地域猫と不安感と飲み放題プラン
長い夏休みの練習がようやく終わり、記念に皆で打ち上げに行こうという話になった。球場で飲み放題プランを予約し、10人で居酒屋へ。体力を使い切った体にアルコールへの対抗力があるわけもなく、30分後には皆完全にできあがっていた。
「先輩……。お疲れさまです」
後輩のKが真っ赤な顔で抱き着いてきた。身長175㎝の男に抱き着かれても嬉しくはない。さっと払いのけると、その右腕にあるひっかき傷が目に入った。
「この傷どうしたんだ? 練習中に誰かの爪でもぶつかったか?」
俺の問いかけにKはとろんとした目を瞬かせ、約10秒後にぼんやりと返答した。
「これは、頭を撫でようとしたら、引っかかれて……」
「ありゃまあ。災難だったな」
ぽよよんと返答し、約10秒後にハッと気づく。
もしかして、俺は今、惚気話を聞かされたのか……?
Kは人見知りで、大人しいタイプだ。しかし、人と関わることは好きらしく、いつも縋るような瞳で周りを見渡していて、話しかけると露骨に嬉しそうにする。その様は犬が尻尾を千切らんばかりに振っているようで、マネージャーたちの間ではかわいいと評判だ。顔も悪くないし、恋人がいてもおかしくはないが、Kの周りに浮いた話は一つもないはずだった。
俺は今、どデカいスクープを手にしようとしているのでは……?
頭からアルコールが吹っ飛んだ俺は努めて冷静に日本酒を注文。コイツから少しでも情報を聞き出そう。
「喧嘩でもしたのか。俺でよければ、話聞こっか」
俺が差し出したおちょこの液体を一気に飲み干したKは涙目になった。
「喧嘩じゃなくて……。しばらく会わなかったら、アイちゃん、俺のこと忘れてて」
予想以上に重い話がきた。確かにこの夏休みは忙しかった。彼女と会えないのも無理はない。不安感を募らせた彼女はKを忘れたふりをして気をひこうとした……と。
「ま、それだけお前のことが好きってことなんじゃないの」
「それはないです。アイちゃん、人気者で……。この前も他の人の家の前にいて」
浮気されていた。
好奇心から突いた話がブラックホール級の重力を以て俺に迫る。
Kのつぶらな瞳からポロポロと涙があふれ始めた。雨の日の子犬のごとき庇護欲をくすぐる姿に、俺も涙しそうになる。いや、涙した。
「もうそんなクソ女のこと今日は忘れて、飲もうぜ。俺の奢りだ」
「先輩……!」
アイちゃんがKの家周辺を縄張りとする地域猫兼アイドルだということを、俺が知るのはもう少し後の話。