閑話:ティムの弟子たち
ティム・ガリガが城に出かけた翌日、朝の『結界の補修』にティムは来なかった。
キャサリンはアイリスと顔を見合わせる。
「まさか、そのまま魔女国に行ってしまったのかしら?」
「逃げないように監禁されているなんてことはありませんわよね?」
アイリスの心配を杞憂だと笑えない。
キャサリンはマーゴットに聞いてみた。一応は先輩聖女なのだから、何か知っているかもしれない。
「マーゴット様。ティムがどうして日課に来ていないのか、ご存知ありません?」
「さぁ、わたくしは存じ上げませんわ」
そっけなくそう言って、マーゴットはさっと魔道具に手をかざす。手元が身体に隠れて、彼女が本当に治癒の力を使っているのか見えない。
キャサリンはマーゴットはずっと力を使っていないのではないかと疑っていた。
(ティムが何も言わないから、わたくしも黙っていましたけれど)
ティムが魔女国に行って三人だけになるなら、マーゴットにもきちんと参加してもらわないと困る。
マーゴットに続いてアイリスが、そのあとにキャサリンも手をかざした。
(ティムがいないのだから、わたくしの番で補修し終えないとならないのですけれど……)
キャサリンはいつもより多く力を使って補修を終えた。
「大丈夫ですか?」
キャサリンに駆け寄ってきたアイリスの顔色も少し悪い。彼女もいつもより時間をかけていた。
(ティムはもう戻って来ないのかしら……)
キャサリンの心に不安が広がる。
アイリスがキャサリンの手を握った。彼女は治癒力を使ったのか温かい。キャサリンも同じように返す。
ティムは二人が少しでも疲れを見せたら、簡単に力を使ってくれた。
平民だからか遠慮がなく、何度も頭を撫でられた。目の前をキラキラと降ってくる治癒の力は何よりも綺麗だった。
キャサリンはくじけそうになる気持ちを切り替える。
「まずはティムの安否確認ですわ!」
「ええ!」
キャサリンたちは手を繋いで『泉の間』を後にした。
ティムの行方はすぐに知れた。
その日の午後、聖女全員が聖堂に集められた。そこで、司祭が「ティム・ガリガはボーデン魔女国に行きました」と発表したのだ。
「まあ、喜ばしいですわね。男の聖女なんて、そもそもおかしかったのですわ」
「本当に。これで心置きなく聖女の活動ができますわ」
ガートルードとグラディスがそう言い、他の聖女も口々に「そうですわ」などと賛同する。
(グラディス様の言う『聖女の活動』は、どうせ王太子妃になるための活動のことでしょう)
キャサリンは面会に来た父にそれとなく尋ねたが、ガートルードの父親の宰相と、グラディスの父親のピーノ公爵はこのときばかりは結託して、ティムの魔女国行きを推し進めたらしい。
一斉に声を上げた聖女たちがうるさかったのか、老年の司祭はため息をつく。
「聖女が一人減りましたが、問題はありますか?」
「あ」
と、キャサリンが口を開こうとしたが、それより先にガートルードとグラディスが高い声で言い放った。
「問題ございません」
「あの男は大した仕事をしていませんでしたもの」
ここで主張しなければ大変なことになると思ったキャサリンは、もう一度発言しようとしたが、今度はマーゴットが司祭に駆け寄った。
「司祭様! 申し訳ございません!」
大げさに嘆く様子に、皆が注目する。キャサリンも口を閉じるしかない。
マーゴットは何を言い出すのだろう。
(『結界の補修』や施療院の当番の手が足りないからどうにかしてほしい、と訴える……なんてことはないでしょうけれど)
司祭も驚いて、
「マーゴット・カバー。一体どうしたのですか?」
「わたくし、治癒の力が尽きてしまったようなのです!」
「え?」
「魔道具で測っていただけませんか? 力のないわたくしが聖女を名乗ることは許されないことです。もし魔道具が反応しなければ、速やかに聖女を退かせていただきたく思います」
司祭は血相を変えて出ていき、他の司祭や大司祭と一緒に戻ってきた。治癒力を測る魔道具が神官の手で運び込まれる。
その間、ガートルードやグラディスたちは、ひそひそと囁き合っていた。
マーゴットは一人所在なさげに佇んでいる。
キャサリンはアイリスと寄り添う。二人でずっとマーゴットを睨んでいた。
(マーゴットはティムが来るまで大聖女候補だったのだから、当然、治癒力は使えば使うほど増えると知っているわ。だから、使わないようにして治癒力を減らしたのね)
ティムがいなくなれば、前大聖女の遺言は無効になり、マーゴットが大聖女になる。そうすると一生教会で過ごさなくてはならなくなるのだ。
彼女が教会騎士の一人と親しくしているのをキャサリンは知っていた。
ティムが魔女国に行かなかったとしても、男を大聖女にできないという理由でマーゴットが大聖女になる可能性が高かった。
マーゴットは前大聖女が亡くなったころから、グラディス派に引き込まれ施療院の当番に来なくなった、とティムが話していた。
そのころから聖女を辞めるために力を使わないようにして、機会をうかがっていたに違いない。
「卑怯だわ……」
アイリスが小声で非難するのが聞こえた。
キャサリンは「抑えて」と彼女の手を強く握る。
「それでは、マーゴット・カバーの再判定を行う」
司祭の一人がそう宣言して、マーゴットを促した。
彼女は魔道具の球体に手を乗せる。しばらく待ったが、球体は光らなかった。
「なんと!」
「本当に力がなくなったのか!」
「まあ!」
「治癒力がなくなるなんて……」
司祭たちも聖女たちもざわめいた。
「そういうこともあるようじゃ。わしが知っているだけでも三人辞めていった者がおる」
大司祭がそう言うと、皆が静かになった。
「マーゴット・カバーは能力不足ということで、聖女の任を解くこととする」
大司祭が宣言した。
「申し訳ございません。すぐに教会を出ていきます」
マーゴットはしおらしく頭を下げる。
しかし、キャサリンの腹の虫は収まらない。
「大司祭様」
キャサリンは挙手しながら一歩前に出た。
「なんじゃね。キャサリン・イスボック」
「わたくし、三百年ほど前の大聖女様の日誌を図書室で拝見いたしました。そこに『治癒力は使えば使うほど増える』と書いてございましたわ」
「ほお。そんなことが……」
大司祭も知らなかったのか、そう言いながらひげを撫でる。
「わたくし、その日誌を拝見してから『結界の補修』では全力で力を使うようにしておりますの。治癒力がなくなってしまえば、マーゴット様のように聖女でいられなくなってしまいますもの」
キャサリンがそう言うと、王太子妃を目指している二人は血相を変えた。聖女を辞めさせられたら王太子妃になれないと思っているのだろう。
「うんうん。いい心がけじゃの。キャサリン・イスボック、今後も励むように」
「かしこまりました」
――そうして、翌日から日課の『結界の補修』には聖女全員が揃うようになった。
マーゴットはその日のうちに教会を出て行った。
文句を言ってやりたかったのに、キャサリンたちはマーゴットに会えなかった。
「最もティムを馬鹿にしていたのがマーゴットなんじゃないかしら」
「前の大聖女ディアドラ様にも失礼ですわ!」
二人は教会の裏門近くをゆっくり散策しながら話す。
裏門の外には衛兵が立っている。――ティムから教えられた王太子に繋がる者だ。
「『結界の補修』はどうにかなるかしら?」
「マーゴットはともかく、ティムの抜けた穴は、ガートルード様やグラディス様では埋まらないと思いますわ」
「そうですわね。施療院の当番もどうにかしなくてはなりませんし……」
「王太子殿下が視察に来てくださったら、他の聖女様たちも当番に参加してくださるかもしれませんのに……」
「ええ、本当に。ときどきでいいので来てくださらないかしらね……」
キャサリンたちがそう話した数日後、施療院に王太子ヴィンセントが視察に訪れた。
いつもはそんな仕事はないとばかりに茶会をしているガートルードとグラディスが施療院に現れ、キャサリンとアイリスは追い出された。
助手を務める神官が少しだけかわいそうな気がしたけれど、神官は交代要員がいるのだから一日くらい我慢してほしい。
キャサリンとアイリスはそうして束の間の休息を得た。
王太子様様である。
(ティムが戻ってきてくれたらいいのにと思うけれど、魔女国で自由に暮らせているなら、教会に縛られるよりずっといいでしょうね)
後日、マーゴットと比較的親しかった聖女が話しているのを聞いた。
聖女を辞めたマーゴットはすぐに教会騎士と結婚したらしい。
マーゴットは治癒力をなくした元聖女だと教会内で知られているため、気まずいと思ったのか、夫の騎士は地方の教会に異動願いを出し受理された。
しかし、地方までの道中で野生の狼に襲われ、怪我をしてしまったらしい。
一緒にいたマーゴットは無事だったけれど、治癒力をなくした彼女は夫の怪我を治せない。なんとか狼から逃げ切ったけれど、騎士は重傷を負い後遺症が残るかもしれないそうだ。
「騎士は続けられないかもしれないわね」
と、マーゴットの自称友人の聖女は笑っていた。
キャサリンはアイリスと囁きあった。
「女神アンジェリーナからの罰かしら」
「もしかしたら殿下かもしれませんわよ」
「まあ! そうかもしれませんわね」
二人は顔を見合わせて、くすくすと笑った。
キャサリンは姉に頼んで社交界でマーゴットが聖女失格になった噂を流してもらったし、アイリスは商会を持つ父に頼んでマーゴットの実家カバー男爵家との取引を減らしてもらった。
そしてそれをお互い秘密にしているのだった。
聖女全員が参加することになった『結界の補修』だが、全員の治癒力を合わせてもティムには足りない。
結界の傷は補修しきれないことも多く、毎日少しずつゆっくりと、だが確実に増えていった。




