ヴェロニカの死、シンシアの危機
「えっ!?」
ふらついたティムを支えたのは、シェリルだった。
「大丈夫?」
「え、シェリル?」
シェリルはいつもの少女ではなく、本来の大人の姿に戻っている。
ティムが驚いたのはそれだけではなかった。
先ほどまで自室にいたのに、今いる場所はヴェロニカの部屋だった。
「ごめんなさい。ヴェロニカがティムにも立ちあってほしいと言うから、転移させたの」
シェリルは謝ってから、視線をベッドに向ける。
ヴェロニカは静かに横たわっていた。
「ヴェロニカ!」
彼女の様子はいつもと違う。治癒をかけようとしたティムをシェリルが制した。
「ダメよ。治癒はもういらないの。あなたは触れてはダメ」
シェリルに腕を掴まれ、ティムはベッドの数歩手前で止まる。シェリルはティムを追い越して、ベッドサイドで跪くと、ヴェロニカの手を握った。
「ティム……」
ヴェロニカのか細い声に呼ばれ、ティムは声を張る。
「ああ! ここにいる!」
「あなたも、新しい魔女を……祝福して……ね……」
「わかった! 約束する!」
ヴェロニカは微かに頬を緩めて笑った。
「シェリル、シンシア……。あと……頼ん……」
「ヴェロニカ! ヴェロニカ!!」
シェリルが叫んだ瞬間。
ヴェロニカの身体が崩れ、光る金の粉に変わった。
治癒の力の発現に似ている。
(魔力……?)
金の粉はふわりと浮いて、渦巻くように窓ガラスをすり抜けて外に出て行ってしまった。
あっという間の出来事だった。
「今のは……」
呆然とつぶやくティムに、シェリルが振り返る。
「魔女が死ぬと、魔力になって『魔の泉』に帰るのよ」
ベッドには凹んだ布団と、ヴェロニカの夜着だけが残っている。
シェリルは立ち上がった。彼女の瞳に涙が光っている。
しかし声はわざとらしいほど明るかった。
「朝には新しい魔女が誕生するわ」
彼女の気持ちを汲んで、ティムも普通に会話を続ける。
「そんなに早く?」
「ええ、そうよ」
シェリルはさらに何か言おうとしたが。
――その瞬間、屋敷がぐらりと揺れた。
「うぉっ! 地震か?」
「力の均衡が崩れた? まさか! 待って。シンシア? シンシアはどうしてここにいないの?」
体勢を立て直したシェリルが部屋の中を見回す。
ティムも今さらシンシアの不在に気づいた。
「そうだ! マーティンが部屋から抜け出したんだ!」
ちょうど転移があって、すぐにヴェロニカの死があり、ティムはすっかり忘れていた。
駆け出そうとしたティムの手をシェリルが掴んだ。
「シンシアの元に飛ぶわ」
そう言うなりシェリルはティムを連れて転移した。
瞬きのあとには、シンシアの居間だった。
ローテーブルの上。シンシアが仰向けで寝ていた。
むせかえるほどの血の匂い。
スタンピードのときの救護テントを思い出す。
シンシアの上にマーティンがのしかかっていた。
彼の手にはナイフがある。
ティムは全てを認識する前に、無言で剣を抜いていた。
横薙ぎにマーティンを斬る。
勇者の剣の効果か、斬られたマーティンは吹っ飛んだ。
「ぐはっ、うっ!」
壁に叩きつけられたマーティンは口からも血を吐いた。
ティムはそれを見届けることなく、シンシアに治癒をかける。
彼女は腹部を切られていた。胸部にも傷がある。
「大丈夫、治せる!」
ひどい怪我だが、ティムは国境の砦でこのくらいの怪我は何度も治した。
ティムの隣でシェリルが祈るように見守っている。
シンシアを包み込む勢いで、ティムの手から金の粉が溢れ出た。どんどんシンシアの傷が塞がっていく。
そして大した時間もかからずに、治癒は終わった。
シンシアはゆっくりと目を開けた。
「シンシア? 具合はどうだ?」
「ええ、具合は……」
シンシアは起き上がると、腹部を撫でた。
彼女の返答を待たずに、シェリルがシンシアに抱きついた。
「シンシア!! ヴェロニカがさっき泉に帰ったのよ!」
シンシアは「ヴェロニカ……?」と心ここに在らずに繰り返してから、はっと目を見開いた。
「嘘でしょう! ヴェロニカがいない!」
「嘘じゃないわ、現実よ!」
「ヴェロニカ……! 嫌よ! どうして!」
シンシアはヴェロニカの名前を呼び、涙を流した。
ティムは彼女たちから目を逸らし、斬り捨てたマーティンを振り返った。
マーティンは両手と両足、口に魔道具をつけられて、拘束されていた。毛玉がいるから、彼らがやってくれたのだろう。
ティムが斬った傷は、シンシアに比べたら浅かった。あとは、吹っ飛んだときに骨折したかもしれない。
毛玉に「拘束は終わったか?」と確認してから、ティムは彼にも治癒をかけた。
(魔女国で死にましたじゃ、外聞が悪いしな。バーズキア王国に委ねるのが無難だろうな)
治癒が終わったマーティンは、ティムを睨んだ。
口に魔道具をつけているため言葉になっていないが、何か文句を言っているようでうるさい。
「毛玉、睡眠薬ってないか?」
ティムがそう聞いた瞬間、小瓶を持った毛玉が現れ、マーティンの口に中身を流し込んだ。
マーティンはすぐに気絶した。
「すげー即効性だな」
ティムが感心すると、マーティンの上で毛玉が跳ねた。
(勝利の舞って感じだな)
一息ついて振り返ると、シンシアとシェリルはぎゅっと抱き合っていた。