魔法の実験
ティムが庭で素振りをしているとシェリルがやってきた。
「あら? 剣を振り下ろすときの音、先日と違うわね」
「そう! 素振りしてて『ちょっと軽いなぁ』ってつぶやいたら段々重くなったんだよ。今はちょうどいい重さに変わってる」
素材や大きさを考えたら軽量化は効いているが、模造刀くらいの重さになっている。
「さすが、勇者リオネルの剣だな!」
ティムが笑うと、シェリルも目を細める。
「シェリルは、俺に用があったのか?」
「ええ。あなたも魔法を使えるか試してもらいたいと思ったの」
「魔法! 俺が? やる! やってみたい!」
本棚から本を取り出したり、空を飛んだり……。魔法には憧れる。
ティムのはしゃぎようにシェリルは苦笑した。
「『魔の泉』のほとりに行くから、用意してね」
「わかった。料理長に弁当作ってもらってくる」
「え? どうして?」
首をかしげるシェリルに、「天気がいいから」と言い残してティムは厨房に走った。
「料理長! 俺とシェリルの分の昼飯は弁当にしてくれ! 今から泉に出かけるんだ」
魔女国に来た初日に聞いた料理専門の使い魔は、大きな蟹だ。料理長と呼んでいるが、蟹は一匹しかいなかった。
(俺の知ってる沢蟹とは違うんだよな)
足がとても長く、料理長がすくっと立つとその身体はティムの胸の高さくらいになる。複数の足を使って器用に調理器具を使うのだ。料理長が使いやすいように、厨房は通路が広く、作業台は低い。
突然のティムの依頼に、料理長はうなずき、いつもより高速で足を動かす。ティムも手伝った。
しゃべらないのは毛玉と同じだが、顔がある分、言いたいことがなんとなくわかる。
(いや、毛玉も結構わかるな)
調理の魔道具の性能がいいのか、料理長の力なのか、すごい早さで二人分の弁当ができあがった。
「料理長、ありがとう」
ティムはお礼代わりに厨房ごと治癒をかけて、また庭に戻った。
シェリルはティムが育てている薬草畑を見ているようだった。
「おまたせ」
「いいえ」
「俺の畑、なにかあったか?」
「見た限りでは特に何もないわね」
シンシアも、薬効が高い以外は変わらないと言っていた。
そうそうおかしなことばかり起こっても困る。
「それじゃあ、行きましょうか」
ティムとシェリルはまた手を繋いで、『魔の泉』へ向かったのだった。
「森の土には魔力が含まれているの。この辺りで一番魔力が強いのは、ここ。『魔の泉』のほとりよ」
そう言って、シェリルは腕を広げて示す。
「ティム、あなたは魔力を感じ取れる?」
「うーん? 感じ取るってどうやって?」
「そうねぇ。感じ取ろうとしなくても、魔力があればわかるから、どうやってと聞かれても難しいわね」
ティムの質問にシェリルは首をかしげた。
「ここは魔力があるんだよな? で、それがわからないってことは、俺は感じ取れないんじゃないか?」
「そうよね……。治癒力は感じ取れるの?」
「治癒をして光ればわかるけど、感じ取るんじゃなくて目で見て、だな。力を使ってくれないと、その人が治癒力を持っているかいないかなんてわからない」
ティムは肩をすくめた。
「私も治癒力は感じ取れないわ」
それが治癒力の性質なのかしら、とシェリルはあごに指をあてた。
「シェリルは土地の魔力が感じ取れるなら、人の魔力もわかるのか? 俺の中に魔力はある?」
「残念ながら、ないわね」
「ないのか!」
「魔力があったら、あなたは聖女じゃなくて魔女よ」
シェリルの言葉に、どちらかと言えば聖女より魔女のほうがいいな、などとティムは考える。
それより、気になることがあった。
「魔力がないのに、魔法が使えるのか?」
「それを実験するのよ!」
シェリルは仁王立ちする。
「まずは魔法で風を起こしてみましょう」
「おう!」
「手のひらの上で、空気が渦巻くのを想像してみて」
シェリルはそう言って、右腕を前に伸ばした。ティムもシェリルに向き合い、彼女を真似する。
すると、見る間にシェリルの手の上につむじ風が起こる。
「空気が渦巻く……」
ティムはシェリルの見本を見ながら、自分の手のひらでもそれが起こるのを想像する。
「うーん?」
何も起こらない。
少し方向性を変えて、手のひらの空気をかき混ぜるのを想像してみる。
「んー? あー、無理かもしれない。できる気がしない」
ティムは腕を下ろすと力が入っていた肩を回す。
「治癒は治そうと思うと自然に力が出てくるんだけど、風は全然そういう感覚がない」
そう申告するとシェリルは「それじゃあ、水は出せる?」と、つむじ風を消して水を出してみせた。
ティムは両手のひらで水を汲んだところを想像するが、やはり手応えがない。雨が降ってくる想像をしても、同じだ。
「身体を浮かせたり、物を動かしたりするのはどう?」
ティムはいろいろやってみたが、魔法が発動する気配はなかった。
「ダメかー! 魔法、使ってみたかったんだけどなー」
試している間に時間が経ったため、休憩がてら弁当を食べることにした。
毛玉が持たせてくれたブランケットを敷き、その上に並んで座る。
ティムは昼食の前にバタンと寝転んだ。治癒とも素振りとも違う疲れがある。
(軍医の勉強してたときみたいな、頭を使った疲労だな)
寝転んだまま両手を上げ、ティムは自分に治癒をかけた。これで少しすっきりする。
隣でさっそく自分用の弁当箱を開けて食べ始めていたシェリルが、
「魔力で物を作る魔法は、どうかしら?」
「それって、シェリルが長椅子を出した魔法?」
「ええ」
シェリルは弁当箱を置くと、
「そうね……、頭上に果物の木があって、そこから実を一つもぐのを想像してみて。もいで手に取ったら形になるのよ」
「果物の木……?」
孤児院にあった枇杷の木が思い浮かぶ。粒は小さいが毎年たくさんの実がなって、皆で収穫して食べたものだ。
ティムは手を伸ばして、思い出の中の枇杷の実を掴んだ。
(ん? 手応えが、ある?)
何も見えないけれど、想像した大きさで指が止まるのだ。
(この枇杷をもぐ……)
手首を捻って見えない枇杷を収穫すると、重さを伴って現れた。
「うわっ! 出てきた! あっ、痛っ!」
驚いて取り落とした実はティムの顔に当たる。
ティムは飛び起きて、自分が作り出した枇杷を拾った。
小粒のオレンジ色の実。ほんの少しだけ柔らかい感触があり、熟しているとわかる。
鼻を近づけると匂いもした。
「すげー! 枇杷だ! やった!」
「枇杷というの?」
ティムが歓喜に叫ぶと、シェリルが目を瞬かせた。
「え? 魔女国に枇杷ってないの?」
「森にはないわね。人間の国から送ってもらう食材にもなかったと思うわ」
「ああ、あれ、結構偏ってるんじゃないか? もっといろんな種類の食材を送ってくれって頼んだらいいんじゃね? 国の特産とかさ。俺もハーゲン王国の食べ物しか知らないけど」
ティムは枇杷をシェリルに渡した。
もう一度、手を伸ばして枇杷を出してみる。
「おっ、まぐれじゃなかった」
二つ目も成功し、ティムは満面の笑みを浮かべる。
「なぁ、これ食べれるのか?」
「それは、あなたの想像力次第ね」
枇杷を観察しているシェリルはこちらも見ずに答える。
ティムはそれならば、と皮を手でこする。
どこからどう見ても枇杷だ。食べられないようには見えない。
皮ごと、がぶりと一口食べた。
「うめぇ!」
思い出の枇杷の味だ。甘酸っぱくてみずみずしい。
(あの枇杷の木はまだあるのかな)
ティムはすぐに食べ終わり、木立の方に種を投げ捨てた。
「待って。今、何を捨てたの?」
「種だけど、まずかったか?」
「種があるの?」
シェリルは手の中の枇杷を見つめる。
「皮が手で剥けるから、気になるなら剥いたらいいよ」
彼女も食べるのかと思ってそう言うと、シェリルは枇杷の皮を少しだけ剥いて、それをブランケットの外の地面に落とした。
「ほら、見ていて。吸収されるわ」
シェリルが言うように、落ちた皮は金色に光りながら形を崩して、地面に吸い込まれていった。
薬草に治癒をかけたときに似ている。
「あなたが出した枇杷は治癒力でできているのね」
「ってことは、シェリルみたいに長椅子を出せたとしても地面に吸収されて消えるってこと?」
ティムは愕然とする。わざわざ魔法で出したのに、普通に治癒力を撒くのと同じ結果になったら意味がない。
そんなティムに、シェリルは笑った。
「森なら吸収されるでしょうけれど、人間の国なら大丈夫だと思うわ。怪我もない私がこうやって持っていても、消えないでしょ?」
「毛玉に待たせたら?」
「吸い込むでしょうね」
「だよな」
二人で笑う。
シェリルは枇杷を一口齧る。
「まあ! やっぱり治癒の効果があるわ! ……それはそうよね。完全にティムの治癒力だけでできている実ですものね。ティムが治癒をかけるのと同じ効果なのだから、アンジェリーナの薬より強いのではないかしら?」
「え? そんなに?」
自分で食べたときにわからなかったのは、治癒をかけたばかりだったからか。
「これが種なの?」
「そう。硬くて食べられないから、捨てて」
「治癒力でできているのだから、溶けるんじゃないかしら」
シェリルはそう言うなり、種を一つ口に入れてしまった。
「大丈夫か?」
「ええ。味はないけれど、飴のように溶けるわ」
「本当か? 俺も食べてみたい!」
ティムはもう一度枇杷を出す。
ばくばく食べて、種も全部口に入れた。
「確かに。飴みたいだ」
治癒が効いているのか、ほんのり温かいのが不思議な気分になる。
枇杷の種は本物の飴より早く溶けて、口の中で消えた。
「味がついてたらいいのになぁ。……ん? それってつまり、飴を出せばいいんじゃないか?」
ティムは孤児院のおやつに出てきた飴を想像する。琥珀色の飴だ。
すると、ティムの手のひらに飴が二つ、ころんと現れた。
あっさり成功し、ティムは拍子抜けする。
「シェリル、一個あげる」
「ありがとう」
飴はきちんと甘かった。ほんのりハチミツの味だ。
「おいしいわね」
「そう? 気に入ったならいくらでも出すよ」
枇杷や飴を十個や二十個出した程度では、ティムの治癒力なら使ったうちにも入らない。
「飴なら保存しておけるよな?」
「ハーゲン王国に送るつもりなの?」
シェリルに聞かれて、ティムはうなずく。
「そのつもりだけど、ダメか?」
荷物を送る転移魔道具は魔女国から借りることになる。薬草を送る許可は得ているけれど、飴までなんて図々しかったか。
「ダメではないわ」
シェリルは少し言葉を切ると、
「あなたはハーゲン王国で、あまり良い立場ではなかったんじゃない? 宰相さんの態度は気分がいいものではなかったわね」
「あー、まあ、そう。男だし、平民だからな」
ティムの言葉にシェリルは眉を下げた。ティムは慌てて、「魔力水を飲ませてくれた件での謝罪はもう聞かないぞ」とシェリルを遮る。
「他の聖女は皆、貴族令嬢で、王太子妃狙いなんだよ」
そう言ってもぴんと来ない表情のシェリルに、ティムは重ねて詳しく説明した。
――派閥を作って、社交三昧。貴族相手の治癒以外は、ほとんどティム任せ。
聞き終わったシェリルは、ため息を吐く。
「ひどいわね」
「でも、新人聖女たちはきちんと仕事をしてくれてたから、令嬢全員が悪いってわけじゃないんだ」
ヴィンセント経由で、キャサリンとアイリスの伝言を受け取っている。
(二人だけに負担がかかるのは本意じゃない。だから……)
ティムが難しい顔をすると、シェリルが膝立ちになって、ティムの頭を撫でてくれた。
「あなたはよくやったわ。十分働いたんだから、結界の魔道具も知らんぷりしても良かったのに……」
心地よい手の感触に身を委ねながら、ティムは声を硬くした。
「それだけはできない。俺は国境育ちなんだ。魔物の脅威は身をもって知ってる。結界は守らないと」
治癒力を隠していた間に『結界の補修』をサボってしまっていた分も貢献しないとならない。
(旧式の魔道具の傷は残った聖女だけでは治しきれないみたいだな。最新式を作ってもらえて良かったよ、本当)
シェリルに作ってもらった最新式の結界の魔道具は、すでにハーゲン王国に送っている。設置もされたはずだ。
この件で、ヴィンセントがキャサリンたちと手を組んで何やら画策しているらしい。
(総仕上げには招待するって言われたけど、何をやるんだか……)
ティムの頭を撫でていたシェリルは、
「今度、あなたの魔力水を作りましょう。……魔力じゃないわね。治癒力水と言えばいいのかしら」
「精製水に治癒力を溶かし込めばいいんだろ? それは失敗なしでできそうだな」
「治癒力水は私が預かるわ。あなたと一緒に行動するなら、あなたのための薬も必要だわ」
シェリルはそう言って微笑んだ。
(一緒にって、俺はいつまで魔女国にいられるんだろう)
シェリルの研究はだいぶ進んでいるように思える。
ティムは気になったけれど、質問して答えを得てしまったら、――それが万が一にも意に沿わないものだったら、と考えると聞くのが怖くなり、そっと口をつぐんだのだった。