盲目のアストライア
ISAo様作曲のフリーBGM、『盲目のアストライア』を聴いて書いた小説です。
長い夜が明けようとしている。
水平線が白みがかり、太陽が顔を出す直前。
この眼が闇に閉ざされようと、夜明けは毎夜訪れる。
「艦長、宇宙戦線はどうなっているのでしょうか。」
聞きなじみのある、部下の声だ。
我が星は宇宙戦争の真っただ中に置かれている。
そんな中、この艦隊は警戒という名目を掲げたクルージングに他ならない航海を続けている。
「さあ、な。私には見えん。」
皮肉めいた返答は、彼にも伝わったようで。
苦笑いする顔が目に浮かぶようだ。
この広い宇宙の中では、人類はみな盲目だ。
それは突き詰めて考えていけば恐ろしいことだが、日常で困るようなものでもない。
光速で飛び交う宇宙船やら、他の惑星への移住計画やら、色んな噂が耳に入ってくる。
だが。
全速力でスクリューを回して30ノット。
海を往く戦艦というのは、そういうものだ。
それは今に始まった話ではなく、幾百年と変わらない。
変わらないというのは、そう悪いことでもない。
ただ、良いことでもないのだ。
それはあくまで現状を維持し続けることであり、変革は変化からのみ生まれる。
しかし、私はそれでいい。
現状の良さを見つけ、それを眺める生活の何が悪いと言おうか。
私は宇宙へ旅立とうとは思わない。
古代ギリシャ神話の一節で。
女神アストライアは殺戮の繰り返される地上に最後まで残り、正義を訴えたという。
だが、悲しいかな最後には彼女は地上を見限り、乙女座の星となった。
彼女の正義は、届かなかったのだ。
空を見上げ、沈みゆく乙女座を探してみる。
私は自分を神だなどと驕ってはいない。
ただのしがない、一艦長であると思っているよ。
しかし。私は地上を、母なる海を見捨てるようなことはしない。
この星と共に生きた者として、この星にて骨を埋める。
それが私の生きる道しるべなのだ。
正義とは何であるか。また、自分の行動は正義であるのか。
当人には分かるはずもなく、分かるべきでもない。
それこそ、神でもない限り。
神話時代の殺戮は、神からすれば正義とは違ったのだろう。
だが、時代や状況が違えば、殺戮は称賛を受け名誉となる。
人の世は分かりづらいのだ。
そこで思考を停止していれば、何も進まないかもしれない。
だが、先にも言ったように。
変わらないものを愛するのも、また一興というところ。
この船に乗り、艦長となって。数十年が過ぎた。
老齢となった私に残された、進むべき道はそう多くない。
「…夜明けだ。」
そう呟いた私に、部下は驚いたような目を向けているだろう。
分かるのだよ。
眼は見えずとも、空気の揺らめきや、圧倒的な太陽の力を。
かつて神々は星となった。
だが、そんなに遠くからでは見えるものも見えなくなるだろう。
私はただ、見守ろうと思う。
地上の、アストライアとなって。