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グレイブ&グレイブ:21  作者: 秋田
【第一章】ハローグレイブボックス
3/5

第一章:3 死人の証明

「なにも冗談とか比喩とか揶揄とか、そんなのじゃないよ。ただ君の人生の経験を一から立ち返って、思い返して振り返って……ただ女子の靴下(ソックス)のことを思い出して欲しいんだ」

「――大庭(おおば)桜久(ろく)……」

 七命は歯を食いしばり、強い視線で俺を睨みつけると、そっと自分の足を後ろに隠しました。俺はそれを見て誤解があると理解して手を挙げて訂正してあげることにしました。

「いやいや、なにも君の足が臭いなんて言ってるわけじゃ無いよ」

「……! ――っ、本当デリカシーのかけらも無い人ですね、樋口教諭から伺っていたあなたの『問題性』が、外見より中身についての方が多かったことを思い出しましたよ……」

「そっか、それで? 回答は? 早くしてよ。……ああでも、人によるとか時によるとか恥ずかしくて言えないみたいにゴタゴタ御託はいいからね、イエスかノーで簡単明瞭に。なんていうかな、ドン! ってよりポンって効果音が似合うくらいに軽く答えてよ」

「…………。いいでしょう、ですが答える前に提言しておきます。この回答(これ)はあくまで条件下で答えるからであって、私の真意ではないです」

「ふーん、どうぞ」

 前置きした七命は、瞑目しながらすぅと浅く呼吸して心を整えて、ギロっと突き刺すような視線、つまり()()で俺を見下してきました。


「イエスです」


「……! ははすげー、よく知ってたね七命後輩」

 素直に褒めてみました。すると七命は心底軽蔑した様子で、俺を犯罪者でも見るかのような刺々しく厭倦する胸糞悪い表情を向けてきました。

「もちろんこの答えは、私の経験から、ひいては私自身の足の臭いを思い出して、臭かったときもあったなって思い浮かんだからであり、みんながみんな靴下が臭いなんて言いませんからね、私としてもその辺りの対策(ケア)はちゃんとしてますから」

「そうなんだ、そんなこと補足されてもなんでもいーけどさ。そっか、七命後輩は女子の靴下(ソックス)の臭いを知ってるんだね、あれ臭いよね本当、激臭悪臭、勘弁して欲しいよ」

 手を振って冷笑すると、痺れを切らした七命はバットを振り上げて、俺目掛けてフルスイングでかましてきました。


「――じゃあ女子の痰と唾とゲロとのミックスジュースの味は……!?」


 ピタッと止まりました。バットだけでなく時間とか思考とか、空間そのものが揃いも揃って停止しやがった気がしました。俺はバットを防ぐために防御していた腕を解いて頬の汗を拭いました。ヒヤヒヤしました。

「ノーに決まってるじゃないですか、そんな下品で気持ち悪いこと聞かないでください。なんなんですかこの質問はくだらない、これになんの意味があるんですか」

 七命はバットを俺の頭上に据えて脅してきました。俺は歯を見せて気丈に嗤いました。

 いえいえ当たり前です、知らないのが普通で当然で必然で『正常』なのですから。しかしそんな人は知らないのでしょう。その無知が特別で幸運で最高で『異常』に思える人間がいるということ、その人間がそんな多幸者をどう思っているのかを。


「床にぶちまけた腐った牛乳を拭き取った雑巾の苦さは?」

「朝クラスに入ったら自分の椅子だけ降ろされてなかった時の羞恥は?」

「自分の落とし物だけ拾われずそれを囲んで誰が拾うかで会議されていた時の悔しさは?」

「ことあるごとに難癖つけられて邪魔される面倒くささは?」

「好きな子にあげたラブレターを回されて教壇で朗読された慙愧は?」

「持久走で万年ビリで最後は毎回みんなに嘲笑まじりに応援される屈辱は?」

「外靴を履き替える時上履きを奪い取られる鬱陶しさは?」

「算数の時間、クラスメイトと問題の答え合わせするとき、相手が居なくて孤立した孤独感は? さらに相手を探そうと視線を配っただけで中指を立てられた敗北感は?」

「学年発表会で役を演じるたびに真似されて馬鹿にされる迷惑さは?」

「嫌われてる先生が教室からいなくなった時、同時にお前も二度と来んなよ死ねって罵られた無力感は?」

「――君は知ってるのかな」


 七命は目を見開いて口を一文字に結ぶと、ゆっくりバットを下げて二、三歩後退りました。それから何かに気づいたように一瞬眉を上げると、これまた一層皺を寄せて睨め付けてきました。俺は勝ちを確信しました。

「私は心底、あなたを軽蔑します」

「質問の答えになってないよ」

「あなたの考えはお見通しです」

「俺の考えがお見通し? はは、なんも考えてないからこんな性根の腐った性格してるのに?」


「桜久先輩、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「…………」


 誰かに真意を暴かれて絶句したのはいつぶりでしょうか、少なくとも高校に入ってからはずっと道化ていたので、一年以上ぶりの喫驚(ショック)でした。この瞬間、長与七命という存在は煙に巻けない邪魔者であり、これからの学校生活を脅かす暴虐非道で破邪顕正(ハブリス)お嬢様と確信しました。

「よ、よく、見抜いたね七命後輩……俺の算段はおそらく君の推測通りだよ」

 俺は驚きで跳ね上がった心臓を押さえて、つまり胸に手を当てがいながら口を開きました。こんなことは初めてでうまく動揺を隠せません。

「あなたは私が鬱陶しいあまりに、過去の悔恨や黒歴史を羅列して私に罪悪感を芽生えさせ、私に手を引かせようという魂胆ですね? 『可哀想だから』とか『そんな事情があるならもっと手加減しよう』とか『私には分からない悲惨な過去を送ってきて、もしかしたら(こう)なってしまうのもしょうがないのかもしれない』とか、そんなことを想って欲しかったんですよね」

「…………」

 何も答えられませんでした、ここまで見破られているとなると何を言っても言い訳に聞こえ無駄、無駄な足掻きです。俺は誰よりも無駄な足掻きほど情けなく惨めで無様で格好悪い痴態を晒すのはもう嫌なので、もう何も言えないのです。

「なんという最低な人、変化を拒んで停滞で堕落する……魔女教じゃないですが、『あなた、怠惰ですね』」

 七命はバットを自分の肩に乗せてトントンと上下させながら、顎を上げて俺を見下すようにして続けます。

「それに、仮にあなたの愚行に気づかなかったとしてもあなたの算段は失敗していました」

「……? どうしてかな」


「あなたの『不幸』も『不遇』も『不運』も全部が全部、()()()()()()だからですよ。この社会は普通にしてれば舐められないし、当然でいれば敵視されないし、必然であれば見下されたりしないし、『正常』に生きれば幸せになれる。みんなそうやって幸福を得ています」

 不意に七命はバットを俺に向けました。

「あなたが不幸なのは、あなたが馬鹿で阿保で捻くれててズレてたから、あなたは悲劇なんです。……それを『自分は悪くない』『環境さえ正しければ』みたいに宣うのは傲慢で怠惰です」

 俺の算段はこうでした。正しく彼女の言う通り、初めに彼女の揚げ足を取って不快感を与え(ここで諦めてくれれば良かったですが、流石に見込めませんでした)、次に黒歴史を暴露して彼女に自分の無力さを知らしめました。

 普通の感情なら、こんな過去を持つ人間を責めようなんて思いません。これが決め手となって、彼女を諦めさせる点において俺が勝利を収めるつもりだったのです。

 しかしながら、彼女はそれを易々と打ち破ってみせました。

「――くっ……」

 これまでバットを二度振られて、今この時は眼前に構えられて、無論恐怖して驚愕しました。が、それは痛みを恐れたわけじゃありません(今更肉体的痛みに恐怖心はありません)。己が正義と信じて人に鉄棒を振るう、その容赦のなさ様に俺は心底恐怖したのです。

 しかしながら、その恐怖と同時に喜びを運んできたのです。


「全く、もって……君に賛同するよ」


「――ッ!」

 俺は笑って、泣きました。七命は青ざめて言葉を失い、硬直しました。

「その通りで、昔の俺はカスでゴミでクズでトロくて鈍くて鬱陶しくて煩わしくてどうしようもなくて……そんな存在だった。いじめられても当然だった、むしろ不幸だったのは俺と同じクラスになったいじめっ子(あっち)側だった、俺が居たせいで彼らが『悪役』になってしまった、全部俺のせいだ。誰かが見ればこれまでのやりとりだって、君が『悪者』に映っていただろう」

 俺はジッと七命の瞳を見つめて、場違いなまでの微笑を貼り付けたまま、目尻に涙を溜めて、続けました。

「ああ本当だ、樋口先生が言ってたことは本当だったんだ……」

「……なんの、話ですか?」


「君と俺は噛み合うってことさ。君の行き過ぎた正義心と俺の悟りは道程は違っていたとしても、こうして同じ結論に至ってるじゃないか。……ったく、してやられたよ」


 まさかこんなことになるとは、予想外も予想外、歓喜に打ち震えてつい頬が緩んでしまいます。大抵の人間は俺と対面して気さくさに絆されるか、一つ深層を見抜いた人間は口を揃えて屑と罵るに止まって離れていきます。ですが彼女は、ついに俺のさらに一つ深い所に到達してみせたのです。

『俺の屑っぷりは全て俺が原因で、悪いのは全て俺。そして俺はそれを自覚していて、罪と罰で串刺しになっている』

 そうです、この世界で初めて『大庭桜久』を理解した者が現れたのです。

「分かってくれて嬉しいよ、解ってくれてありがとう」

「気持ち悪い、自分を蔑まれたのにそれに共感して同感だなんて自己嫌悪にもほどがあるでしょう。それに、自分に非があると分かっていてどうして頑張ろうとしないんですか」

「そんなこと、はは。それができたら苦労しないよ、俺は苦労したくないんだ、全部徒労に終わるからね。それに……まー普通にやる気が起きないんだよね、惰性っていうか、いやいや本当ダセーんだけどね」 

「なにを……それじゃあ今のままずっと、トラウマに苛まれて黒歴史を歯噛みして後悔を積み重ねていく現状で満足って言うんですか? あなたそれでも人間ですか!?」

「そう、俺はこうしてこうやってこんなふうに己に吐き気を催しながら精神的自傷行為を続けて、孤独にのうのうと過ごしていくからさ、()()()()()()()。……ほら、君が俺を諦められないのは『しょうがない』って言うみたいに、俺だってこの不変の地獄を味わいながら苦しむのも『しょうがない』ってやつなんだよ」

 七命は青ざめて下唇を噛み、後退りました。明らかな嫌悪でした。

「……人間じゃあない……」

 なかなか酷い言われようです、が概ね肯定できる文言です。俺としましては、人間のくせに人間らしくない、つまり死人、とそういうわけなのです。

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