2 「神さま、事件です」
ところでフィラは十歳。
まごうことなく美少女だった。
月の光のような柔らかな銀の髪に、琥珀のようなとろりとした黄金の瞳。まろやかな頬はまだ幼くも、形よい唇は桃色にふっくらとして。
この国には多い淡い褐色の肌が滑らかに、それらの色をいっそう輝かせて引き立たせる。
ギルバートもまた整った顔立ちをしていた。黒髪に、将来は美形になると今から察することができるやや切れ長ぎみの瞳は、赤みがあり印象的だ。肌は彼は本来は白いのだろうが、海で育つうちに日に焼けて健康的にまた小麦色。
可愛らしく利発そうなそんな彼らが連れだって遊んでいたら……目を引くというもの。
街は、ギルバートの父のお膝元として、彼が街のものたちに敬われるのはわかるが、フィラは――と、知らないものもいないのだが。
「ジャスバーグさま! やはりあの娘が聖女かと!」
「……おお」
街の酒場の一角に。あやしい奴は何故こうした場所を選ぶのか。
しかしながら、彼らはもたされた報告に目を輝かせた。
「あのフィラという娘、街のものたちにやたらと大切にされております」
「私は娘が通り過ぎたあと、後ろ姿を拝むものをみました。また、朝に住まいという丘を拝むものも」
「あ、私は夜に拝んでおるものをみました。月明かりに照らされる丘がなんとも神々しく」
「うむうむ」
それは偶然、今が月の明るい満ち月の時期なのだが。
「それに、あの娘が街で飲み食いしても、街のものたちが金をとりません! やはり聖女から代金をとるのは恐れ多いのでしょう!」
「なんと!」
それはギルバートのお父さんが後でまとめて払うシステムなのだけど。お父さんがフィラの家計や使用人達の賃金のあれこれも任されているから。お館の家賃も。
だがしかし、街のものたちがフィラを大切に、何よりも大切にしているのは本当。
「やはり聖女とはあのように美しいのでしょう……」
「街のものたちにも、常にお優しく。まさに慈母のように……幼いですが」
――聖女とはやはり神々しく、慈悲深く、そして何より美しいだろう。
うん、と彼らは頷いた。
「……よし。ならば決まった。皆も良いな?」
ジャスバーグと呼ばれたのは、まだ青年と呼べる年頃の若者だった。連れだっているのも同じ年頃だろうか。
そして彼らはやからした。
――フィラの誘拐を。
その日、フィラは仲良くなったお姉さんとふたりで街から離れて丘の方に来ていた。ギルバートは領主の息子さんとして、今日は漁港での集まりに参加している。
「この街、レモンも特産なのねぇ」
「潮風がちょうど良いって、ギルバートが言ってました」
フィラも街で過ごしはじめた頃に教えてもらったのだ。
「なるほど。その土地の気候も大切なのね」
ふむふむとお姉さんは頷く。
お姉さんは漁港の、海の幸をずいぶんとお気に召した。その時ふいに、添えられたレモンもとても美味しいぞ、と気がつかれた。
レモン畑はフィラの住まいの丘の途中にもある。
近いしお姉さんとふたりなら大丈夫だろう。
それに畑に行ったあとはフィラの館でお茶をする予定だ。
案の定、畑のおじさんたちに籠一杯レモンをもらえて。
「これでレモンのおやつを作ってもらいましょう」
フィラの館の料理人さんはお菓子作りも得意なのだ。フィラの年齢に合わせて、毎日健康であるよう、美味しいご飯を作ってくれる。
「レモンでおやつ!? レモンてお菓子にもなるの!?」
こんなに酸っぱいのに。
お姉さんはまたびっくり。幼いフィラも思わず泣いちゃいそう。
「美味しいの、作ってもらいましょうねぇ」
そんな話をして、館にあと少し。
「……お待ちを」
呼び止められた。
「すみません。主が慣れぬ旅にて具合を悪くしてしまいまして」
それは旅装束をした一団。
「あら、大変」
お姉さんとフィラは顔を見合わせる。
「申し訳ありませんが、この辺りで休める場所はありますでしょうか……?」
――それはお困りでしょう。我が家が近くにありますから……となるだろうと期待して。
「それはお困りでしょう。このまままっすぐ降ると街にすぐ着きますよ?」
フィラの瞳もまっすぐ、善心。
それに知らない人をお家に呼びたくない。このお姉さんはもうお友達だから無問題。
「あ、あの。我が主はまだ若く美形ですよ!?」
「はぁ……?」
美形は見慣れているフィラ。鏡でも友人でも、実家の家族でも。
「……美形にはこりごりだわー。つか、顔を取り柄にするのって、他に取り柄がない自己紹介乙ってことよねー」
お姉さんも謎のため息。
「黙れ不細工! お前に用はない!」
「んなっ」
誰が不細工だ。いや確かにこの街にきてそばかす復活しちゃったけど。お日様すごい。
お姉さんは確かにちょっとそばかすが目立つが決して不美人ではない。隣に立つフィラが美少女過ぎて……うん。
しびれを切らしたらしい、確かに美形のお兄さんが飛び出してきた。
いきなり怒った美形が現れた、と身構えたふたりだったが多勢に無勢。
ややあって、丘の上から包みを抱えて駆け下りる一団があった。彼らは停めてあった船に乗ると、漁港の許可を待たずに出航した。
それは子供サイズの、包みを。
「フィラちゃんがさらわれたー!」
漁港の集会所に駆け込んできたのはここ最近、漁港で人気のお姉さん。
何とお姉さんは殴られて気絶させられてた。お前には用はないと容赦なさすぎ。許すまじ。
しかしながら一団が海の方に逃げるのは霞む目でもしっかりとみていた。
少しの気絶は不覚。
それでも起きろ起きろと騒がれる声に急かされ、目を覚まして、また急いで走って報せてくれたのだ。
「ちょ、お姉ちゃんは大丈夫なのか!? 頭から血ぃでてんぞ!?」
「大丈夫! 自分で治したんで!」
「お、おう?」
話を聞いて――港の空気は変わった。
「話は聞いたか野郎どもォ!」
最下層の荒くれ者でもなければ出せないテンションに、お姉さんがひっそり「おお?」と目を丸くする。
「若ッ!」
呼ばれたのはギルバート。いつもと同じ呼びかけ方だが――やはり何かが変わった。
「おう、誰か親父に報せに走れ!」
ギルバートもいつもの穏やかな美少年の形相じゃない。
「あいよォ! 今うちのモンに行かせたわ!」
「助かるぜ、黒鎌の女将!」
それは揚げ物が得意な浜の女将さん。煮物も得意なふくよかなおばさまは妹分。
「飛び鱗の兄貴は先に灯台から船を探してくれ! 灯台守にも説明頼む!」
「任せなぁ!」
それは串焼き売ってるお兄さん。
「渦巻き、片脚、酒樽の大将たちは……」
「おうよ! 部下に船の装備始めさせますぜ!」
浜で毎日商売して酒飲んで歌っている陽気なおじさまたちは。
「他のもんも準備できてまさぁ、若ァ!」
それは漁師のおじさんたち。
「……油断したぜえ、まさかこの街で俺らの姫さまをさらうやつらがいるとはよぉ」
「おお、首かっ切ったら腸引きずり出して鮫どもの餌にしてやらぁ……」
ギルバートくんはいつもは穏やかであたたかなきれいな瞳を。赤いのに底冷えするような冷たい瞳で――鬨の声をあげた。
「《紅鷹》を出すぞ! 覚悟はいいか野郎どもォ!」
おおおおお――ッ!
《紅鷹》。
それは彼らの魂。
彼らの――。
「どうかお願いいたします。我が国へ……」
フィラは目が覚めたら船の中にいた。船に乗せてもらったことがあるから、窓の小さな密室でもその揺れにすぐ察した。
ここは海の上か。
眠らされていたのはそこまで粗末な寝台ではなかった。薬を嗅がされ眠らされたが、その後の扱いは乱暴ではなかったようだ。
――いや、自分を守ろうとしてくれた新たな友人に、剣の柄で殴りかかったのを見ていた。
「どうか、その慈悲を我が国にもお与え頂きたいのです……聖女さま」
目の前には、やたらときらきらした男がいた。そうだ、こいつがお姉さんに失礼なことを言った。
金の髪に、垂れ目気味の青い瞳。瞳は髪と同じく金の睫毛がバサバサしている。まぁ甘い顔の美形だ。美形に見慣れていないものなら、こうして片膝をつかれて見上げられ、涙を浮かべながら頼まれたら頷いてしまうかもしれない。
ジャスバーグと名乗った美形は切に訴えてきた。
彼らの国は、もう百年以上も聖女が生まれていないのだと。
国は、限界だ。
これといって特産もなく貧しく、魔獣の被害も多い。
それでも何とか善政をしく王を――彼らの主を助けたいのだと、ジャスバーグは涙を流しながら話す。
「本当に素晴らしい王なのです。私達のような親を亡くしたものたちを引き取って、育ててくださって……」
ジャスバーグの後ろで鼻をすする仲間たち。彼らはともに王に引き取られた孤児たちだという。
「私は、王に引き取られねば奴隷としてどんな目に遭うところだったか……」
見目が良い分、非道いことになったろうと身体を奮わせた。
「この者はちょっとした盗みで鞭打たれ、死ぬところでした」
だが、お前はお姉さんを殴った。そもそも盗みしたのも悪いだろう。どういう状況だったかはしらないし興味もないが。
他のものたちのも、凄絶らしき生き様を涙ながらに語られた。
このような非道い目にあった自分たちを哀れに思って欲しいと。
――慈悲深い聖女ならば、無下にできまい。
「私たちは、恩返しをしたいのです。助けてくださった、王を……国を……」
彼はそっとフィラの手を――うやうやしく握りしめた。
「どうか我が国にお越しください。あなたのどんなお望みもお聞きしますゆえ――」
美しい顔で、うっとりとフィラを見つめて……――。
「我に触れるな――この下郎が。頭が高いぞ」
己よりも美しい少女に、恐ろしいほど冷たい声で手を振り払われた。
…おや!?フィラちゃんのようすが…!www