マーティンの思惑
ティムが長椅子にぐったりと寝転ぶと、毛玉が群がってきた。彼らに埋もれながらティムは部屋全体に治癒をかける。
シェリルの研究室だ。
マーティンにはティムが聖女だと話していないため、彼が魔女国に来てからこれまでの五日間、ティムは屋敷に治癒をかけるのを控えている。
金の粉が舞い上がると毛玉たちはふるふると震えた。
ティムの疲れも多少改善する。
(気疲れはさすがに治らないな)
寝転んだまま、んーっと伸びをすると、シェリルが近くにやって来た。
「お疲れね」
「まぁねー」
長椅子の背側に立ち、シェリルはティムの頭を撫でてくれる。
くすぐったくて心地よく、ティムは目を閉じた。
ティムが疲れている原因は、シンシアとマーティンだ。
二人ともなぜかティムに張り合ってくるのだ。
彼らと会うのは食事のときだ。
先ほどの昼食でも、マーティンがシンシアをエスコートして食堂に入って来た。
順調に仲良くなっているようで、どうしたものかと思う。
(シンシアがマーティンを本当に好きになったんなら俺が言うことじゃないんだけど、マーティンはちょっとなぁ……)
彼は魔女たちを様付けで呼ぶものの、敬意を持っているようには思えない。
「シンシア様、午後はお茶を飲みましょう。あなたのことを私にもっと教えてくださいませんか?」
「ええ、もちろんよ」
シンシアがうなずくと、マーティンはティムに向かって唇を歪めて笑う。
(自分のほうがシンシアと仲良くなったぞ、ってところか?)
マーティンが「午後のお茶は二人きりで」と提案すると、シンシアは首を振る。
「ヴェロニカも一緒よ。研究のために、あなたと何かするときはヴェロニカの前でって言われてるんだもの」
そう言ってシンシアはティムに向かって胸を張る。
(自分のほうがヴェロニカの研究の役に立ってるわ、ってところか?)
シンシアに断られたマーティンは今度はティムを睨んだ。
(ヴェロニカに入れ知恵したのはお前だろ、ってか?)
マーティンに敵愾心を向けられるのは面倒だが、ヴェロニカに行くよりはティムが引き受けたほうがいい。
煽るつもりはないので、ティムはマーティンの視線を無視しておいた。
「あなたのことを知れば知るほど、私はあなたの虜になってしまいます」
「まあ」
「研究なんて言わずに、どうか本気で私と恋愛してくださいませんか?」
「あら、ダメよ。ヴェロニカの研究が一番なんだから」
マーティンの口説きを受け流すものの、シンシアはうれしそうでもあった。
ティムは昼食のことを思い出してため息をついた。
気分を変えようと勢いをつけて起き上がると、身体に乗っていた毛玉が転がり落ちる。何匹か拾って、長椅子の場所を空けてシェリルに勧めた。
隣に座ったシェリルに、ティムは尋ねる。
「シンシアはマーティンに恋してると思うか?」
「どうかしら? 気に入ってはいると思うけど、便利な使い魔くらいにしか思っていないかもしれないわね」
「使い魔か……」
「シンシアは人間と交流が少ないのよ。人間も一人一人に個性があるとわかっていないんじゃないかしら」
毛玉と同じ扱いか、と思ったティムに、シェリルは慌てて、
「あなたのことはきちんと認識していると思うわ」
「ああ、うん。それはわかる。じゃなきゃ、俺と張り合ったりしないもんな」
ティムは苦笑する。
シェリルも苦笑してから、ふと真顔になる。
「人間の恋人ってどんなことをするの? シンシアたちがこのまま研究を進めたら、何をするのかしら?」
「うーん、一緒に出かけたり、食事したり? あとは、抱きしめたり、口づけしたり?」
平民ならこれ以上もありだったけれど、それは言わなくていいだろう。
「外出や食事はいいけれど、身体的接触は好きでもないやつとやるものじゃない。シンシアがマーティンのことを使い魔くらいにしか思ってないなら、研究は止めないと」
「そうね。私からシンシアに言っても聞かないだろうから、ヴェロニカに相談してみるわ」
そう言うシェリルに、ティムも、
「それじゃ、俺はマーティンに探りを入れてみるわ」
「危ないことはしないでね」
心配するシェリルに、ティムはにかっと笑う。
「大丈夫、大丈夫。たぶんあいつよりは俺のほうが強いよ。俺の今の装備はまるっと勇者リオネルだしな!」
勇者の服は毛玉がサイズを直してくれたため、ピッタリになっている。ティムがリクエストした騎士服はなかったが、毛玉は金の鋲やボタンが使われたかっちりした上着を何着も持って来てくれた。
剣帯と揃いの胸当てとブーツまであり、ティムは勇者気分が盛り上がった。
そんなティムにシェリルは目を細めるものの、「無理しないでね」と繰り返した。
マーティンと話す機会は思ったより早く訪れた。
夕食後、ティムが階段を上っていくと、部屋の扉の前でマーティンが待ち構えていたのだ。
マーティンの姿が見えた瞬間、ティムにまとわりついていた毛玉がすっと消える。
ティムが「よぉ」と声をかけると、マーティンは軽く片手を上げた。
「少しいいかい?」
「ああ」
長くはかからない、とマーティンが言うから、廊下で立ち話を始める。まずは世間話からなのか、彼は食事の話題を出した。
「それにしても、魔女国の食事はいまいちだな。そう思わないか?」
同意を求められたが、ティムは首をかしげる。
(料理長の料理は、国境伯家で食べた料理よりうまいけど、マーティンのだけわざわざまずく作ってんのか?)
「俺はうまいと思うが?」
「あれが? あれで満足できるなんて、やはり国境伯など田舎貴族だな。給仕もいないなんてありえない。この屋敷には使用人がいないのか?」
普段は毛玉が順に皿を持ってくるが、マーティンがいるせいで最初から全て並べられているだけだ。毛玉は彼の前には出てこない。
(こいつの部屋はベッドメイクや掃除もやってないのかもな)
マーティンの後ろで毛玉が跳ねている。彼をからかっているように見えて、ティムは笑いをこらえた。
「使い魔がいるぞ。何でもできる有能な使い魔だ」
「使い魔だと? 魔物なのか?」
きょろきょろと見回すマーティンに、ティムは笑う。
「魔物じゃない。魔女の始祖アンジェリーナと契約した由緒正しい使い魔だ」
「ふんっ、魔物に由緒もないだろう」
マーティンは鼻を鳴らした。
「まあ、そんなことはどうでもいい」
それから、声を潜めると、
「その魔女の始祖の話だ」
「アンジェリーナ?」
「お前は始祖の名前も知っているのか……。なら、話は早い。お前も目的は私と同じだろう?」
(来たっ!)
内心で拳を握りながらも、ティムは「そんなことを正直にお前に話すと思うか?」と嘯く。
「国の重要案件だと言っていたじゃないか。研究協力で終わるわけがない」
「…………。それで? 目的が同じだとしたら?」
「シンシアは私がもらう。少女と老女はお前にくれてやろう」
「はあ?」
気色ばむティムをどう受け取ったのか、マーティンはにやにやと嫌な笑みを浮かべる。
「悪く思うなよ。シンシアを手懐けられなかったお前が間抜けなのさ。魔力が少ない少女と老女をくれてやるんだから、ありがたく思いたまえ」
「なんだと?」
「その代わり、国に帰るための転移魔道具の場所や起動方法を魔女から聞き出せ」
マーティンはティムに嘲笑を向けた。
「間抜けの田舎貴族でも、そのくらいできるだろう」
「もらうとか、くれてやるとか、お前、何様だ?」
ティムが凄むと、マーティンは一瞬だけ怯む。しかし、彼はすぐに持ち直した。
「これだから、濃緑は嫌だね。初めてお前を見たときに、聖女と同じ色だと思ったんだ」
「聖女?」
マーティンの口から予想外の単語が飛び出し、ティムは怒りを忘れた。
「髪の色さ。バーズキア王国では、濃緑は不吉な色として忌避されている。その筆頭が聖女のヘンリエッタ王女だ」
「王女で聖女なのに?」
ハーゲン王国ではどちらも尊ばれる立場だ。ティムには意味がわからない。
ティムが戸惑っている間に、マーティンは身を翻した。
「転移魔道具の件、任せたからな」
それだけ言うと部屋に入り、鍵をかけてしまう。
「あ! おい! 俺はまだ取引に応じるとは言ってないぞ!」
ドンドンと扉を叩くが、マーティンからの反応はない。
ティムは諦めて自分の部屋に入った。
毛玉を呼んで、マーティンが部屋から出たら教えてくれるように頼む。
ティムはいつでも動けるように、着替えずにいることにした。廊下側に椅子を持って来て、そこに座る。
(シンシアをもらうって、恋愛的な……っていうか性的な意味か? いや、魔力がどうとか言っていた。ああー、くそ。マーティンは何が目的だ?)
うまく聞き出せなかったことをティムは悔やむ。
いや、もう、いっそのこと、あのまま拘束してしまっても良かったかもしれない。
朝になったらそうしよう、とティムは決める。
気になることは、もう一つあった。
(俺に似た髪色の聖女、ヘンリエッタ王女……)
偶然なのか、意味があるのか。
ティムの髪はシェリルの魔力水の影響だが、ヘンリエッタ王女は生まれつきなんだろうか。
ティムと似ているなら、シェリルにも似ていることになるが、ヘンリエッタ王女は魔女に関係あるのだろうか。
(それに、忌避されているってなんでだ?)
バーズキア王国は古い型の結界の魔道具を使っている国だ。それなら、聖女の価値は高いはず。
ぐるぐると考えを巡らしながら、扉の前で警戒していると、カチャッと音が聞こえた。
(マーティンだ!)
ティムが立ち上がると、毛玉が一匹現れ、扉を示す。
腰の剣を確かめ、ティムは一歩踏み出した。
――突然、足元が揺れた。