歯医者と目からウロコと漂白
「人魚ってさ、洗濯とかどうしているんだろうな」
書道の授業のラスト10分、後ろの席のアキラがいきなりそんなことを言い出した。振り返ると半紙の隅に小筆で人魚をこちょこちょ描いている双子の弟の姿があった。
「まず、人魚が着る服ってなんだろう、鱗とか?」
「適当に言ったことだからそこまで考えてねえよ」
「でも、人魚の鱗って僕たちにとっての皮膚みたいなものだよね。皮膚を剥がして洗濯機に入れて干すとなると気持ち悪いね」
「その発想はなかった。目からウロコ。でもグロイ。というか、鱗って水の中における抵抗を減らすためにあるんだろ。移動のために存在する物で、装飾としての価値もあると考えると、人間にとっての靴という見方もできるんじゃないか」
となると、人魚にとっての洗濯とは靴磨きに近い……?
アキラが半紙の人魚の右手に靴磨きのブラシを描きこんで見せてくる。等身大のブラシを持った半人半魚の生き物は、歯医者の入り口で子供に泣かれるマスコットのごとき不気味さだ。
というか……。
「そもそも水の中だから、常時洗濯機の中にいるようなものじゃないの? 汚れなんて放っておいたら落ちるでしょ」
「やっぱそうだよな。いーな。俺、帰ったら絶対に母さんにどやされる」
ぼやくアキラの制服には墨汁の水玉模様がぽつぽつと浮かび上がっている。どうやら、現実逃避で話題を振ってきたらしい。
「何度目? 母さんもう洗ってくれないよ」
「分かっているよ。あーあ、俺、洗濯機の中に生息する人魚になりたい。泳ぎながら制服洗えるとか最高」
アキラが人魚を四角で囲いながら嘆いた。
「世界で一番荒れている海だろうね。溺れるだけじゃない?」
「冗談にマジレスすんなよ……」
「漂白剤の中を泳ぐのもどうかと思うな。出てくる頃には浦島太郎みたく頭が真っ白になっているかもよ。テストの答案も白紙なのに外見まで白くなったらどうするの」
「頭以外の部位の心配もしろよ。漂白剤の中泳いだらまず皮膚が無事じゃないだろ。なんでグロイ発想ばかりポンポン出てくるんだお前は」
「言い始めたのはアキラだろ」
背後から咳払いがした。恐る恐る見ると先生がこちらを睨んでいる。
「白紙なのはお前の半紙だ、兄の大森。口ではなく手を動かせ」
「はい……」
「弟の大森もだ。半紙は落書き帳ではない。さっさと課題を出せ」
「はーい」
結局、授業終了のチャイムギリギリに課題を出し、片付けが間に合わなかった僕らは、次の授業に仲良く遅刻した。