第2話:寝場所ガイドの手伝い
「えっと…5時半か」
階段を下りながら携帯で時間を確認した。まだ早いよね…こんな時間だと、オフィスはまだ空っぽのままだと思う。そのことに気付くと、胸はちょっと撫でおろされた。気まずく誰かと出会うことはなさそう。
廊下に入り、エレベーターへ向かう。辿り着いたら下へのボタンを押す。ボタンの薄オレンジ色の光を見つめ、今までのことについて考えた。
結局どうして屋上で働いてしまったんだろう。川崎のやる気に影響されたかもしれないけど、川崎の理由は?やっぱりただの環境返還?今考えてもちょっと変だな…
ピン。
エレベーターに入る。
そもそも、あのテントは?寝袋も持っていたし…分からない。川崎は会社で寝るのは初めてだと言っていたが、それなら一体どこであんなものを使うつもりだった?
ポン。
エレベーターを出る。
オフィスに着くまでそういった謎が頭の中で巡っていた。
帰らなかった所為でやり忘れたことを対処したり、欠伸と共に腕を伸ばした。それを次いで、自分の様子を見にトイレに行った。家に帰って戻る時間はあまりないので、身だしなみを整えるにはここに来るしかない。
「うーん…」
シンクで顔を洗うことをはじめ、寝癖を直し、服を払い、スーツを正す。トイレでできるのは、これくらいだよね…歯を磨くとかは帰ったらやる。
用事を済ませてオフィスに戻り、新しい仕事日を早めに始めようとコンピューターを起動するや否や、ドアが開かれた。
「雲山君、おはようございます」
「おはようございます」
川崎の方も身だしなみを整えたのか、彼女はいつも通りに見える。ブレーザーは着直されており、寝癖も直されている。それに、いつものクールな表情で雰囲気はまとまっている。ただ、昨夜と同じ大きな鞄は肩にかけている。
「ねえ、川崎さん」
「はい、何ですか」
「その鞄…普段は会社に持っていくんですか」
「はい」
迷わず答える川崎。そうか…普段は会社に…いや、まだ分からない。
「どうして?」
理由を理解しようと仕事の準備をしている彼女に訪ねてみた。
「もう見たのに分かりませんか?寝るためですよ」
「いや、普通は会社で寝ないんでしょう?会社で寝るのは初めてって言ってましたし」
「そうですね」
と、準備続ける川崎。
「…」
納得いかず、眉間にしわを寄せてコテンと首を傾げる。
「…雲山君はもう手伝いましたし、教えてあげますよ。こっちに来て」
そちらへ来るよう招く席着いた川崎。何かを探しているのか、携帯を弄り始めた。手伝いの覚えはないけど、素直に彼女の元へ行った。
「はい、これです」
携帯の画面を見ると、ブログのホームページがあった。
「ユカさんの寝場所ガイド…色んな場所で寝てみよう…」
サイトのカバーで書いてあるテキストを音読する。このブログは寝ることに関していそうなので、鞄との関連性が見える。ただ…
「ユカさんは誰ですか?」
聞き覚えのない名前について聞いてみた。社員全員が身に着けるIDバッジを一瞥で川崎の名前を確認するが、やっぱり「川崎夢子」だ。
「私です」
「…そうですか」
「はい。『夢子』の『ゆ』と『川崎』の『か』の組み合わせです」
なるほど。
「じゃあ、寝場所ガイドって何ですか」
気になってたことを訪ねてみる。
「はい。ベッドで寝るのはつまらないんでしょう?」
「いや、つまらなくはないんですが」
「…」
ごめん。同意を求める時は、変なことを言うな。
「コホン。ベッドで寝るのはつまらないんですね。なので、ベッドより面白い寝場所を探すようになりました」
おい。話を勝手に進むな。
「ブログの見ての通り、新しい場所を見つけたり、そこで寝て、レビューを書きます」
「そうですか…アイデア的には面白そうですけど…」
ブログでスクロールをしつつ、川崎の説明を聞き続ける。
「私の夢は、『ユカさんの365日寝場所ガイド!毎日毎日新しく面白い場所で寝てみよう』!」
いつものクールな雰囲気が少し溶けて、瞳が僅かにピカッと煌めいた。
「そして、このガイドを本に作り、たっくさん売りたい!ふふ、すごいでしょう?」
自慢げに胸を張る川崎。
「うん…じゃ、その鞄はブログのためですね…だけど、危なくないんですか?」
ブログで書いてある場所というと、最初に読んだのはわりと普通な場所であった。図書館やネットカフェとか――そんな場所は大丈夫。しかし、更にスクロールすると、公園の茂み、木の上、橋の下…一人の女性がそんなとこで寝てしまったら、危険な目に遭ってしまうだろう?それぞれのレビューは楽しく書かれているけど、危険だとしか思わない。
「大丈夫。私の大事な友達があるので」
「そうですか。一人じゃなかっ――」
一安心すると思ったら、川崎は鞄から何かを取り出した。
「友達のテーザー君ですよ」
「ふぇ!?」
ビリビリと火花をテーザーの先端に走らせる。触らないように一歩下がった。
「それに、高校のころは柔道部に属していたので、自己護衛は大丈夫」
私に手を出す奴は痛い目に遭うぞ、と言わんばかりにガッツポーズを取る川崎。
「それにしても、心配せずにいられませんね…」
「心配は無用です。しかし逆に、苦手なことと言えば、多分新しい場所を見つけることですね。このペースだと、ガイドを出来上がる前に老婆になってしまいますよ」
彼女が心配しているのは、自己護衛じゃなく、新しい場所を考えていることらしい。
「まぁ、確かに365か所に至るまでは道が長いですね」
苦笑を浮かび、携帯を川崎に返した。
「実は、この夢を誰かに伝えるのは初めてです。よろしければ、また手伝いますか?雲山君は既に一か所に参加しましたし」
あ、屋上のこと?それはさっき言った「手伝い」?そう言えば、今振り返ると、昨夜の川崎も分かってきた。会社の屋上で寝てしまうと言ったら「名案ですね」と返事されること。そして、川崎が「次の場所」を探していたこと。なるほど…寝場所ガイドの情報を踏まえて辻褄が合う。
「しかし、僕は男ですよ?危機感はありませんか?」
自己護衛に自信があるとは言え、危機感はなさすぎ。
「雲山君が私に手を出そうとしたら、死んだ方がいいと思わせるほど後悔させます」
テーザーを僕に指して、注意の言葉を告げる。ゴクンと固唾を飲み、テーザーの先端を広い目で見つめた。
「う、うん…」
距離を取り、息を吐く。
「大丈夫。雲山君を信じてますよ。なので、手伝ってもらってもいいでしょうか。寝場所ガイドのヘルパーさんを得ることに楽しみにしていました…」
うーん…確かにこの「寝場所ガイド」のアイデアは変ながらもつまらなくなさそう。ただ、まだ危ないと思う。性別は別として、外のランダムな場所で寝るのは危険に決まっている。
うーん…でも、今参加しなければ、川崎は勝手に一人で続きそう…そっちの方はもっと危ない。
僕は腕を組んで、川崎のブログに手伝うべきかを頭の中で悩んでいた。
「うーん…わかりました。手伝います」
「ありがとうございます。なら、仕事が上がったら合流しましょう」
「はい」
と、「寝場所ガイド」のヘルパーさんになってしまった。
読んでいただき、ありがとうございました!