魔女との出会い
ティムがシェリルに出会ったのは十年前、八歳のときだった。
「誰かいるの?」
鐘を鳴らすような高い声が聞こえ、ティムは目を覚ました。
「う、うぅ……」
目が覚めたと同時に、息苦しくて呻き声を上げた。
何かが身体の上に乗っているようで動けない。
かろうじて目を開けるが、視界は暗い。
(なんだ、これ? たしか俺は……)
ティムはここまでのことを思い出す。
自分は両親と荷馬車に乗っていたはず。村から街まで野菜を売りに行くところだった。
もうすぐ山を下りきるというとき、地響きがして――。
(山崩れに巻き込まれた? 俺、もしかして埋まってんのか? 父さんと母さんは?)
両親を探そうにも、ティムの視界は戻らないし、顔も動かせない。
ティムが呻いていると、
「あっ! 見つけた! 待ってて、今持ち上げるから」
目覚めるきっかけになった声がしたと思ったら、身体に乗っていた何かがどけられた。
「ぐっ、げほっ! うっぐっ!」
咳と一緒に生暖かいものが口から溢れた。
「だめよ! しっかりして!」
相手の言葉はもうティムには認識できなかった。
「どうしましょう。人間も使える薬なんて持っていないのよ。魔女は治癒ができないし。……仕方ないわ。このままじゃ手遅れになるもの。賭けになるけれど……」
意識が遠のく中、何かを口に突っ込まれた。
液体が流し込まれるが、ものすごく辛い。吐き出したかったけれど叶わず、喉を通っていく。
口から腹の中まで火で焼かれているような熱さだ。
すると、今にも途絶えそうだったティムの呼吸が強く速くなった。
死ぬほど熱いと思っていたのに、段々と心地よくなってくる。
熱が全身に回る。
手足の指の先まで行き渡った瞬間、その熱が弾けた。
「はっ、はっ、あ、なに……」
ティムはびくっと跳ねるようにして、意識を取り戻した。
目を開けると、今度はきちんと周りが見える。
視界には曇天の空があった。木の一本も見えない、ひらけた空だ。
力はあまり入らないが腕は動かせた。口元を拭うと血が付いている。
さっき吐いたのだろう。
しかし、それにしては――。
「痛くない……?」
呆然と呟く。かすれてはいるけれど、声が出た。
「良かった! 起きたのね!」
そう言ってティムを覗き込んだのは、二十代くらいの若い女だった。
森の木々の緑のような常盤色の髪がはらりと垂れる。
大きな瞳は金色。長いまつ毛がそれを縁取っている。陶器のような白い肌に、上品な紅色の唇。
村でも街でも見たことがないくらい整った顔だ。
自分はもう死んでいて、彼女は天の御使なのではないか、とティムの頭をよぎったほどだ。
その女は起きあがろうとしたティムを制して、
「ねぇ、あなたと一緒に馬車に乗っていたのは何人?」
「父さんと、母さん……」
かすれた声を聞きとった女はうなずくと、
「この二人ね」
そう言って目を伏せた。
まだぼんやりしていたティムは、彼女の様子から両親の状態を察することができなかった。
「馬車は掘り起こしたわ。土砂もどかして斜面の補強もしたから、このまま運んでしまうわね」
女はそう言ってティムの視界から消えた。
移動しているのか、空が動いて見える。風が顔に当たった。それなのに全く揺れない。
自分は何か柔らかいものの上に寝ているようだ。
首を動かして横を見る。
「布団……?」
ティムが普段使っているものより、大きいし柔らかいけれど、布団に寝かされているようだ。輝くほど白いシーツに、自分が泥をつけている。
「ベッドよ」
「ベッド?」
山でベッドもおかしいが、さらにおかしいのは、横を向いても目に入るのが山ではなく空という点だ。
「ベッドが飛んでる……?」
「あら、あなたも魔女は箒に乗るものだって言いたいのね?」
ティムの呟きをどう取ったのか、女は言い訳する。
「でも、長時間飛ばなきゃならないときに、ずっと箒なんて乗っていられる? ベッドで寝ているほうが楽でしょう」
「うん……」
確かにいつでも寝れるのは良い。
眠くなったティムはあくびをした。
魔女も空飛ぶベッドも初めて出会うのに、眠気が優っているティムは驚きもせず聞き流す。
「眠いなら寝なさい」
女に頭を撫でられ、ティムは誘われるように目を閉じた。
次に目が覚めたとき、ティムは街の診療所にいた。
山崩れに巻き込まれたティムを助けてくれたのは、ボーデン魔女国の魔女だった。国と国を繋ぐ『大陸道』の点検でたまたま通ったらしい。
「お前は幸運だったよ」
ティムを診てくれた医者がそう言った。
魔女が飲ませてくれた薬でティムは一命を取り留めたそうだ。
ティムの両親は助からなかった。
魔女は馬車と両親も街まで運んでくれた。
大きなベッドと荷馬車が空から降りてきたため、街は騒然となったらしい。
魔女はティムたちを降ろし、状況説明だけしてすぐにベッドで飛んでいってしまった。
眠ったままだったティムは魔女に礼も言えなかった。
魔女に会って恩返しすることが、子どものころのティムの目標になったのだった。