プロローグ『アカウントが乗っ取られた!?』
仕事帰り、わたしは真っ先にお風呂に入る。そして、お気に入りのパジャマに着替えて、アイスクリームとジュースを持って、パソコンの前に座る。これで準備は万端だ。
パソコンを起動させて、デスクトップに置いてあるソフトのショートカットをクリックすれば、お気に入りのゲームがスタートする。画面サイズは当然フルスクリーンだ。ゲーム以外のものが映り込むと、どうしても意識が引っ張られてしまって、十分に楽しめない。
IDとパスワードを慣れた手つきで打ち込んで、いざいざ! ゲームスタートだ。
「……およよ?」
エラーの文字が出た。
すごく嫌な予感がする。わたしはもう一度IDとパスワードを打ち込んだ。
エラーの文字が出た。
もう一度だ。慎重に一文字一文字気を付けながら入力していく。
エラーの文字が出た。
「えっと……、『IDかパスワードが間違っているか、ソフトが最新の状態では無いためにログインする事が出来ません』」
わたしは何度も深呼吸を繰り返した。
大丈夫。慌てる必要はない。
わたしは自分にそう言い聞かせ、ソフトを一度終了させた。そして、ショートカットではなく、ソフトの本体を起動させた。すると、アップデートが始まり、わたしはホッと胸を撫で下ろした。
ショートカットから起動すると、正常にアップデートが起動しない事がままあるのだ。
アイスを食べながらしばらく待っているとアップデートが終了して、アップデート内容が表示された。
「なになに……?」
そこにはこう記されていた。
『アカウントの乗っ取り事件が多発している為、セキュリティを強化しました』
アカウントの乗っ取り事件。
聞いた事がある。公式サイトからアクセスする事が出来る個々人のアカウントページに第三者が不正アクセスを行い、メールアドレスとパスワードを勝手に変えてしまう事件だ。
変えられたパスワードは変えられたメールアドレスに送られるから、本来のアカウントの持ち主には変更されたパスワードを知る術がなく、ログインする事が出来なくなってしまう。そして、不正アクセスを行った第三者はそのアカウントから我が物顔でゲームにログインして、プレイヤーがこれまで必死に育てて来たPCを無断で操作して、これまた必死に集めて来たアイテムやゲーム内通過を勝手に使い始める。
実に凶悪な事件だ。だけど、わたしはどこか他人事のように感じていた。まさか、我が身に降り掛かる事など無いだろうと高を括っていた。
「……あれ? あれれ?」
改めてIDとパスワードを打ったら、またエラーの文字が出た。
わたしは泣きそうになった。慌ててプラウザを立ち上げて、公式サイトからアカウントページに入ろうとした。だけど、入れなかった。
『メールアドレスが間違っています』
わたしは過呼吸を起こしかけた。
アカウントの乗っ取り事件。その対策アップデートが行われた日、わたしのアカウントは乗っ取られていた。
血の気が引いた。わたしにとって、ゲームは人生そのものだった。
現実では友達がいないわたしにも、ゲームの中には友達がいる。
現実では日々の生活だけでもギリギリなお金しか持っていないわたしでも、ゲームの中ではお金持ちだった。
現実ではペット禁止のアパートに住んでいるわたしにも、ゲームの中には愛すべきペットが山程いた。
もう一つの人生。その為にわたしは生活を切り詰めてまで課金し続けて来た。寝不足になってもゲームの時間を確保し続けて来た。
そのすべてを奪われた。
「……やだぁ」
わたしは泣いた。
「返して……、返じでよぉ……」
わたしは小一時間程泣きじゃくり、それからSNSにアクセスした。
兎にも角にも乗っ取られた事を友達に知らせようと思ったからだ。
すると――――、
『マジ!? 公式に通報した!?』
『ユメちゃん可哀想……』
『ユメノさん。いいですか? まずは公式サイトの右上にある通報の文字をクリックしてください。それから、アカウントの乗っ取りの件である事を件名に書いて、最後にログインした日付と時間などを出来るだけ正確に書いて下さい。元のメールアドレスなども載せておいた方がいいと思います。乗っ取り事件については公式も動いている筈ですから、きっと戻って来ますよ。落ち込まないで下さい。とりあえず、アカウントが復帰するまで、新しいアカウントを作ってみてはどうでしょう? ギルマスにも報告しておくので』
ギルメンのアークくんのアドバイスに従って、わたしは公式に通報した。
それから、不安でいっぱいになりながらも新しいアカウントを作ってみた。
そして、改めてゲームを起動した。ゲームのタイトルが青白い光と共に表示される。
《b》星を求めて《/b》
IDとパスワードの入力画面になった。わたしは諦め切れず、一回本来のアカウントのIDとパスワードを入力して、エラーの文字を見た後にため息を吐きながら作りたてのサブのアカウントのIDとパスワードを打ち込んだ。
今度はすんなりゲームにログインする事が出来た。
だけど、いつもと画面が違う。本来のアカウントで入ると、キャラクター選択画面になる。だけど、作りたてのアカウントで入った事で、最初のキャラクターの作成画面に入ったらしい。
「……こうなってるんだ」
最初にこのゲームをプレイしたのは十年くらい前の話だ。
その頃はまだ中学生だった。
あの頃には無かった演出がある。それに、作れるキャラクターの自由度も広がっていた。
「……どうせなら、今までとは違うキャラクターを作ってみようかな」
いつの頃からか、とにかくPCを強くする事ばかりに囚われるようになっていた。
そのおかげでトップ層に立てていたけれど、周りと似たりよったりのステータスと装備になっていて、あんまり個性を出せていなかった。
どうせ、本来のアカウントが戻って来た時までの繋でしかないのだから、ここは個性を出していこう。
「アイテムは基本レイドバトルやボスモンスター討伐の報酬以外、全部買っちゃってたんだよねぇ」
それが一番効率的だった。だけど、しばらくはどちらもお預けだ。
「戦闘ばっかりして来たし、ここは生産系でいこうかな? 採掘場とかも行った事なかったなぁ」
段々と楽しくなって来た。
わたしはステータスを弄り、初期スキルを選んだ。
このゲームは取ろうと思えばすべてのスキルを手に入れる事が出来る。そして、スキルがある程度極まって来ると、その時の極まっているスキルによって職業が付与される。職業にはそれぞれスキルボーナスがあり、そのボーナスを得られるスキルを更に極めていく事になる。だから、職業が付与されるまでは色々と試行錯誤出来るのだけど、職業が付与された後はそうもいかないわけだ。
「よーし、完成!」
キャラクターが完成した。
ユメノが戻ってくるまでのわたしの半身。
「名前は『メア』っと」
初期スキルは5つ取れる。取れると言っても、最低レベルだ。ここで取らなくても、ゲームスタート後、5分後には同じ状態に出来るだろう。だから、これは大まかな方向性を決める為のものでしかない。
わたしは早速、メアと共にゲーム世界へ入って行った。