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魔物のスタンピード

 ティムがそろそろ十五歳になろうというころだ。


「なあ、ティムは貴族の養子になるのか?」

 ビリーにそう聞かれて、ティムは振り返らずに「まだ決めてない」と首を振る。

 孤児院から砦まで行く途中だ。ビリーは訓練、ティムは医務室と目的は違うが、一緒に向かっていた。

「北国境伯様のお屋敷に招待されたんだろ?」

「それは、俺の親が北国境伯家の使用人だったからって言っただろ」

「聞いたけどさー、お前の親が亡くなったのなんてずっと前じゃないか。今さら何の話だよ」

「援助できなくて悪かったとか、そういう話だ」

 ティムは適当に返事をする。

 それは建前で、国境伯家の養子になってヴィンセントの近衛騎士を目指さないか、という打診だった。

 ヴィンセント本人からも話を受けている。

 初めて会ってから、ヴィンセントとは仲良くなり、いろいろな話をした。立場が違いすぎるせいか、意外に気負いなく話せてしまうのだ。

 ティムは魔女に命を救われた話から両親の思い出や孤児院の愚痴までヴィンセントに話し、彼も王太子教育の大変さから貴族の裏話や国王への不満まで話してくれた。

(それは俺が聞いてもいいのか、みたいなこともあったけどなぁ。まあ、国王や王妃に会うことなんてないし、関係ないって思ってたんだけど……)

 ヴィンセントから、近衛騎士になってこれから先も近くにいてほしいと言われたのは、今年に入ってからだ。

 十五になれば孤児院を卒業する。それまでに就職先を決める必要があると話していたからだ。

 平民の孤児が王太子の近衛を目指すなんて、無理だろうとティムは思った。しかし、ヴィンセントは養子先も見つけてくれていた。

 ティムは、両親が北国境伯家の使用人だったなんて全く知らなかった。村、もとい荘園では『善意で街とやりとりしてくれる村人』という役割が振られていたのだそうだ。ティムももう少し成長したら教えてもらっていたかもしれない。

 その縁で、ティムが希望すれば北国境伯が養子にしてくれるのだそうだ。

 ティムはまだ決めていないが、北国境伯から招待が届いたため、仕方なく領都の領主館まで行ってきた。こちらはずいぶん乗り気らしい。笑顔で半分脅すようなことを言われた。

(ヴィーノの勧誘はうれしい。あいつの助けになってやりたい気持ちもある。でも、俺はトルコフ先生やセーブン少佐に恩もあるし……)

 軍医になるための勉強は続けている。

 治癒力を使わない処置方法も実地で習っていた。

 ときどき会うヴィンセントよりも、日常で世話になっているのはトルコフたちだ。

 兵士になれば、モナオの街に貢献できる。それに、国境軍なら魔女に会えるかもしれない。

 ティムはまだ恩人の魔女に会ってお礼を言うのをあきらめていなかった。

 トルコフたちは、悩んでいいと言ってくれた。

 しかし、来月くらいには結論を出さないとならないだろう。

「お前はいいよなぁ、治癒の力があってさ」

 ビリーは口をとがらせてそう言った。

 最近の彼はずっとこんな感じだ。正直うっとおしい。

「俺の進路に関係なく、お前は兵士になることが決まってんじゃねぇか」

 亡くなった父と同じ兵士を目指していたビリーは、すでに入団試験を受けている。孤児院卒業と同時に見習い兵士になることが決まっていた。今日も内定者向けの特別訓練に参加するそうだ。

「お前がこっちを選んだら軍医だろ」

「軍医は専門の学校にいかないとなれないんだ。まずは入学できるかが問題」

「それでも、少佐や他の士官からも目をかけてもらっていて、ずりぃよな」

 治癒の力のおかげだろ、とビリーは繰り返す。

(こいつ、何が言いたいんだか……。昔はこんなんじゃなかったのになぁ)

 兵士になったら、ビリーとの付き合いがこれから先も続くのかと考えるとうんざりする。

「置いていくぞ」

 ティムが足を速めたときだ。

 カンカンカンッ!

 鐘の音が鳴り響いた。

「なんだ? 火事?」

 ティムとビリーは立ち止まり、辺りを見回す。

 緊急事態が起こると鳴らされる鐘だった。

 道沿いの店からは人が飛び出し、その上の住居の窓から何人も顔を出している。

「おーい! 何か見えるかー?」

「あーっ! 結界の外に魔物が集まってるぞ!」

「本当だ! すげーでかいのがいる!」

 上階の住人たちが窓から遠くを指さした。

 その間も断続的に鐘は鳴らされている。

「ビリー! 走るぞ!」

 ティムはそう声をかけると振り返らずに砦までの道を駆けだした。


 砦の周りは騒然としていた。

 魔物はときどき現れるが、ティムがモナオに来てからここまで緊迫した状況になったことはなかった。

 ティムが砦の門にたどり着くと、門番が、

「ティム! 良かった! 呼びに行くところだったんだ。トルコフ先生のところに行ってくれ」

「わかりました!」

 ティムが門を通り抜ける後ろで、ビリーは止められていた。

「お前はまだ見習いじゃないんだ。訓練は受けられても実戦はだめだ」

「ティムはなんで!?」

「あいつは即戦力だろうが。お前は、ほら、街へ知らせる役を募ってるからあっちに集まってくれ」

 ティムはビリーを気にしたけれど、それよりも装備を身に着けて行きかう兵士の緊張感に押されて、医務室に急いだ。

「トルコフ先生!」

「おおっ。ティム、来てくれたか! こっちはティムに助手をやってもらうから、マイクは班に戻ってくれ」

「はい!」

 トルコフは戦闘員と兼務の兵士を送り出し、ティムに応急処置に必要な道具を揃えるように指示した。

「訓練場にテントを立ててそちらで負傷者を迎えることになっている」

「はい」

 いつになく厳しい顔のトルコフにティムも神妙に返事をした。

「いいか、ティム。俺が指示するまで力を使わなくていい。何が起こるかわからない。力はできるだけ温存しておくんだ」

「わかった……」

 そこでトルコフははっとしたように、自分の額を叩いた。

「……ああ、お前は兵士でも何でもないんだった。もし嫌なら」

「嫌じゃない! 手伝わせてくれ!」

「そうか。ありがとうな」

 トルコフは笑顔を浮かべてから、棚から薬を出していく。

「それで、どういう状況なんだ?」

 ティムも手を動かしながら尋ねた。

「俺は魔物が来ているってことしか知らないんだけど」

「結界の外に滅多に出ない大きな魔物が現れたんだ。そのせいか小物も騒いでいる」

「スタンピード……」

「そうだ。結界があるから魔物は入ってきていないが、このままにはしておけん」

「結界の外に出て戦うのか?」

「まずは、聖水で魔物を散らせるか試す。それであらかた減らしたところで討伐ってことになるか……。冒険者ギルドにも協力を要請しているはずだ」

 聖水は王都の教会にある『聖なる泉』の水で、国境の街の教会や砦には常備されていた。聖水には、魔物を消滅させたり弱らせたりする力があるそうだ。

 国を守る結界は、王都の教会にいる聖女の力で保持されている。聖女の役割は治癒だけではない。

 結界は絶対の守りではなく、魔物が強すぎたりすると突破されてしまうことがある。

 それに、ときどき結界が揺らぐこともあった。薄くなるのか隙間ができるのか、ティムにはよくわからないが、その揺らぎから魔物が入ってくることがある。

 揺らぎはすぐに元通りになるし、強い魔物が入ってきたときも結界が壊れることはない。しかし、魔物一匹でも大変な事態だった。

(本当なら俺も、聖女として結界を守らなきゃならないんだよな)

 治癒の力で街の役に立つことに疑問を持ったことはないけれど、結界の維持の役割を逃れている負い目はあった。

 魔物が出没したときは特にそう感じる。

 手が止まりかけたティムの背をトルコフが叩く。

「お前の今日の役目はなんだ?」

「先生の助手」

「おう、わかってるじゃないか! いいか、気合入れていけよ」

「はい!」

 ティムは迷いを振り払うように拳を握った。

 外のテントには負傷者が続々と運ばれてきていた。

 普段なら治癒の力で治してしまうところだが、今日は違う。

 傷口を洗い、薬をかけ、トルコフが縫うのを手伝う。骨折は添木をあてて固定した。

(こういうことも教えてもらっていてよかった……)

 負傷者を運んできた兵士たちが戦況を教えてくれる。

「聖水で小物は減らしたから、あとはあのでかいやつだけだな」

「どんだけでかいんですか?」

「うーん、ちょっとした家くらいありそうだな。トカゲ系のようなんだが、両目の上と鼻んとこに角が生えてた」

「落とし穴の魔道具を設置したから、うまくいけば今日中に片が付くと思うぞ」

「なら良かった」

 ほっとしたところで、トルコフに呼ばれた。

「ティム、出番だ! 早くしろ!」

 そのあとは重傷者が数人続いた。彼らはティムが力を使って治す。――いまや、ティムの治癒力は欠損した手足を元に戻せるくらいまで強くなっていた。

 途中、遠くから、どーん、と大きな音が何度か響いた。どうやら落とし穴作戦は決行されたらしい。

 それからしばらく経って「討伐完了」という伝令が回ってきた。

「やった!」

「おおー。さて、こちらはこれからが本番だからな」

 一度笑顔を見せたトルコフも、きりりと顔を引き締めた。

 トルコフの言葉のとおり、本当にティムたちが忙しくなったのはそのあとだ。

 ただ、もう討伐は終わっているから、トルコフに許可を得て、ティムは力を使いまくった。そのため、時間だけはかからずに済んだ。

 ティムは、通常の治療で済ませた人たちにも治癒力を使って、皆すっきり治してしまった。

「どんどん力が強くなっているよなぁ」

 トルコフが呆れたように言う。

「普通の医療は指導してやれるんだが、こっちの力は仕組みがわからんから、俺には何も言えないのが痛いな。こんなにお前の力に頼ってるのになぁ」

「いや、俺だってずいぶん世話になってるだろ」

「軍に入ってほしいが、そうしたらお前にはずっと負担を強いることになっちまう。殿下の近衛のほうがお前にとってはいいんじゃないかって、俺も少佐も話してたんだ」

「先生……」

「何も気にしないで、お前がやりたいほうを選べよ。いいな?」

「っ、わかった……」

 頭をぐらぐらと揺らすように撫でられて、ティムは涙が出そうになるのを堪えた。

 マイクも無事に戻ってきて、手分けしてテントから道具を撤収する。その途中、見慣れない中年の女が話しかけてきた。

「あの、あなたも冒険者なの? すいぶん若いけれど」

 ティムは正式には兵士でもなんでもないため、軍協力者の腕章をつけていた。今日の討伐なら、冒険者ギルドから派遣された者もつけている。

「えーっと、兵士見習いの見習いみたいな感じですけど、なんかありました?」

 聞くと、関所が閉鎖されたため出られなくなった旅行者だそうだ。希望すれば、砦の屋内訓練場で一晩泊まれることになっているらしい。

「それで、隣に座っている人たちが持ち込んだ荷物がねぇ。動物が入っているみたいなんだけれど、ちょっと暴れていて……危険な生き物なんじゃないかと思うと心配でね。誰かに見てもらえないかしらねぇ」

「あー、はい」

(それは俺に言われても困るなぁ)

 ティムは顔を巡らして見つけたマイクに手を振った。彼は正式な兵士だ。

「マイクさん! ちょっと!」

 やってきたマイクに説明する。

「なるほど。ティム、悪いけど、俺行ってくるから、これ頼むわ」

 マイクは持っていた荷物をティムに押し付けた。ティムは医務室に置いて戻ったところだから手が空いていた。

 ティムが「え、でも」と戸惑うと、マイクが小声で「他にも誰かに声かけてきてくれないか」とささやいたから、「わかりました」と駆けだした。

 そして、階級も年齢もマイクより上の兵士を二人捕まえたティムは、急いで屋内訓練場に向かった。

「ありゃ、揉めてるか」

 ティムと一緒に来た一人がそう言うと、揃って慌てて走り出す。

 マイクと商人らしき男が相対していた。少し離れたところで先ほどの女とその家族が不安そうに見ている。

「フィンさん! ベックさんも!」

 ほっとした顔のマイクは、

「この荷物、犬だっていうんですけど……」

 彼が指さした木箱はガタガタと激しく揺れている。息ができるようにか板に隙間があって、そこから唸り声も聞こえていた。

「屋内じゃなくて外に出してもらえないか交渉していたんですが」

「大事な商品なんですよ。外に出して誰かに盗られでもしたら」

 商人が言い募ると、フィンがマイクの肩を叩いて代わってくれた。

「ティム、助かったよ」

 一歩下がったマイクがささやいた。

「あれ、本当に犬なのか?」

「怪しいだろ?」

 ひそひそと話していると、その木箱がばきっと音を立てて壊れた。

 中から黒い毛の塊が飛び出す。

 兵士三人はさっと剣を抜いた。

「……っ!」

 声を上げかけたティムはとっさに口を押える。

(犬じゃねぇだろ! 魔物か?)

 冒険者が狩ってきた魔物の素材や肉は、普通に売り買いされている。生きた魔物を商品にしようってやつがいてもおかしくはないが。

「きゃぁー!」

 何が先だったのかわからない。

 背後で悲鳴が聞こえ、魔物が動く。

 その進路に近かったマイクが切りつけた。

 しかし、魔物に致命傷を与えることなく、マイクは剣を取り落とした。

(あ! しまった! マイクさんの治癒してない!)

 ただの打ち身だから最後に余力があったら、と言われてそのままだった。

 フィンとベックが魔物に背後から切りつけたけれど、それより早く、魔物はマイクに牙を立てた。

「マイクさんっ!」

 ティムが叫ぶと魔物はなぜかこちらを見て固まった。ひるむように後ずさろうとする魔物に、フィンとベックが追い打ちをかける。

 ティムはマイクの剣を拾い、横から魔物に突き刺した。

 すると、魔物は輪郭を崩し、液体になってから蒸発した。

「は? 消えた? どういうことだ! 俺の商品!」

 普通は魔物を殺しても死体が残る。――素材や肉が採取できるのだから当然だ。

 聖水をかけたときは消えるらしいから、ティムの治癒力のせいかもしれない。

 今はそんなことより。

 ティムは剣を投げ捨てマイクに飛びつくようにして、手をかざした。

 金の粉が舞い散る。

 今日は散々力を使ったが、ここで治せなければなんの意味もない。

「ティム、もう大丈夫だ」

「はっ、はぁ……。マイクさん。良かった」

 起き上がったマイクに手を握られて、ティムはほっと息をついた。

 治癒力は体力と似ている。使いすぎると疲れて限界が来るのだ。

「ありがとう、ティム」

「いや、良かった……」

 ティムがぐったりと座り込んだところで、新たな闖入者があった。

「ほら! 言ったとおりでしょう! あいつは聖女なんだ!」

 振り返ると、ビリーがいた。

 一緒にいるのは聖職者だ。孤児院の神父よりも豪華な服を着ている。

(あ、あいつ……)

 くそっ、と舌打ちをしたティムだったが、そのまま気を失った。


 次に目を覚ましたときには、ティムの教会行きが決まっていたのだった。


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