5 貴方のいない世界では
ジェロームの葬儀に参列した日から、レティシアは自分自身を上手くコントロール出来なくなってしまった。何をしても、何もしなくとも、自然と涙が零れ落ちる。
⦅私って、何の為に生きているのかしら? 誰の為に生きているのかしら?⦆
考えても考えても分からない。
三人の子供たちには、まだまだ元気な祖父母(公爵夫妻)が付いている。優秀な使用人たちも常に側にいる。そして、夫フィリップには長い付き合いの愛人がいる。精神的にフィリップを支えているのは間違いなくその愛人だ。
⦅私がいなくても誰も困らないじゃない。それなのに、ジェローム様のいないこの世界に、これ以上しがみつく必要がある?⦆
否“無い”と感じる。
ジェロームがいない世界では、レティシアは何一つ頑張れない。楽しめない。喜べない。光や彩を感じることすら難しくなってきた。
「生きてさえいてくれたら良かったのに……想い合う関係になれなくたって、ジェローム様が生きてさえいてくれれば、私はそれで……」
また涙が零れる。
レティシアは私室に籠りがちになり、日に日に生気を失っていった。
舅姑である公爵夫妻は、そんなレティシアを見兼ねたのだろう。レティシアに公爵家の領地での静養を勧めてくれた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えて領地に参ります」
素直に静養を受け入れたレティシアにホッとした様子の夫妻。
「親族があんな亡くなり方をしたのですもの。貴女がショックを受けるのも無理はないわ。ゆっくり静養していらっしゃい。子供たちのことは心配しなくても大丈夫よ。任せて頂戴」
姑の言葉に頷くレティシア。
「はい。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。よろしくお願い致します」
「迷惑などとは誰も思わんよ。こちらのことは気にせず、のんびりしてきなさい」
舅も優しく、そう言ってくれた。
舅も姑も、レティシアが不安定になってしまったのは、義兄であるジェロームが愛人に刺し殺されるというショッキングな亡くなり方をした所為だと思っているようだ。二人とも、息子の妻であるレティシアが、まさか結婚前からずっとジェロームを愛していたなどとは想像もしていないだろう。
公爵夫妻との話し合いの翌日、領地での静養に向けて準備を始めたレティシアに、夫フィリップが声を掛けて来た。機嫌が悪そうだ。
「何故、私に何の相談も無く、父上と母上と君の三人だけで静養の件を決めた? 君は私の妻だろう?」
「あぁ、お義父様からお聞きになったのですね?『何故』と言われても、フィリップ様は一昨日からララさんの所に泊まってらして、屋敷にいらっしゃいませんでしたから」
仕方ありませんわよね? と小首を傾げるレティシアに、苛立った様子のフィリップが怒鳴り声を上げる。
「【ララ】ではない! 彼女の名前は【ルル】だ!」
「あら? そうでしたっけ?」
「君は本当に私に関心が無いのだな! もういい! 領地でも何処でも行けばいい! 勝手にしろ!」
「ですから、領地に参りますってば」
「君という女性は……」
言葉に詰まったフィリップの胸を両手でドンっと押すレティシア。
「私は準備で忙しいのです。部屋から出て行ってくださいませ」
「ぐっ……」
1週間後、レティシアが領地に出発する日。
公爵夫妻と三人の子供たち、そして使用人たちもレティシアを見送ってくれた。だが、夫フィリップの姿はない。愛人の住む別邸に行っているようだ。わざわざ出発の日にそうしたのは、レティシアに対する当てつけだろう。そんなフィリップに公爵夫妻は呆れ果てているようだ。
「レティシアさん。本当にフィリップがごめんなさいね。無事に領地に到着したら知らせを寄越してね」
「はい、お義母様」
「レティシア。フィリップのことは気にしなくていい。あいつはどうしようもない。レティシアは自分の心と身体を休めることに専念しなさい」
「はい、お義父様」
子供たちとも一人ずつ言葉を交わし、それぞれを抱き締めた後、レティシアは馬車に乗り込んだ。
三人の子供たちは、レティシアの乗った馬車が見えなくなるまで手を振ってくれた。
レティシアは、王都を出る前に亡くなった義兄の墓参りをして行きたいと、供をする侍女と護衛に告げていた。ジェロームの墓は王都のはずれにある。
墓地に着き馬車を降りたレティシアは、ジェロームの墓の前までやって来ると、侍女と護衛に「お義兄様と少しお話をしたいから、後ろに控えてて頂戴」と言い、距離を取らせた。もちろん彼らはレティシアの姿が見える位置に控えているが、小声ならば声は届かないだろう。
レティシアは墓の前に跪くと、静かにジェロームに語り掛けた。
「ジェローム様。レティシアですわ。婚家を出て来ました。もう戻るつもりはありません」
小さく息を吐き、続けるレティシア。
「私、ずっとジェローム様に言えなかった事があるのです。葬儀の時にも口にすることが出来ませんでした」
言いたくても言えなかった。
告げることは決して許されなかった罪深い言葉。
それは――
「愛しています。ジェローム様」
ようやく告げることが出来た。
微笑むレティシア。
「すぐにお側に参ります。これからは、ずっと私と一緒にいてくださいね。ジェローム様」
レティシアはバッグから小さな瓶を取り出すと、素早く蓋を開け、一気に飲み干した。
次の瞬間、ジェロームの墓にばたりと倒れ込むレティシア。
後ろから侍女の悲鳴が聞こえた――
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レティシアが自ら毒を飲んで亡くなった後、彼女の部屋のクローゼットの奥から大量の手紙が見つかった。夥しい数のそれらは、全てが義兄ジェロームへ宛てた恋文だった。
結婚以来、フィリップとレティシアは長らく仮面夫婦だったはずだ。ところが、レティシア亡き後、彼女がずっと他の男を愛していたことを知ったフィリップは、何故か酷く打ちひしがれ、やがて荒れ狂い、愛人に八つ当たりをするようになった。結果、長年の愛人ルルに愛想を尽かされた。
レティシアのいなくなった世界で迷路に迷い込んでしまったのは、夫のフィリップだけではない。三人の子供たち、公爵夫妻、実両親、姉のポーラ――残された者たちは皆、それぞれ苦悩しながら人生を歩むこととなった。身勝手に去ったレティシアをどうしても憎めぬままに……
終わり