閑話:ヘンリエッタとヴィンセント
魔女国から帰国して十日後、ヘンリエッタはローランドに呼び出された。
執務室は人払いされている。ソファに向かい合わせに座って、ローランドは口を開いた。
「ヘンリエッタに縁談が来ているんだ」
「え?」
思ってもみなかったことを言われ、ヘンリエッタは面食らう。
この髪色で生まれてきて、その上聖女になったから、自分は一生結婚しないと思っていた。
先日、ローランドは代替わりを宣言した。
即位式は他国からも客を招くため、半年後を予定している。
先王の退位は対外的には病気療養のためとなっているが、同時に捕縛されたり蟄居させられた貴族もいるため、建前だと貴族は皆承知していた。
そんな中、ローランドは、ヘンリエッタの髪は魔女とは無関係なこと、魔女は不吉ではないことを発表した。
先王は、ヘンリエッタの実父だが、ヘンリエッタを疎んだ。だから、周りの貴族たちも同様の態度がとれた。
しかし、ローランドは違う。先王の例からも、ヘンリエッタに今までのような無礼を働けば粛清されるのでは、と貴族たちは危惧しているようだった。
そのため、今、ヘンリエッタは遠巻きにされている。
以前のように嫌味を言ったり些細な嫌がらせをされたりすることはなくなったが、親しく話しかけてくる者もない。
(いきなり手のひらを返されるのも嫌だけれど……)
ヘンリエッタも皆にどう接したら良いかわからなかった。
本当は、薬草を育てたり施療院を開設したりしたい。
クキリムのスタンピードで皆から感謝されたときは、気分が高揚して何でもできるような気持ちになったけれど、いつもの王宮に戻ると現実を突きつけられる。
自分一人では難しい。
そういうことをローランドに相談したかったのだけれど、その矢先の縁談だ。
ヘンリエッタは出鼻を挫かれた気持ちで、聞く。
「誰からなの?」
「ハーゲン王国のヴィンセント王太子殿下だよ」
「え?」
今度こそヘンリエッタは固まった。
ローランドは八王国会議で面識があるし、先日ティムが捕えられた件でやりとりがあったようだけれど、ヘンリエッタは面識がない。
「なぜ、私を?」
「あの国は聖女から妃を選ぶんだって。それなのに、今の聖女の中に相応しい人がいない。困っていたら、魔女からヘンリエッタを勧められてたって」
「魔女から?」
ヘンリエッタの頭に、ティムと親しい魔女シェリルの顔が浮かぶ。
(ティム様をバーズキア王国に誘ったから? いえ、そんなことはないわよね……)
ヘンリエッタの内心は知らず、ローランドは、
「そう。ドロシーって魔女。知ってる?」
「ええ。一番年下の魔女で、いろいろ話しかけてくれたわ」
そういえば、とヘンリエッタは思い出す。
スタンピードのあと、ドロシーに聞かれた。
「ヘンリエッタ王女はティムのこと好き?」
突然の質問にヘンリエッタは驚きながら、答える。
「え? いえ、私が誰かを好きになるなんておこがましいです」
「あ! ううん、恋愛じゃなくって。ええと、何だっけ? 人として? 人間的に?」
「はい、そういうことなら、好きですわ。教えていただいたり、気づかせていただいたり、感謝しております」
ヘンリエッタがそう答えると、ドロシーは身体の後ろで手を組んで、ヘンリエッタを見上げる。
「だったらティムをいじめたりしないよね?」
「ええ。それはもちろんですわ」
――そんなことがあったのだ。
ティムはハーゲン王国の他の聖女とうまくいっていなかったらしい。だから、ドロシーはティムに好感を持っているヘンリエッタが王太子妃になればいいと思ったのかもしれない。
ヘンリエッタがその予想を伝えると、ローランドもうなずいた。
「ヴィンセント殿下とティムは親しいみたいだからね」
「でも、ティム様は魔女国に残るそうよ」
「ふーん。あいつ、シェリル殿と気が合ってたもんな」
ローランドは軽く鼻を鳴らしてから、ヘンリエッタに向き直る。
「縁談はどうする? 僕の力不足で申し訳ないけど、ヘンリエッタと国内貴族の縁談は難しいと思うんだ。ハーゲン王国は二つ隣りだから、遠すぎず近すぎず、ちょうどいいだろ? ヴィンセント殿下はやり手みたいだし、顔も良いほうだし。良い縁談だと思う」
「でも、私は結婚したいと思っていないわ」
そこでヘンリエッタは、クキリムのスタンピードで自分が役に立てたことや、これから薬草栽培や施療院で役に立ちたいことを話す。
ローランドはうなずきながら聞いてくれたけれど、
「ヘンリエッタがやりたいことは、この国では難しいと思う」
「なぜなの?」
「この国には聖女が少ないだろ? ヘンリエッタが聖女の活動を広げても次代が続かない。君の治癒力を前提にした改革はできないよ」
「そうね……」
ローランドに諭されてヘンリエッタも納得した。
確かにその通りだ。
「ごめん。君に自信を持ってほしくてクキリムに行ってもらったのに、活動の場を用意できないなんて。……それに、王宮の意識改革も全然……」
「それは、すぐにどうにかできることだと思っていないわ。私が皆の意識を変えていかないとならないのに……」
ヘンリエッタもローランドもそろってため息をつく。
「ティムに怒られたんだ」
「え?」
「周りが変わるべきなのに、ヘンリエッタに変化を要求するなんて横暴だ、とかなんとか」
「ええっ! ティム様がそんなことを?」
ヘンリエッタは、出会ってさほど時間が経っていない人が自分のために一国の王太子に意見してくれたことに、うれしくなる。
「クキリムに行って良かったと思うわ。自信はともかく、今までやってきたことが報われた気持ちになったもの」
「そ? それならいいけど」
ローランドは照れたように笑ってから、
「君が聖女の活動をしたいなら、ハーゲン王国はうってつけだよ」
まずは通信魔道具で話をしてみないか、と勧められて、ヘンリエッタはヴィンセントと話すことになった。
卓上置きの鏡のような魔道具に、青みがかった銀髪の青年が映る。ハーゲン王国のヴィンセントだ。
ヘンリエッタは座ったまま丁寧に礼をした。
「初めてお目にかかります。バーズキア王国の王女ヘンリエッタと申します」
『ハーゲン王国のヴィンセントだ。初めまして、ヘンリエッタ殿下』
まだ内々の話なので、身近な者だけでざっくばらんに話そうという趣向だったから、こちらはヘンリエッタとローランドだけだ。
『話す機会を設けてくれて感謝する』
ヴィンセントは、
『私はあなたに縁談を申し込んだわけだが、あなたは迷っていると聞いた』
「ええ。突然のことで……。ドロシー様の勧めだそうですが……」
ヘンリエッタが水を向けると、ヴィンセントは苦笑した。
『ドロシーは、ティムが心置きなく魔女国で暮らせるようにハーゲン王国の憂いをなくしたいらしい。それから、ティムに仕事を押し付けてきた聖女たちに仕返しもしたいそうで、いろいろ便利な魔道具を貸してくれるんだ』
「仕返し、ですか?」
確かにドロシーはティムに懐いていたが、それより不穏な単語が気になって、ヘンリエッタは尋ねる。
『ああ。うちの国の聖女たちの話は誰かから聞いたかな?』
そう言ってヴィンセントが語ったのは、驚くような聖女の実態だった。
「それでは、何のための聖女なのかわかりませんわ」
『そうだね。一人で結界を維持してきたあなたなら、憤慨するだろうと思っていたよ』
「いえ、そんな。私は聖女である前に王女なので……」
買い被られている気がして、ヘンリエッタは慌てて手を振る。
『王族であっても必ずしも国民に寄り添えるわけではないのは、貴国の先王陛下が証明しているだろう?』
「言ってくれるね」
横に座っているローランドが口を挟むと、ヴィンセントは、
『反論があるのかい?』
「ないよ。ないない」
ローランドとヴィンセントはずいぶん親しくなったらしい。
「それで? 自国の聖女がダメだからヘンリエッタに求婚?」
『まあ、有り体に言えばそうなるが、ヘンリエッタ殿下にも悪くない提案ではないだろうか?』
ハーゲン王国は今でも聖女が多いが、今後は平民も聖水で洗礼を受けてもらい、聖女を増やすつもりだと言う。
『治癒力を得ても、聖女になるかならないかは、本人次第にするつもりだ。強制はしない』
聖女の主な仕事は薬草栽培になるそうだ。
『薬なら聖女がいない場所にも届けられるからな。施療院もいずれは聖女がいなくても回るようにしたいと思っている。ティムには、しばらく魔女国とうちを行き来して、薬草栽培や広域治癒の指導をしてもらうつもりだ』
「考えているんだな……」
ローランドのつぶやきに、ヴィンセントは『当然だろう?』と返す。
『君だってもう国王じゃないか』
「あー、そう! そうだけどさ!」
ローランドが弱気を見せるなんて珍しくて、ヘンリエッタの視線はローランドと魔道具のヴィンセントを往復してしまう。
『頼るあてもあるんだろ?』
「まあね」
ローランドは軽く頭を振ると、
「僕のことはいいんだよ。ヘンリエッタの縁談だろ」
『ああ、そうだね。ええと、どこまで話したかな。今後の聖女の活動内容だったかな』
ヴィンセントはヘンリエッタに向き直ると、
『我が国ではまだまだ聖女の活動の場は多い。ヘンリエッタ殿下が聖女として活躍したいなら、ハーゲン王国は最適だと思う。私は、国民のことを考えることができる人が妃になってほしい。慣習だけれど、妃には聖女が求められている。ヘンリエッタ殿下はその条件に合っているから、縁談を申し込んだ。どうか私と結婚してほしい』
ヴィンセントは魔道具越しに頭を下げた。
彼がそこまで言ってくれたことにヘンリエッタは心を動かされた。
「ヴィンセント殿下、お顔を上げてください」
今度はヘンリエッタが頭を下げた。
「この縁談、謹んでお受けいたします」
ローランドがほっと息をついた。
『ありがとう』
ヴィンセントも笑顔を浮かべた。
それから、彼は身を乗り出し、
『早速だけれど、すぐに婚約者として引っ越してきてほしい。超特急でドレスを作らせるから、最短で結婚しよう。ティムに仕事を押し付けていた聖女の中で一番悪質な者に思い知らせてやりたいんだ』
「早速、ティムってわけ? あんたにとってティムって何なの?」
ローランドが呆れた顔で尋ねる。
「恩人で親友、かな」
ヴィンセントはそう答えて、少し陰のある笑顔を見せた。
「こうやって画策しているのは、今まで手出しできなかった罪悪感のせいでもあるけどね」
――ヴィンセントと計画を練るのは意外に楽しく、ヘンリエッタは婚約者と親しくなれたようでほっとした。
そんなことをローランドに話すと、
「婚約者の交流って、普通はそんなんじゃないよね? 何やってるのさ」
と、呆れながらも笑ってくれた。




