男の聖女1
「結界の魔道具はアンジェリーナが作って、代々の魔女が改良してきたのか」
この世界の国々はずいぶんと魔女に頼っているのだな、とティムは思う。
ティムは図書室で結界の魔道具の資料を読んでいた。
孤児院でも読み書きや計算は習ったが、ティムが難しい資料も読めるのは砦で軍医の勉強をさせてもらったおかげだ。一般的な貴族令嬢よりも高度な教育を受けていたようで、この分野ではティムも教会で馬鹿にされることはなかった。
図書室は、シェリルの研究室の比ではないくらい多数の本が収められていた。この屋敷で一番広い部屋。そこに本棚が並び、ぎっしりと本が詰まっているのを見たときには、ティムは思わず後ずさりしそうになった。
「はあ、すげえな。……どんな本があるのかわからないし、読みたい本があっても見つけられる気がしねぇ」
ティムがそうつぶやくと、毛玉が一匹飛び出してきた。
足元でぴょんぴょん跳ねる様子に、「まさか、お前が本を探してくれるとか?」と聞くと、毛玉は肯定するようにさらに高く跳ねた。
「それじゃ、結界の魔道具についての本はどこだ?」
すると、毛玉は迷うことなく目的の本までティムを案内してくれた。
(毛玉は万能だな。俺より役に立つ)
結界の魔道具についての資料は複数あった。古い順に読んで行き、数日かけてやっと一番新しい資料にたどり着いたところだ。
「んー? え? ハーゲン王国の魔道具は古いのか?」
資料によると、最新の結界の魔道具は、今までと違って、大幅な改良が施されているようだ。
「聖水と魔石で結界を維持するってことは、聖女が結界の補修をしなくていいのか?」
魔石は魔鉱山から採れるほか、魔物を倒したときに採れることもある。日用品の魔道具にも使われており、庶民でも買えるような値段だ。もちろん、日用品と結界の魔道具では魔石の質や使用数は異なるが、聖女に頼るよりも確実だ。
魔女国を除いた八つの国のうち、最新の魔道具に変えなかった国は二つ。
バーズキア王国と、ティムの祖国ハーゲン王国だ。
「なんで変えなかったんだ?」
ぱらぱらと先のページを見るが、理由は書いていない。「先方の国の意向」とあるだけだ。
(魔女国は儲けたいわけじゃないもんなぁ。いらないって言われたら、そうですかで終わりだよな)
資料の日付から二百年ほど前だとわかる。
ティムは先日、魔女の年齢を聞いた。
シェリルとシンシアが百四十三歳。シェリルのほうが三か月早く生まれたそうだ。ヴェロニカが三百二十五歳。
「ヴェロニカに聞けばわかるか?」
彼女のことを考えると、シェリルと『魔の泉』で話したことが頭に浮かぶ。
ヴェロニカはもうすぐ寿命だという。
そう言われたとき、聖女を魔女国に呼び寄せたのはヴェロニカを治癒するためか、とティムはシェリルに尋ねた。
「いいえ、それは違うわ。病気や怪我ではないもの。治癒で寿命は伸ばせないでしょ?」
「それはそうだけど……」
「寿命は仕方ないのよ。でも、そうね。ヴェロニカはベッドにいることが多いから、話し相手になってくれたらうれしいわ」
シェリルのお願いに、ティムは一も二もなくうなずいたのだった。
「ヴェロニカのところに行ってみるか」
資料を持って立ち上がると、毛玉がぽんっと現れた。
「本を片づけに来てくれたのか? これは持ち出してもいいか?」
毛玉はぴょんっと跳ねる。
「ヴェロニカは部屋にいるか?」
跳ねる毛玉。
「じゃあ、行ってみるか」
そこで、毛玉はふるふると震えた。
「ヴェロニカは寝てる?」
毛玉は今度は跳ねた。
「了解。それじゃ、またにするわ」
ティムは毛玉を捕まえてわしわしと撫でる。
意思疎通ができるとは思えないと思った毛玉だが、最近のティムはしょっちゅう毛玉に話しかけている。
「なんか、俺、独り言が多くないか?」
首をかしげてから、「ああ」と気づいた。
魔女国には、魔女が三人。それにティム。――四人だけしかいない。
シェリルもシンシアもそれぞれ忙しいし、ヴェロニカは寝ていることも多い。
ティムはこんなに長い時間一人でいたことがなかったのだ。
孤児院時代はもちろん、教会に行ってからも一人になる時間は案外少なかった。
――そうして、ティムは教会に行ったときに思いをはせた。
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スタンピードが起こったモナオから、ティムは問答無用で王都の教会に移された。
寝ている間に馬車に乗せられたため、砦の人たちや孤児院の皆に挨拶することもできなかった。
移動の馬車には教会騎士が同乗しており、逃げる隙はなかった。
ビリーが連れてきた聖職者は王都の教会の司祭で、たまたま領都の教会に来ていたところスタンピードの話を聞いて、視察に来たのそうだ。
「其方の治癒が聖女の力と同じなのか確かめねばならん」
王都の教会には、聖女かどうか確認するための魔道具があるそうだ。
治癒の力があっても弱い場合は、魔道具にはじかれるらしい。魔道具に認定されなければ聖女にはなれない。
認定されなければモナオに帰れるのか、とティムは考えたけれど、自分の力が弱いとは思えない。
「俺は男なんですが……」
未練がましくそう訴えてみたけれど、司祭は「女神の思し召しなら受け入れるまでだ」と取り付く島がなかった。
王都の教会は、一度だけ行った北国境伯の領主館くらい広い敷地を持っていた。
平民向けの応接室にティムを残し司祭が去っていくと、入れ替わりに女が入ってきた。ひっつめ髪に眼鏡、化粧気のない顔に高襟のワンピースだから、教会関係者なのかと思ったら城の女官だった。
ティムと一緒に残っていた教会騎士が入室を止めたが、女官は「王太子殿下がご臨席されるのに、そんな貧相な服では困ります」と押し切り、ティムに着替えを促した。
(ヴィーノが来るのか)
この女官はヴィンセントの差し金だろうか。衝立の影で着替えると、服のサイズはぴったりだった。国境伯家の従僕が着ていたような黒の揃いだ。
「ちょっと失礼しますね。袖はもっときっちりとしていただかないと」
女官はそう言って、ティムの上着の袖を直す。そのときに、袖口に小さな紙片が差し込まれたのがわかった。
彼女が去ってから、騎士に見つからないようにティムは紙片を確認する。
『力を隠せ』
短い文が一つだけ書かれていた。
(ヴィーノの助言はわかったけどさ! 無理! これは無理!)
次に連れてこられた聖堂で、そう内心叫びながら、ティムは魔道具に抗っていた。
聖堂の祭壇の前には、治癒力を判定する魔道具があった。台座の上に両手で抱えられる大きさの球体が乗っている。銀色の光沢が美しい金属製だった。
ティムはそこに手を乗せるように言われた。
乗せた瞬間、力が引き出されていく。
ティムは必死で力を抑え込んだ。魔道具と綱引きをしているような気分だ。
(重傷者を治癒したときでも、こんなに力を吸い取られることはなかったのに! なんだこれ)
力負けしそうになった瞬間、魔道具が止まった。
球体がうっすら金色に光っている。
ティムは肩で息をしながら、判定を待った。
「聖女の反応があるな」
「薄いですね」
「ええ、本当に」
「しかし、あるものはある」
「これっぽっちの力を出すのに、ずいぶんつらそうじゃなぁ。大丈夫なのかねぇ。傷を一つ治癒しただけで倒れたんじゃろう?」
「大司祭様のおっしゃるとおりだ。それに、男の聖女なんて前例がないぞ」
「それも女神の思し召しだろう」
五人の司祭が口々に言い合う。ティムを連れてきた司祭は、自分が連れてきた手前なのか、ティムを聖女にしたいようだ。
(俺が今しんどいのは、力を出したからじゃなくて、力を出さないように頑張ったからなんだけどな)
吸い取られるままに任せていたら、魔道具はもっと光輝いたかもしれない。
(傷一つで倒れたってのはマイクさんのことか? あれより前に何人も治癒してたのは伝わっていないのか……)
砦の皆が口裏を合わせてくれたのかもしれない。
ティムは息を整えながら、人の視線がなくなったのをいいことに、辺りを見回した。
端の方でヴィンセントが険しい顔で司祭たちを見守っている。彼の後ろには、近衛騎士と側近、先ほどの女官が控えていた。
(ヴィーノとの関係も隠したほうがいいんだろうなぁ)
教会と王家の関係は知らないが、ヴィンセントは口をはさむことはなさそうだ。
「ディアドラ大聖女はどうじゃね?」
大司祭が少し後ろにいた老女を振り返った。大司祭も老人だが、ディアドラ大聖女のほうが年上に見える。
ディアドラは頬に手をあてると、魔道具とティムを見比べた。
「治癒の力は間違いないでしょうね。今は弱く見えますが、わたくしの元で修行すればすぐにもお役に立てるでしょう」
ディアドラはそう言って、ティムに笑顔を向けた。
彼女には力を抑えようとしていたことを気づかれているかもしれない。
「聖女と呼ぶか、新たな名前をつけるかは司祭様方にお任せいたしますわ」
「うむ、大聖女がそう言うなら……」
大司祭がひげを撫で、他の司祭も――しぶしぶといった様子の者もいたが――賛同した。
(やっぱり、力を認められてしまったか……。で、俺に拒否権はないんだな?)
ここに至るまで誰もティムに意向を尋ねない時点で察せられる。
話がまとまったのか、司祭の一人がヴィンセントに声をかけた。
「殿下。こちらのティム・ガリガを『聖女』とすることに決まりました」
「男なのに聖女か?」
ヴィンセントが初めて口を開く。
「治癒の力があるのですから、男でも『聖女』でよろしいでしょう」
「待遇は他の聖女と同じなのか?」
そう問われた司祭はディアドラに目を向けた。
「日々の務めは同じですから、待遇も同じでございます。……寝泊りする部屋だけは、神官の棟にしましょうか。教会騎士の棟がいいかしら?」
ティムは砦を連れ出されてから初めて希望を聞かれ、兵士の訓練のときのように「教会騎士の棟でお願いします!」と直立して答えたのだった。
そのあと、ディアドラの案内でティムは聖堂から『泉の間』に移動した。
聖堂の祭壇の脇から階段室に入り、そこから地下に下りる。地下は天然の洞窟になっていた。奥の方に小さな泉がある。
「これが『聖なる泉』ですよ」
ディアドラが両腕を開いて泉を示した。
「聖水の元の? ですか?」
「ええ。そこにある祭壇に載っているのが、結界の魔道具ですわ」
「え!? これが?」
こちら側の岸辺に石造りの祭壇があり、そこに大きな魔道具が載っている。先ほどの治癒力を測る魔道具と似ている形で、大きさは一回りほど大きい。球体は浮かんでおり、ゆっくりと回転していた。
「あなたは国境の街に住んでいたのですってね。結界についての説明はよろしいですね」
「はい」
「時間が経ったり、強い魔物がぶつかったりすると、結界には傷ができます」
「傷……って揺らぎのことか! その傷から魔物が入ってくるんですね」
「……やっぱり傷があると魔物が入ってきてしまうのね……」
ディアドラは一度目を伏せてから、魔道具に近づいた。
「聖女の役目で一番大切なのは『結界の補修』です」
ティムを隣に呼ぶと、ディアドラは球体に両手をかざした。
彼女の手から治癒の金の粉が溢れ出る。それは全て球体に吸い込まれていった。
「こうして、結界の傷を治癒するのです。あなたは人の傷を治癒したことがあると聞いていますが、本当ですか?」
「……はい」
ごまかしても仕方がないので、ティムはうなずく。回数や程度は言わなければわからないだろう。
「では、結界の治癒もやってみましょう。結界の傷も人の傷と同じです」
ティムはディアドラと場所を代わり、球体に両手をかざす。
(人と同じ……)
傷を治そうと思うと、ティムの両手から金の粉が溢れてきた。どんどんと球体に吸い込まれていく。
ヴィンセントの助言を思い出したが、結界の傷が国境の街の安全を脅かすことを考えると、ティムはここで力を隠すことはできなかった。
治癒力を測る魔道具と違って向こうから力を引き出される感覚はなかったが、ティムが力を制限していないため金の粉はとめどなく出てきて、球体に消えていく。
(両腕を魔物に食われた冒険者を治癒したときくらいの力か?)
結界の補修が終わったとき、ティムは少し疲れを感じた。
「まあ! 本当に? 一人で全部補修してしまったの?」
隣で見ていたディアドラが驚きの声を上げた。
「え? ダメでしたか? すみません」
「ダメではないのだけれど、普通は聖女全員で行うことですもの。あなた、やはり先ほどは力を抑えていたのですね」
「あ……」
ティムが固まると、ディアドラはにぃっと笑った。あまり聖女らしくない――モナオの街のパン屋の女将のような――気さくな笑顔だった。
「結構ですわよ。司祭様方は聖女のことなど何もわかってらっしゃらないのですから。あちらがどう思っていようと、あなたが聖女になったのなら同じことですわ! ああ、これでわたくしもやっと楽できます。なんせ、今の聖女たちは公爵令嬢の二人が派閥を作っていて、扱いが難しいったら! あなたはその点、平民ですからね。そうだわ! あなたを次期大聖女にしましょう」
ディアドラの勢いに押されつつ、ティムは反論を試みる。
「あの、俺、男なんですが……」
「性別なんて大したことはありませんわ。むしろ特別感が出せていいかもしれませんわね。司祭の仕事も習ったらいかが? あちらの仕事もできるようになれば、大司祭と大聖女を兼任することも夢じゃありませんわよ! 教会を牛耳ってやりましょう!」
「はぁ……?」
ため息混じりの呆れで、ティムはディアドラを見たのだった。
こき使う宣言をしたディアドラだったが、彼女から与えられた仕事は彼女がもともと担当していたものだった。――つまりディアドラの業務が過多だったのだ。
聖女は貴族令嬢なので、適齢期になると結婚して辞めるのだそうだ。箔を付けて良い縁談を得るためだけに、聖女をしている者も多い。
今は、王太子ヴィンセントの妃を狙って、公爵令嬢二人が熾烈な争いを繰り広げているらしい。
(どんな教会だよ)
ティムはつっこみたくなる。
大聖女以外の聖女は、皆、十代後半から二十代前半。ディアドラは六十代後半と、年齢差は大きい。しかし、ディアドラは男爵家出身なので後ろ盾が小さく、公爵令嬢を従わせるのが難しい。
「そもそもですね、一番家格が低い令嬢が無言の圧力で教会に残らされて、長く在籍した結果、大聖女になるのですから」
ディアドラはため息をついた。
そろそろディアドラは引退を考えており、ティムが来るまで男爵令嬢のマーゴット・カバーを後継と考えて育てていたそうだ。
マーゴットの他にも男爵家や子爵家出身の聖女はいて、彼女たちはそれなりに仕事をしているが、皆どちらかの公爵令嬢の派閥に属しているため、呼び出されるとそちらを優先してしまう。
結果、ディアドラとマーゴットに負担がかかっていた。
そこに登場したのがティムである。
王太子妃争いには関わらない。誰よりも身分が低い。それなのに、治癒の力は大聖女以上。
ディアドラが便利に使うのも理解できる。
「ディアドラ様はもうおばあちゃんだからな。若い俺が手伝ってやらないと」
「なんですって!」
「え? 手伝わなくていいの?」
「あら、わたくしはもう弱った老人ですわ。おほほ」
などと、気軽な冗談を言い合えるくらい、ティムはディアドラと意気投合した。
教会に来てから、ティムの治癒力はまた増えたようだった。
今まで自己流だった治癒力の使い方を、ディアドラからきちんと教えてもらったのも大きいだろう。
しかし、治癒力を毎日使うようになったのが、力が増えた最大の理由だった。
朝の日課である『結界の補修』は、聖女が順番に魔道具に手をかざしていく。ディアドラが最後の担当だが、その前のティムが補修を終わらせてしまうため、彼女の出番はない。
「ティムが来てから本当に楽になりましたわね」
と、それまで一番力を使っていたディアドラは顔をほころばせていた。
ティムの感覚では、初日が最も多く力を使った。それ以降は毎日補修していれば大した力は必要ない。
(俺が来るまでは、完全に補修できていなかったんじゃないかな)
それに、教会に併設された施療院の治癒当番もあった。
施療院は、平民向けに開かれており、少ない寄付金で医者の診察が受けられる。もう少しだけ寄付金を上乗せすれば、聖女の治癒も受けられた。
教会の礼拝がある日は施療院が休みになるため、週に一度は休日だ。しかし、一日にやってくる患者の人数がモナオの砦の医務室とは比較にならない。ティムは今まで以上に治癒の力を使っていた。
「力を使うと増えるのがわかるでしょう?」
ディアドラにそう聞かれて、ティムはうなずく。
「ああ。やっぱりそうなんだな。前から思ってたんだよ」
「これは大聖女候補にしか伝わっていないことですよ。歴代の大聖女もこうやって仕事を押し付けられて、大きな力を得たのでしょうね」
「あはははは」
乾いた笑いしか出ない裏話だった。