一文字をめぐる狂想曲
「こ、これは……」
夕方、霞が関のとある執務室。A省の局長クラスである政策統括官が、分厚い資料を眺めていて絶句した。B省との激しい協議の末、ようやくまとまった政策に関する文書に誤りがあったのだ。
その誤りは、ある政策の定義に本来あるべきではない「等」が記述されていたこと。
たった一文字だが、この「等」を拡大解釈されてしまうと、B省が政策に関与できる範囲が拡大されるおそれがあった。そうなると、今までの協議、権限争いが水泡に帰してしまう。
「これはまずいぞ!」
政策統括官は、慌てて部下である政策統括官付参事官(総括担当)を電話で呼び出した。
† † †
「どう思う?」
「これはマズいですね……」
政策統括官の問いに、政策統括官付参事官(総括担当)が頭を抱えた。
「何とかしてB省に気づかれる前にこの『等』を削除しなくては……」
「しかし、この文書はすでにB省に送付済みだぞ?」
「で、では、送付した文書に誤記があったと説明して……」
「そんな説明であの狡猾なB省が納得する訳がないだろう。必ず、この『等』には意味があるなどと主張して、削除させないよう戦ってくるはずだ」
「確かに、あのB省ならやりかねないですね……」
政策統括官と政策統括官付参事官(総括担当)は、その後も意見を出し合ったが、妙案は浮かばなかった。二人は、より実務に精通している政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)を呼び出すことにした。
† † †
「こ、これはマズイですね……」
政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)は、顔を青ざめてそう言った。
「そうなんだよ、君。あの激論の末ようやくまとめた文書が、この『等』のせいで白紙になるかもしれん。どうしてくれるんだ!」
政策統括官付参事官(総括担当)が、政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)に怒鳴った。政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)は、青ざめた顔で頭を下げ続ける。
「まあまあ、参事官。この誤りに気づかなかったのは我々も同じことだし。それで、どうすればいいと思う?」
政策統括官の問いに、政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)が必死になって分厚い書類をめくりながら答えた。
「……この258ページの記述に照らすと、定義に書かれた『等』はかなり限定的に解するのが自然です」
「そのようにも読めるが、320ページの注5の記述を見ると、『等』はもっと広く捉えられるぞ」
「ただ、このページの事例に照らせば……」
政策統括官と政策統括官付参事官(総括担当)と政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)は、皆必死になって分厚い書類をめくりながら、B省の権限拡大を阻止する解釈が出来ないか議論を重ねたが、妙案は浮かばなかった。
† † †
その後、政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)付計画担当主査も呼ばれたが、結局、いい案は浮かばなかった。
執務室の窓に、日の出の光が差し込んだ。
「くそ、たった一文字のせいで、我が省はB省に負けるのか…」
疲れ顔の政策統括官が、倒れ込むように重厚な椅子に座った。政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)付計画担当主査が、おそるおそる口を開いた。
「あ、あの、政策統括官。役に立つかは分かりませんが、うちの係員を呼びましょうか」
「係員?」
「ええ、まだ採用2年目で、性格の良さだけが取り柄の奴ですが、何か新しい視点を提供してくれるかもしれません」
「……ダメもとで呼んでみるか」
政策統括官が電話に手を伸ばした。
† † †
「し、失礼いたします」
執務室の重厚な扉を開け、緊張しきった政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)付計画担当主査付係員が頭を下げた。
「ああ、すまないね、君」
政策統括官が執務机から手招きをする。その机の周りを囲むように立っている政策統括官付参事官(総括担当)と政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)と政策統括官付参事官(総括担当)付参事官補佐(計画担当)付計画担当主査が、疲労と諦めと少しばかりの期待が綯い交ぜになった表情で、一斉に係員を見つめた。
計画担当主査から事態の概要の説明を受けた係員は、得心した顔で皆を見回した。
「あ、この『等』ですね。これについては、さっきB省の係員に電話して資料から削除してもらいました」
「へ?」
政策統括官が普段見せたことのない気の抜けた顔をした。係員がその様子に驚きながら話を続ける。
「あ、あの、いつもやりとりをしているB省の係員と相談したのですが、まだ公表前ですし、明らかな誤字だったので、我々係員レベルで事務的に削除しようということにしまして……勝手なことをして申し訳ありません!」
係員が震える声で頭を下げた。
政策統括官と参事官と参事官補佐と主査は、お互いに顔を見合わせた。
「はぁ、我々は役人を長くやり過ぎて、大事なものを失っていたのかもしれんな」
政策統括官が自嘲気味にそう呟いた。




