。
更に言えば、譲り受けた飼い主は、利口な甲斐犬の飼い方を知らない。重大な任務の放棄、おかげで主従関係も不完全に成立、ブリーダーから伝授されていた現代犬に必要な生きる術さえ継承されずに消滅。
ちくわは、自由でわがままなお嬢様という位置づけとして今を。ただ、生きている。
私はそれでいいと思っている。仮にこの先。ちくわが狩りをしなければいけない生活になることがあるか。お手、お座り、待てができないことで困ることがあるか。それは我々の社会が危惧することであって、何千年経過したとしても、ちくわの正解はちくわしか持ち得ない。とてもシンプルなこと。
ちくわは嘘をつかない。
とっくに日が落ちたはずなのに、見上げるとサーモンピンクのざらついた雲が空を覆っていた。湿度の高い大気は、身体中の表面に張り付く、息苦しい。
ちくわはだらりと舌を出す。黒い紙魚が心臓を模る。誰の心臓か。黒い心臓は穢れた私の心臓なのかも知れない。嘘つきの心臓。
肩からぶら下げていたペットボトルホルダーから、補充した水をしゃがんで手に取り、ちくわに与えた。ちくわは口の周りをくるりと舐めてから、べちゃべちゃと舌で掬うようにして飲んだ。
水は飛び散る、乾いたコンクリートのタイルを濡らし、瞬く間に蒸発する。
乾燥した心臓はいつまでも潤わない。




