治癒の力
「ティム兄ちゃん!」
「こっち!」
足にまとわりついたり、背中に飛びつく小さい子たちを引き連れながら、ティムは孤児院の庭を歩く。
――山崩れに巻き込まれて両親を亡くしたティムだが、生まれ故郷の村で引き取り手がなく、街の孤児院に入ることになった。
ティムは十歳になっていた。
ここは、ハーゲン王国の北の国境の街モナオ。国と国を繋ぐ『大陸道』の関所がある。
この大陸には人を襲う魔物がいる。しかし、各国とも結界の魔道具で守られているため、その中に魔物が出ることは滅多にない。
どの国も国境を接しておらず、点在する国と国を繋ぐのが『大陸道』で、その道も結界の魔道具で守られていた。
結界の外は恐ろしい魔物がはびこる森。結界から出るのは、魔物から採れる素材を売って生活している冒険者か、国の討伐隊くらいだ。
例外がボーデン魔女国で、かの国は結界で囲まれていない。それなのに魔物は入ってこないらしい。
魔法が使えるのは魔女だけだ。魔女は人間とは違う種だという。
ティムが会った魔女は、美人ではあったけれど、人間と違うようには見えなかった。
生活用の魔道具は人間でも作れるが、結界の魔道具は魔女にしか作れない。大陸道の結界の魔道具ももちろん魔女国製のため、点検は魔女が行っている。
モナオにいれば点検に来た魔女に再会できるかもしれないと思っていたけれど、街に魔女が立ち寄ることはなかった。
五十年近くこの街で暮らしている神父も、ティムが助けられたときしか魔女を見たことがないらしい。
ティムは二年経った今でも、ことあるごとに空を見上げてベッドが飛んでいないか探してしまう。
木々の葉の緑のような常盤色の髪の魔女。
(もう一度会えたらお礼を言うんだ)
その一番の近道が関所の兵士になることだ。
街中には入らない魔女も、関所には点検結果の報告に寄るそうだ。
「俺は素振りをするから、お前らだけで遊んでろよ」
そう言ってティムはまとわりつく小さな子たちを振り落とす。
「えー、つまんなーい!」
などと言いながらも、彼らはティムから離れて遊び始めた。
孤児院にいられるのは十五歳になるまでだ。出ていく子どもは住み込みの仕事に就くことがほとんどで、男子の就職先の最有力は兵士だった。
万が一魔物が入ってきたら戦わなくてはならない国境軍の兵士は不人気で、いつでも募集中だ。そのため、孤児院には現役兵士が慰問を建前に勧誘に来る。就職を希望すれば指導もしてくれた。
ティムは早くから兵士になりたいと言っていたため、大歓迎で指導してくれていた。
指導がない日は自主練習だ。
ティムは借りている木剣を振る。
「ティム!」
素振りに集中していると声をかけられて、はっとする。振り返ると、同じ年のビリーだった。
彼は他の子どもに見えないように身体に隠して、斜めがけしていた鞄の蓋を開けて見せる。
「リン、っと」
大きな声を出しかけて慌てて口をつぐむ。
リンゴは二個しか入っていない。
「片付けに行こうぜ。付き合ってやるよ」
ビリーはティムの持つ木剣に顎をしゃくってから、建物の裏手にある用具入れの方を指で示した。
ティムも察して、並んで歩く。死角に入ったところで、ビリーは鞄からリンゴを取り出して、ひとつをティムに放り投げてきた。
「これ、どうしたんだ?」
「セーブン少佐からだぜ。お前と分けろってさ」
「ありがと」
「ん」
ビリーも兵士を目指している仲間だ。
セーブン少佐はモナオの砦に配属されている部隊の指揮官で、ビリーもティムも目をかけてもらっていた。
「女神アンジェリーナの恵みに感謝を」
教会に併設された孤児院なので、生まれた村では一度も唱えなかった食前の祈りの詞が自然に出てくるようになっている。
二人はさっそくリンゴにかじりついた。
硬めの果実はしゃくっと歯ごたえが良い。水気の多いリンゴは喉が乾いていたティムには甘露だった。
ティムもビリーも無言でリンゴを食べた。
育ち盛りの少年には、孤児院の食事だけでは足りないときがあった。指導に来る兵士は毎回差し入れを持ってきてくれたし、街中で会ったときに屋台の軽食をおごってくれる人もいた。
ティムが、他人の親切のおかげで生きていられると実感するのはこんなときだ。
時折魔物の侵入がある国境の街では、命に関わる危険が身近だ。それが団結力を育むのか、住民の皆が助け合って生活している。関所があるから旅人や冒険者も多い街だが、治安は悪くなかった。
孤児院の暮らしは質素だし、旅人の中には孤児を蔑むような目で見る者もいる。それでも、モナオに来れて幸運だったとティムは思っている。
(一番感謝しているのはやっぱりあの魔女の姉ちゃんだけどな)
生垣の根本に穴を掘って芯を埋めて証拠隠滅してから、ティムはビリーに、「今日も砦に行ったのか?」と聞いた。
「ああ、俺は今日は掃除当番じゃねぇもん」
兵士を目指すビリーはティムよりも熱心だった。
ビリーの父親は兵士で、魔物と戦って亡くなったそうだ。母親は行商人と縁があって再婚したが、父親と同じく兵士になりたかったビリーは自分で希望してモナオに残ることにしたのだそうだ。ビリーの母親は年に一度、行商人の夫と共にモナオにやってきて、ビリーと面会している。
「今度はお前も一緒に行こうぜ」
「うーん、俺たちが行ったら迷惑じゃないか? 兵士の人たちは俺たちに構ってる暇なんてないだろ」
「見学だよ、見学。そんで、ついでに見習い兵士がやるような雑用を教えてもらえればさ」
「いや、それだって教える手間かけさせてるってことだろ」
というティムの反論は、半分も口にしないところで止まることになった。
「きゃーっ!」
幼い子の悲鳴が庭から聞こえた。
「ルーシー!」
「誰か! シスター! 神父様!」
ティムはビリーを顔を見合わせると、庭に急いだ。
端にある木の周りに皆が集まっている。数人が建物に走っていくのが見えた。
「どうした?」
「ティム兄ちゃん! ビリー兄ちゃんも!」
「ルーシーが木から落ちたの」
「血がっ!」
五歳の少女ルーシーが横向きに倒れていた。下になった腕がおかしな方向に曲がっている。血の匂いがして、肩のあたりの地面が濡れてきている。
ティムがルーシーに駆け寄ると、「触るな!」と制止の声が聞こえた。
孤児院で一番年長のポールが建物から走り出てきた。彼の後ろに孤児院長を兼任している神父の姿も見える。
「頭を打ってるかもしれないから動かすな! ビリー、診療所まで行ってティーワン先生を呼んで来い!」
「わ、わかった」
ビリーが踵を返す。
「お前らは中に入ってろ。アンナ、頼めるか」
「ティーワン先生が来るのに邪魔になったら困るから、行きましょう」
遅れてやってきた女子の最年長のアンナが、シスターと協力して小さい子たちの手を引いて皆をこの場から離れさせる。
ティムは呆然と座ってルーシーを見つめていた。
(こんなときは、どうする……? 俺には何ができるんだ?)
頭に霞がかかったようで、考えがまとまらない。
「おい、ティム。大丈夫か? お前も中に」
ポールがティムの腕を引いたとき、ルーシーがうめき声を上げて身じろいだ。
少女の口の端から血がこぼれる。
二年前、山崩れに巻き込まれた自分もそうだった。
(あのとき、俺が助かったのは……)
魔女が助けてくれたから。
「怪我を治さないと……」
そう口に出した瞬間、ティムの中で、外れていた部品がかちりとはまったような感じがした。
思考がはっきりする。
「怪我は治せばいいんだ」
ティムがルーシーに両手を伸ばすと、ポールが「触っちゃダメだ」と止める。
「大丈夫。触らなくても治せる」
「は?」
誰に教えられなくてもやり方がわかった。
ルーシーの怪我に意識を向けただけで、ティムの両手から光の粉が沸き出てきた。治癒の力が溢れて、ルーシーの身体を包む。
「え? なんだこれ」
「まさか!」
ポールと神父が驚きの声を上げた。
ルーシーの怪我は見る間に治っていく。
数分で光の粉は消えた。
「ルーシー?」
そう声をかけると、少女の目が開く。
ゆっくりと起き上がったルーシーの口元の血を拭うと、彼女は瞬きして首を傾げた。
「ティム兄ちゃん?」
「どこか痛いところはあるか?」
「ううん。別に痛くないよ?」
ルーシーの腕は元通りになっている。彼女はその腕を普通に使って立ち上がる。
服についた血と地面に流れた血がなければ、ルーシーの怪我なんて幻だったかのようだ。
「ティム、お前、今の……」
ポールが興奮に顔を赤くして、ティムに詰め寄る。
「治癒の力だと思う」
治癒が使える聖女は王都の教会にしかいないから、ティムはその力に触れたことなどないが、確信があった。
「治癒……って聖女? いや、お前男じゃないか!? なんで?」
「知るかよ、そんなん。でも、ルーシーが治ったんだから治癒だろ」
「神父様、男の聖女っているんですか?」
ルーシーの身体を確認していた神父にポールが尋ねる。
「聞いたことがありません。それに治癒の力は貴族の令嬢にしか宿らないと言われています」
「俺は貴族じゃないですよ」
「ええ。ですが……」
三人はそろって、元気になったルーシーを見た。彼女は不思議そうに見返す。
少しの沈黙のあと、おもむろにポールが口を開いた。
「ティムは男だから聖女じゃないだろ。聖女じゃないなら、教会の本部に報告しなくていいはずだ。ティムは王都に行く必要なんてない」
ティムもポールの意図がわかった。
このモナオの街に診療所は一つだけ。医師も一人だ。薬屋は何軒かあるが、孤児院は高額の医療費なんて払えないから、風邪ぐらいなら薬も飲まずに寝てやり過ごすなんて当たり前だった。
砦には軍医もいるけれど、魔物と戦って大怪我を負った場合に普通の医療行為で治せる範囲には限度がある。
先ほどのルーシーだって、医師を呼んでも助かるかわからなかった。
ティムが本当に治癒の力を持っているなら、このままモナオに居続けたほうがいい。
聖女は王都の教会に集められるのだから、本部に報告したら、きっとティムはここから連れ出される。
「そうだよな、ポール。男の聖女はないだろ」
「ないない。ティムが聖女だなんて笑える」
「さっきのはまぐれだよ」
「ですよね、神父様!」
ティムとポールが畳み掛けると、神父は眉間を押さえた。
「……ティーワン先生にも相談してみましょう」
ルーシーと、念のためにティムも診察を受けることになり、神父の執務室に向かった。
ティーワンが来たときの案内のためにその場に残ることになったポールが、すれ違いざまにティムにささやいた。
「お前の瞳、金色に変わってる」
診察の結果、ルーシーは血を流したため安静を言い渡されたが、怪我の名残は他には何もなかった。
ティムももともと濃茶色だった目の色が金に変わっただけ――だけというには異常事態だが――。体調に問題はなかった。
神父とティーワン医師は、砦のセーブン少佐も交えて話し合い、ティムの力は隠されることになったのだった。