予期せぬ再会
ティムはヘンリエッタにルビィを紹介した。
「ドラ、ド、ドラゴン!?」
「襲ってきたりしないから安心してください」
巣でくつろぐルビィを見て、ヘンリエッタは真っ青になる。
「怖がりすぎよぉ。失礼しちゃうわ」
重低音でルビィが憤慨すると、ヘンリエッタは倒れそうになり、ティムは慌てて支えた。
「そんなに怖いの?」
一緒に来たドロシーも驚き、二人でヘンリエッタを岩に座らせる。
「申し訳ありません。……あの、バーズキア王国には赤いドラゴンに攻め込まれた伝説があって……」
「あー」
ティムは額を押さえて、ルビィを振り返る。
「それって、ルビィちゃん本人だろ」
「嫌ねぇ、攻め込んでなんていないわよ。たまたま降りたら家が潰れただけじゃないのー」
人間は何でも大げさにするんだからー、と鼻息を吐くルビィに、ヘンリエッタは目を丸くした。
シェリルの研究で、ヘンリエッタは治癒力の量がとても多いことがわかった。ティムよりも多いそうだ。
「でも、効果はティムのほうが高いわね。――薬草で例えるなら、薬効が八の薬草を百本持っているのがヘンリエッタ王女で、薬効が十の薬草を九十本持っているのがティム、という感じかしら」
だから良い悪いってことはないけれど、とシェリルは付け加えた。
ティムからすれば大差ないように思える。
ヘンリエッタは治癒力を使うのは『結界の補修』くらいだったらしい。
「それじゃ、殿下は治癒の経験があまりないんですね」
「はい。私が近づくのを嫌がる人もいましたから。……大叔母様や親しくしていた司祭や神官、あとはローランドと彼の側近、そのくらいです」
どうにも暗くなる話に、ティムは勢いよく立ち上がると、
「それじゃ、広域の治癒を練習しましょう。軽症患者はまとめて治癒できるんで便利ですよ」
ティムは試しに周辺に治癒をかける。金の粉が舞い散って、ルビィが気持ちよさそうにため息をついた。
「癒されるわぁー」
「さて、殿下もやってみましょうか」
戸惑いながら立ち上がったヘンリエッタだが、やはり治癒力の扱いに慣れているから、飲み込みが早い。すぐに習得して、ルビィの巣ごと治癒をかけられるようになった。
「うーん、やっぱりティムの治癒と、ヘンリエッタの治癒は少し違う気がするわねぇ」
ルビィは「癒されるのは同じなんだけど」と首をかしげる。
「シェリルが言うには、俺のほうが効果が高いって」
「効果? そういうのじゃなくて、うまく言えないけど……、味?」
「味? 治癒力に?」
「繊細なドラゴンにしかわからないのよぉー」
ルビィが地団駄を踏むとヘンリエッタが慌てる。それを「ルビィちゃんは怒ってるわけじゃないから」とドロシーが宥めた。
(そういえば、毛玉もヘンリエッタ殿下には集まって来ないんだよな。王女だから遠慮してるのかと思ってたけど……)
わからないことも多いが、わからなくて困るわけじゃない。
アンジェリーナに近かろうと、規格外の聖女だろうと、ティムは何も変わらない。
「あの、少し伺ってもよろしいでしょうか?」
岩に腰掛けたヘンリエッタに聞かれて、ティムは振り返る。
「はい。何でしょうか?」
「ハーゲン王国も最新型の結界の魔道具に変えたのですよね?」
「ええ。俺が魔女国に来てからですね。まだ公表はされていないので、内密でお願いします。――ヴィンセント殿下の策りゃ、じゃなくて、えっと、殿下が聖女の仕事の改革を行うための下準備中なので」
「わかりました。その……改革では聖女の仕事を減らすのですか? お答えは差し支えなければで構いません」
「あー、俺は詳しいことは聞いていないのですが、おそらく減らす方向だと思います」
聖女の負担を減らしたいとヴィンセントは言っていた。
ヘンリエッタは憂い顔だ。
(そういえば、最初に最新型の話をしたときも喜んではいなかったな)
「何を気にされてるんですか? 最新型は自動修復するので、何も心配いらないですよ」
ティムがそう言うと、ヘンリエッタは「いいえ、心配なんて何も……」と否定する。
そこでドロシーがヘンリエッタの前に立ち上がった。
「もう、うっとおしいのよ! そんな暗い顔して何でもないなんて言って、こっちが納得すると思っているの? あなたの国の人なんて誰も聞いてないんだから、遠慮しないで思ってることを言いなさいよ!」
「そうよ! そうよぉ!」
ルビィもドロシーに乗っかる。
「俺もそう思いますよ」
ティムも促すと、ヘンリエッタは俯いて、
「私は聖女だから……皆の役に立っているから、生きてこられたんです。それなのに『結界の補修』の仕事がなくなったら、今度こそ本当に居場所がなくなってしまうのではないかと……」
「あー、なるほど。バーズキア王国は施療院がないんですもんね」
ティムは腕組みをする。
「そしたら、薬草を育てるのはどうですか? 薬草に治癒をかけると薬効が高まるんですよ。さっきの広域治癒を使えば簡単ですから」
「……でも、私が育てた薬草なんて誰も使ってくれないと思います」
「薬効が高くても、ですか?」
ティムが驚いて聞くと、ヘンリエッタはうなずいた。
「そういえば、ローランド殿下が平民は魔女に忌避感がないっておっしゃってました。濃緑の髪でも魔女を連想しないって。いっそ、国境の教会で施療院を開くとか、どうですか?」
「国境で……?」
ヘンリエッタが興味を示したため、ティムは、
「国境は冒険者も多いんで、施療院は喜ばれると思いますよ。何なら、本当にこの髪色が受け入れられるか、俺が試しに行ってきましょうか?」
「でも、私は……」
ヘンリエッタが首を振ったところで、またドロシーが立ち上がった。
「だから、うっとおしいって言ったじゃない! でもでもでもって、やってみてもないのに! ティムの提案を拒否するなら、王女様がやりたいことって何なの?」
「……私のやりたいこと……」
ヘンリエッタは瞬きをして繰り返す。
考えたこともないのかもしれない。
(聖女じゃなくて違う髪色だったとしても、王女に生まれたなら制約が多いだろうしなぁ。ヴィーノを見てると、本当に大変だと思う)
「魔女国にいる間に考えてみたらどうですか? ローランド殿下なら、ヘンリエッタ殿下の希望を叶えてくださると思いますよ」
ティムがそう言うと、ヘンリエッタは少しだけ笑みを浮かべた。
それから、「先に戻らせていただきます」と丁寧に礼をして屋敷に帰っていった。
見送るドロシーが、
「王女様がしゃんとしてくれないとお兄さんに紹介できないじゃない」
と、つぶやいていたのはティムには聞こえなかった。
数日後、ティムはルビィに乗ってバーズキア王国の国境近くまでやってきた。
人の多いところに近づくと大騒ぎになるため、ルビィには少し離れた森の中に降りてもらった。
「それじゃあ、また明日迎えに来るわね」
「ああ、よろしくな」
ルビィに手を振って、ティムは剣の防御結界を作動させた。
『大陸道』まで歩けば冒険者向けの乗り合い馬車があるし、歩いて関所まで行ってもここからならさほど時間はかからない。
ヘンリエッタに提案した手前、本当に平民が濃緑髪に抵抗がないのか、ティムは偵察に来たのだ。
背中に乗せて連れて行ってくれと頼むと、ルビィはおもしろがって了承してくれた。しかし、シェリルの説得は難しかった。
一人で行くティムを心配するシェリルに、「魔女が一緒だと変に目立つから」と説明し、ドロシーもティムの味方になってくれて、やっと許可を得た。
国と国を繋ぐ『大陸道』は、馬車で半日くらいの道だ。魔石で稼働する型の結界の魔道具で守られているため魔物は入ってこないが、人間や動物の出入りは自由だった。道の途中に設けられた広場に野宿しながら森を探索する冒険者もいる。
ティムも今日は冒険者風の格好だ。特に見咎められることなく森から『大陸道』に入ったところで、剣の防御結界を消す。――結界が木にぶつかるため、森の中では地味に歩きにくかった。
(まずは薬草を売って金を作らないとな)
魔女国に行くときヴィンセントが用意してくれた荷物の中に金があったが、それは使わずに残しておきたくて、ティムは薬効が高くない薬草を摘んで持ってきた。――冒険者なら魔物を狩って素材や魔石を採って売るのが普通だが、ティムが魔物を切ると消えてしまって素材が採れないのだから仕方ない。
ティムは孤児院時代に冒険者ギルドに登録していた。砦の医務室では少額だが給料をもらっていたため、商店のお使いの駄賃も含めてギルドに預けている。大した金額ではないがそれも使える。
(今思えば、砦の給料は少佐かトルコフ先生のポケットマネーだったかもしれないなぁ)
ティムは正式な見習いではなかった。
今度はモナオに行って、孤児院の神父や砦の皆に礼を言いたい、とティムは思う。
(それに比べて、聖女は給料が出なかったんだよな。まあ、教会から出られなかったから、金を持っていても使い道がなかったけど)
貴族令嬢の聖女は、実家からの差し入れで着飾ったり茶会をしたりしていた。
そんなことを考えながら歩き、バーズキア王国の関所に着いた。
ティムはギルドカードの他に、孤児院に入るときに作ってもらった身分証も持っている。
首に提げていた金属の身分証を見せると、関所の兵士は、
「ハーゲン王国から? 冒険者か?」
「はい。全部の国を回ってみたくて」
「ああ。がんばれよ!」
八王国を一周する冒険者は多いのだろう。中年の兵士は、ティムの肩を軽く叩いて中に入れてくれた。
バーズキア王国の北側の関所の街クキリムは、活気があった。
ローランドから連絡があったが、国王とその一派が捕縛されたのは二日前。近々代替わりを発表するそうだ。
王宮はバタバタしているだろうし、王都の平民にも伝わっているかもしれない。しかし、国境までは伝わっていないのだろう。
(国境ってそんなもんだよな)
関所からの目抜き通りに冒険者ギルドを見つけて、ティムはさっそく薬草を換金した。
「なかなか質が良いですね。この近くで採取したんですか?」
などと突っ込まれて聞かれ、「秘密です」と笑ってごまかしつつ、ギルドを出る。
適度なランクの宿を取ってから、ティムは街に出た。
商店街の様子は故郷と似ている。雰囲気が懐かしく、ティムは心が沸き立つ。
バーズキア王国はハーゲン王国の二つ隣。さほど離れていないため、売られている食材もあまり変わらなかった。
ただ、少し値段が高い。
ティムは三年間も教会に閉じこもっていたから、その間に物価が変わった可能性もあるけれど。
「なあ、これ、高くないか?」
「あぁん? 兄ちゃん、他所の国から来たやつか? こんくらいじゃねぇとこの国では商売なんてやっていけんのよ」
「んー? 税か?」
「大きな声じゃ言えんがね。年々上がっていくんだわ。全くなぁ」
ため息をついた店主が見た方角は、領都か王都か。
(あの国王だもんな……)
ティムはリンゴを一つ買って「もうすぐ楽になると思うぜ」と店主に言ったが、慰めだと思ったのか、店主は「ありがとよ」と軽く返した。
屋台で買い食いしたり、ドロシーに頼まれた土産――キャサリンやアイリスが髪に結んでいたようなリボンを選んだ――を買ったり、ティムは街を見て回った。しかし、ティムの髪色を珍しがる者はいても忌避する者はいなかった。
やはりローランドが言った通り、国境では濃緑の髪でも問題ないようだ。
(次はヘンリエッタ殿下も一緒に来れたらいいけど、王女様にドラゴンに乗ってもらうのは難しいか)
商店街を外れ、住宅街に入る。教会が目に入ったティムは、ふらりと敷地内に入った。
モナオのように孤児院を兼ねているらしく、裏のほうから子どもの声が聞こえる。
ティムが育った教会と同じく、聖堂の扉は開いていた。誰もいなかったが、ティムは足を踏み入れた。
薄暗い内部に目が慣れる。古いがよく手入れされ使い込まれた椅子、飴色に光る柱も擦り切れた石畳も掃除が行き届いている。
ティムはまっすぐに歩いて祭壇の前に跪いた。
女神アンジェリーナの像を見上げる。聖女服にベールを被った姿で、唯一見える口元は優しい微笑みを描いている。
王都の教会で女神に祈るのは聖女ではなく司祭や神官だった。孤児院にいたころのほうが女神に祈っていたな、と思うと少しおかしい。
そして魔女国に来てから、女神は魔女アンジェリーナとして身近になった。
(ルビィが言うように、俺が魔女アンジェリーナに似ているなら、俺が魔女国の一員になれるように、どうぞお力添えください)
ティムは立ち上がると、誰もいないことを確認してから、聖堂全体に治癒をかけた。
「うわっ、何だこれ!」
誰もいなかったのに、治癒力の金の粉が消える前に、タイミング悪く外から人が入ってきたようだ。
逆光で顔が見えないが、声はティムと同じくらいの青年だ。
「これ、治癒か? やっぱりティムか!? 商店街で見かけて追いかけて来たんだが、当たりだったな」
「え?」
名前を呼ばれてティムは目を凝らす。
聖堂に入ってきたのは、ティムの治癒力を教会に知らせてティムが聖女になるきっかけを作ったビリーだった。
「ビリーか……?」
三年ぶりの顔は、記憶の中より成長している。彼は冒険者の格好をしていた。
ティムの頭にさまざまなことが思い浮かんだ。孤児院で一緒に過ごした日々。兵士を目指して稽古をしたこと。それから、あのスタンピードの日のこと。
文句を言いたかったこともあったのに、ビリーを目の前にしたら何も出てこなかった。
「ティム……、お前のせいで俺はっ!」
先に口を開いたのはビリーだ。
「お前のせいで、俺は兵士になれなかったんだぞ! 母親に引き取られて、その再婚相手の商人もハーゲン王国から出ないとならなかったんだ!」
おそらくビリーの義父は国境伯から逃げたのだろう。
ティムを養子にしてヴィンセントに恩を売ろうとしていた国境伯は、ティムが聖女になったことで面子を潰された形だ。しかも、聖女のティムは役立たずだと思われているから後ろ盾になっても得がない。
一度面会に来て、「殿下が仰るからお前には何も言わないが、お前も国境伯家との関係を仄めかしたりするな」と釘を刺された。
「ビリー、お前まだそんなこと言ってるのかよ。俺のせいじゃねぇよ」
「いいや、お前が少佐や街の皆に俺のことを言いつけたんだろ!」
「俺が言いつけなくても、お前がやったことなんて皆が知ってただろうが」
「あることないことでたらめ言ったんだろ!」
ティムの反論を受け付けないビリーに、ティムは彼の胸ぐらを掴む。
「砦から気を失ったまま連れ出されて、そのまま教会。聖女になって、毎日働かされて、外にも出られない! 三年間もだ! そんな俺がモナオの街でお前の何を言いふらせるって言うんだよ! あぁ?」
ティムは凄んで、ビリーが伸ばした手を叩き落とす。
「ぐっ。なら、今、なんでここに……」
「俺が王太子妃争いの障害になるってんで、厄介払いで魔女国行きを命じられたんだよ。今日は魔女国からここに来た。……ああ、勘違いするなよ。お前のことを探して来たわけじゃない。お前がいるなんて知ってたら別の街に行ったさ」
ティムはビリーを突き飛ばした。ビリーは倒れて、据付の椅子に当たる。
「なあ? お前は俺に、治癒力があるから贔屓されて羨ましいって言ってただろ?」
ティムはビリーを見下ろす。
「俺だってお前が羨ましいと思っていたよ。年に何度も面会に来てくれる母親がいて、その再婚相手もお前の生活費以上の寄付をしてくれる。――そんなお前を羨ましいと思わないやつが孤児院にいると思ってるのか?」
なぁ? と問いかけるとビリーは顔を逸らした。実際、小さな子はビリーに直接言ったり不安定になることもあって、ビリーの面会に神父やシスターは気を使っていた。
「俺を売ったのはお前だろ? 兵士になれなかったのも、祖国を出ることになったのも全部自分のせいだろ? 引き取ってくれる母親がいて、追い出さないで面倒見てくれる義父がいることを感謝しろよ。なんで、いつまでも人のせいにしてんだよ! ふざけんなよ!」
最後は怒鳴り声になった。
全てがビリーのせいだとは思わないが、聖女になるにしても、それこそ国境伯家の養子になってからなど、もっとやり方があったはずだ。
恨みたいのはこちらなのに、なぜ逆に恨まれる?
ティムが怒鳴ったことで復活したのか、ビリーは勢いよく立ち上がる。
「このやろう!」
ビリーはティムに拳を振り上げた。
ティムはそれを腕で受け止めて防ぎ、ビリーを殴り返した。
殴り合いの喧嘩は孤児院時代にもやったことがあった。当時は互角だったけれど、教会でも鍛えていたおかげか、今はティムのほうが強いようだ。
頬に拳を受けたビリーはふらついて、どかりと椅子に座った。
「お前とはもう二度と会うことはない。これで終わりだ」
ティムはそう言って、ビリーに近寄らずに広域の治癒をかける。
金の粉に気づいたビリーは顔を上げた。そこに怒りはなく、呆然とした表情でティムを見る。
ティムは無言で踵を返すと、聖堂を後にした。
(前にトルコフ先生に、ビリーを一発殴ってやりたいって言ったけど、それが実現するとは思わなかったな)
しかし、すっきりしたとは到底言えない。
せっかく忘れていたのだから、会いたくなかった。
ティムはやるせない思いを抱えながら、赤くなっていた右手の拳に治癒をかけたのだった。




