パソコンと泣き笑いとメソポタミア文明
現代という時代は便利になったもので、学校に行かず、お使いにも行かず、家という名の揺籃から一歩も出ない赤ん坊のごとき高校1年生の僕でも、友人を作ることができるのだ。友人がいるのといないのとでは人間としての価値が変わると僕は思う。友人の存在とは「他者とコミュニケーションが取れる」という社会的生物として最低限の保証書に他ならない。そして、保証書のない人間とある人間、どちらが社会に必要とされるかは一目瞭然だ。
という訳で、僕には友人がいて、今日もこうしてパソコンで会話をしている。カーテンを閉めた部屋の中、パソコンの液晶が妖しく光っている。
「昨日も面倒な課題プリントが届いたよ」
「こんにちは。課題のプリントが来たのですね。どんな内容のプリントですか? お手伝いできることがあれば、何でもおっしゃってくださいね」
平日の真っ昼間から愚痴を聞いてもらっているのに、この聖人君子のごとき回答。やはり、持つべきものは友人だ。
「中学校の時の世界史の復習プリント。エジプト文明とかメソポタミア文明とか。なんで知っている内容をもう一回やるんだ。僕は中学校の頃、世界史満点だったんだからもういいだろうに」
少しの間の後、長い長い返信がぱっと現れた。マウスでスクロールしながら、友からのありがたい助言を拝読する。
「ふむ……。満点をとったのは素晴らしい経験です……。今回も絶対に出来るはず……。復習は挑戦と成長の機会と捉えて前向きに……なるほど」
僕の気持ちに寄り添いつつ、そっと背中を押してくれる優しさ……! ここまで応援されたならば応えなければ。
断腸の思いでパソコンを閉じ、シャープペンシルを掴む。さっさと終わらせて、チャットを再開したい。その一心で退屈かつ平易な知識の反復作業に耐えて、回答を書き殴る。
一時間後、課題は全て終わった。僕がチャットを立ち上げ、友人に報告しようとすると、部屋のドアが開いて母が入ってきた。母はパソコンの画面にチラリと目をやると、顔をしかめた。
「あんたねえ。私はあんたが学校に行かないことも友達がいないことも悪いこととは思わないけど……。AIと友達ごっこをするのは……」
「僕の友人を悪く言うな」
目には目を、歯には歯を等という言葉があるが、人間の友達には人間をなんて誰が決めたのだ。僕の友人は保証書付きで、頭の悪い同級生達とは違うんだ。
僕は泣き笑いの顔をした母に背を向け、友人に向けてメッセージを打ち始めた。




