プロローグ
「ティム・ガリガ。そなたにはボーデン魔女国に行ってもらう」
ハーゲン王国の謁見の間。
片膝をついて頭を下げるティムに向かって、玉座に座る国王がそう宣言した。
(やっぱりな……)
事前に王太子ヴィンセントから聞いていたティムは内心ため息をついたが、何も言わずに数歩先の床を見つめ続けた。
どう返事をしようと結果は覆らない。
ティムの無言を不満と取ったのか、宰相がわざわざ近くまでやってきて見下す。
「役立たずの男の聖女はこの国にはいらん。ふんっ、魔女の実験台ならお前でも務まるだろう」
王太子妃を狙う聖女の一人ガートルード・リッシュの父親が、この宰相だ。
(役立たずはどっちだよ。ガートルードなんて、高位貴族相手の簡単な治癒しかやってないくせに)
聖女の役目のうちで一番重要な『結界の補修』はティムを中心とした数人で行っており、教会の施療院の当番に至ってはティム一人に任されている。
ガートルードや、もう一人の王太子妃狙いの聖女グラディス・ピーノなどは、治癒活動よりも社交に精を出していた。貴族相手の治癒も社交の意味合いが強いのだろう。
というのも、ティム以外の聖女は皆、貴族の令嬢なのだ。聖女になっても身分は変わらない。結婚のための箔付け目的で、誰も真剣に聖女の役目を果たそうなどと思っておらず、ほとんどの聖女が結婚で辞めていく。
――教会は治癒の力に目覚めた者を『聖女』と認定しているが、本来は貴族の女にしか治癒の力は現れない。
平民で男のティムが例外だった。
ティムは聖女と認められたものの、他の聖女からは仕事を押し付けられ、教会の聖職者からも厄介者扱いされていた。誰よりも働いているのに、全く評価されずに役立たずの烙印を押されている。
ヴィンセントと親しいことが知れ渡ってからは、王太子を惑わす不埒者だと貴族全体から危険視されるようになった。
(なんで俺も王太子妃を狙ってると思うんだ? 同性婚は認められていないだろうに。……さっぱりわからん)
過去に聖女から王太子妃を選んできた慣習――規則ではなかった――に、皆がとらわれているのだろう。
聖女を派遣してほしいという魔女国からの要請に、ティムに白羽の矢が立つのは当然だった。
いちいち反論しても仕方ないため、宰相からの嫌味にも黙っていると、今度はグラディスの父親であるピーノ公爵が加わってきた。
「まったく宰相のおっしゃる通りだ」
どちらも娘を王太子妃にしようとして敵対している宰相とピーノ公爵だが、ティムは共通の敵らしく結託しているようだ。
「魔女国からも捨てられないように、野蛮な魔女どもに媚でも売って暮らすんだな」
今まで耐えていたティムだったが、その暴言にはかちんと来た。
「野蛮な魔女……?」
魔女に大恩があるティムには許せるものではない。
「ふざけんなよ」
口の中で小さくつぶやき、ティムは顔を上げた。
突然動いたティムに、宰相とピーノ公爵が目を向ける。
ティムが彼らを睨み、文句をつけようとしたとき、ヴィンセントがするっとティムの前に立った。
「宰相、ピーノ公爵。貴殿らは彼を役立たずと言うが、本当か?」
抑えろというように、ヴィンセントが背中で手を振ったため、ティムは言葉をのみ込んだ。
一方で宰相たちはここぞとばかりに主張し始める。
「ええ、その通りでございます」
「私の娘も、この男の治癒の力は弱く、平民の怪我くらいしか治せないと言っております」
「下男のような仕事しかできないのだとか」
(力仕事は男の役目だと言って、必要もないのにサロンの模様替えをさせているのはお前らの娘だっつーの)
最近は、王太子妃最有力の二人におもねって、聖堂の高所掃除を押し付けてくる聖職者まで出てきた。
幸い、教会の下働きの者たちはティムに味方してくれるため、毎回こっそり手伝ってもらっているのだけれど、余計な仕事には変わりない。
ティムは自分の不遇は諦観で流せるが、これにはヴィンセントの方が耐えられないらしい。
彼の手がぎゅっと硬い拳を作ったのがティムの目に入った。
それでもヴィンセントは穏やかな口調のまま、
「彼が役立たずなら、魔女国に派遣したところで苦情を言われないだろうか。今回の聖女派遣は災害支援の御礼だろう? もっと力があって身分の高い聖女を派遣すべきではないのか」
宰相の爵位も公爵だから、最も身分の高い聖女は二人の娘――公爵令嬢のガートルードとグラディスだ。
暗にお前らの娘を差し出せと言われた二人は、慌てて首を振った。
「いいえ。この男にも治癒の力はあるのです。私の娘よりははるかに劣りますが、聖女には違いありません」
「そうです。力ある聖女を魔女国にやってしまえば、我が国の結界に影響が出ます」
宰相の言葉に、ティムは眉を寄せた。
力ある聖女が誰か、宰相とティムで認識が違うが、この発言には同意する。
ティムがいなくなって結界の補修が間に合うのか、それが一番心配だった。
(今まで一緒に補修していたマーゴット嬢がいるし、キャサリンとアイリスも一人前に育ったし、大丈夫だとは思うが……)
そう考えたとき、背後で何かの気配を感じた。
ティムはばっと立ち上がり、ヴィンセントを後ろに隠す。
「貴様、謁見の間で立ち上がるなど、無礼な!」
「殿下、その男から離れてください」
気配がわからない宰相やピーノ公爵は、ティムが突然立ち上がったことに警戒した。しかし、ティムは彼らに構っていられない。
「ティム、どうした?」
「何か来る」
冷静に問いかけるヴィンセントにティムは短く答えた。
前方の床が光る。
そこから波紋のように光の輪が広がって、直径一メートルくらいのところでふわりと消える。
光の輪は次々と現れては消え、だんだんと現れる間隔が狭まり、かっとまばゆい光で辺りが満たされた。
謁見の間はどよめきに包まれる。
光が収まり目が慣れたとき、そこに立っていたのは十歳くらいの少女だった。
町娘が着るようなワンピースとブーツに、紫の光沢のある長いローブマントを前を開けて羽織っている。
常緑樹の緑ような常盤色の長い髪。精巧に作られた人形みたいに整った顔。長いまつ毛にふちどられた瞼が開くと、現れたのは金色の大きな瞳だった。
「魔女か……?」
誰かのつぶやきが響いた。
「約束通り、迎えに来たわよ」
鈴を鳴らすような高い声で、人形のような少女がしゃべった。
居並ぶ面々を見渡し、片眉を上げる。
「なんでこんなに集まっているの? 連れて行くのは一人だけよ」
その不機嫌な表情が人間味を帯びていて、ティムは知らずに止めていた息を吐く。
そして改めて目にした彼女の色合いは、ティムの記憶の中の魔女に似ていた。
(俺の恩人はこの子の姉? いや、年齢から考えたら母か?)
魔女は人間よりも長生きだと聞くから、少女にしか見えない彼女も見た目より年齢は上なのかもしれなかった。実際に、彼女の態度は堂々としたものだ。
魔女は軽く辺りを見回してから、玉座を見上げた。
「聖女を迎えに来たんだけれど、どの人がそうなのかしら?」
王とその後ろに控える近衛騎士だけは、魔女の登場に驚いていなかった。
(驚いている宰相は陛下にあまり信頼されていないんだな。ま、信頼されていたら彼の娘が王太子妃にさっさと決まるか)
冷静に観察しているティムを、王が指さした。
「その者だ」
すかさず宰相がティムの背中を押した。さすがに宰相は立ち直りが早い。
「我が国から貴国に派遣する聖女はこちらです」
押さえつけようとする宰相をティムは払いのける。こっそり教会の衛兵と鍛錬していたティムは、身体的にもそれなりに力があった。
魔女はティムに胡乱な目を向けた。
「聖女って女じゃなかった? この人は男でしょう?」
「この者は、男ですが治癒の力があるのです。我が国の教会で聖女に認定されております」
「本当に?」
目をすがめる魔女に、ヴィンセントが一歩前に出た。
「お初にお目にかかります。ハーゲン王国王太子のヴィンセントと申します」
「ご挨拶どうもありがとう。ボーデン魔女国の魔女シェリルよ。はじめまして」
ヴィンセントはにこやかな笑顔を浮かべ、
「聖女を派遣するに当たってお聞きしたいことがあります」
「いいわよ。何を聞きたいの?」
「聖女の待遇はどのようになりますか? 安全は保証されるのでしょうか」
「それはもちろんよ。ああ、実験に協力してほしいって言ったから心配しているのね?」
魔女シェリルは軽く手を打って、ヴィンセントに笑顔を向ける。そうやって表情を変えると、普通の少女と変わらなかった。
「大丈夫。治癒の力と魔力の違いを研究したいだけだから。衣食住は提供するし、ときどき治癒の力を使ってくれれば、あとはずっと寝ていてもいいわよ。外の森には魔物がいるからどこでも出歩けるとは言えないけれど、自由を制限するつもりもないわ」
「それなら、良かった」
ヴィンセントはうなずくと、ティムの肩を叩いた。
「彼が聖女です」
「ティム・ガリガと申します」
「……でも、あなたが聖女というのは……」
シェリルが首を傾げると、
「お疑いなら治癒の力をお見せしましょう」
ヴィンセントはさっと腰の剣を抜くと、自分の腕に切りつけた。
「おいっ!」
「殿下!」
ティムも焦ったが、宰相たちも声を上げた。
「お前、何やってんだよ」
ティムはヴィンセントの腕を掴み、血がにじむ傷に右手をかざす。
治癒の力を込めると、手のひらから金の粉のような光の粒が降り注いだ。軽傷だから一瞬だ。
ティムは習慣で持ち歩いているガーゼを取り出し、ヴィンセントの血を拭う。すると、腕の傷は跡形もなく消え去っていた。
ティムが力を使うところを見たことがなかったのだろう、宰相もピーノ公爵も息をのんだ。他の臨席者からも「本当に聖女だったのか」「あれが治癒の力?」と驚きの声が聞こえた。
「まあ!」
近寄って来たシェリルが、ヴィンセントの腕を確かめ、ティムを見上げる。
「もう一度、力を出してみて」
「はい」
ティムの光る手のひらの上に、シェリルも手をかざした。
そして彼女は何か考えるように、あごに人差し指をあてる。
「あの、何かまずかったでしょうか?」
ティムが恐る恐る聞くと、シェリルははっとした顔でティムを見上げて、
「あなた、『大陸道』の関所の近くの山で崖崩れに巻き込まれたことがない?」
「え! はい! あります! 魔女様に助けていただきました」
「やっぱり……」
「あのときの魔女様にお礼を言いたいのですが、ご存じですか?」
「それは……、ああ、でも魔女国に行ってからにしましょう」
「はい、よろしくお願いします」
仕方ないとあきらめて受け入れていた魔女国行きだが、恩人の魔女に直接お礼が言えるとなれば前向きになれた。
ティムとシェリルで話がまとまったところで、王が声をかけてきた。
「この聖女で問題ないか?」
「ええ、確かに彼は聖女のようです」
「ならば、良い。――ティム・ガリガ、しっかり励むように」
王は鷹揚にうなずいた。
(ヴィンセントの話では一癖も二癖もある人って感じだったが……)
ティムは王に会ったのは今日が初めてだ。
この場はヴィンセントに任せることにしているのか、王はあまり発言していない。
ヴィンセントは宰相やピーノ公爵を下がらせると、シェリルに尋ねた。
「出発は今すぐでしょうか?」
「ええ、そのつもりだけど。あなた、荷物は?」
シェリルがティムに目を向ける。
今日の呼び出しで魔女国行きを言い渡されることはわかっていたけれど、いきなりそのまま魔女国に向かうとは思っていなかった。教会の自室は片づけ始めていたが、荷物の用意はまだだ。
「すみません、少しお時間をいただけますか」
最低限の着替えだけでも持ってくるか、と思ったところで、ティムとも面識があるヴィンセントの近衛騎士がやってきた。ヴィンセントの身近な者は皆ティムに好意的だった。激励なのか軽く腕を叩かれる。
近衛騎士が持ってきた鞄を、ヴィンセント経由で渡される。
「こんなこともあろうかと、必要なものをこちらで用意しておいた」
それから彼は声を潜めた。
「お前の部屋の荷物は私が預かっておくから」
「ああ、ありがとう」
「お前が早く帰ってこれるように取り計らうつもりだったが、その必要はなくなったか? 恩人の魔女をずっと探していたんだろう?」
「そうだ。命の恩人だ」
ヴィンセントは苦笑する。
「男の友情なんて儚いものだな。結局は女か」
「何言ってんだ。それとこれとは別モノだ」
ティムとヴィンセントは握手を交わす。
今となっては一番付き合いが長い友人がヴィンセントだ。
「何かあったら呼んでくれ。どうにかして帰ってくるから」
ティムがそう言うと、横で見ていたシェリルが口をはさんだ。
「研究に協力してくれるなら送迎ぐらいしてあげるし、研究が終われば帰らせてあげるわよ」
「研究期間はどのくらいですか?」
「決めていないわ。今までの研究では数年か、十年か二十年か、長ければ百年……」
魔女の時間感覚は人のそれとは違うらしい。
ティムとヴィンセントは顔を見合わせて苦笑する。
どちらにしても、送迎してもらえるなら今生の別れにはならないだろう。
「じゃあ、またな」
「ああ、また。元気で」
二人の別れを待ってくれていたシェリルが、
「それじゃあ、いいかしら?」
「はい。お願いします」
ティムがうなずくなり、床が抜けるような感じがして、一瞬で視界が変わった。
広く天井が高い謁見の間にいたのに、どこかの屋敷の居間のような部屋に移動していた。
転移の魔道具の話は聞いたことがあるが、体験するのは初めてだった。一往復だけの使い切りなのにとても高価な品らしい。
魔女国とハーゲン王国の距離がどのくらいか知らないが、一瞬で移動できるとは驚きだ。
たたらを踏むティムに、シェリルが笑顔を浮かべた。
「ようこそ、ボーデン魔女国へ」
そう言ったあと、シェリルの姿が揺らぐ。
蜃気楼のようにふわりと溶けかけ、再び形を確かにしたとき、シェリルは十歳ほど年をとっていた。
髪や瞳の色合いはそのまま、顔も面影がある。どういう魔法か、服もそのまま大人サイズになっていた。
――十歳の美少女が、一瞬で二十歳の美女になったのだ。
おそらくこちらが本来の姿なのだろう。
「ああー! あのときの魔女!」
ティムは大声を上げた。
彼女はティムがずっと会いたいと思っていた恩人だった。
「あなたが元気になって良かったわ。聖女になっているとは思わなかったけれど……」
あれから十年。八歳だったティムは十八歳になっている。
しかし、シェリルの容姿は変わらない。
魔女の寿命が人間と違うというのは本当らしい。
「あのときは、俺の命を助けてくれてありがとうございます。ずっとお会いしてお礼を申し上げたかったのです」
ティムはその場にひざまずき、握ったままだったシェリルの手の甲に額をあてた。
男の聖女ティム・ガリガは、こうしてボーデン魔女国へやってきたのだった。