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幽霊と火のあいだ

 空が白みはじめて、いくばくか過ぎた。

 ベッドの上でカーテンもしめずに、ぼんやりと窓の外を見上げている。

 たしか、あの時も。

 ――雨が、降っていた。

 それでも星と月は出ていた。天気雨だったのかもしれない。

 星は白んできた空の色に消えていくが、月は白いまま茫漠と浮かんでいた。

 

 白いノースリーブのワンピースに細い手足。

 青いビーチサンダルが、足の辺りに転がっていた。

 黒く長い、まっすぐな髪が、小さな顔を隠している。

 枝のような手足は青白く、硬かった。

 手のなかの傘が地面に落ち、風に吹かれてころころと転がる。


「お兄ちゃん。わたしがいなくなったらどうする?」

「おまえはまだいなくならないだろう」

「もしだよ。もし、わたしがいなくなったら、お兄ちゃん、ひとりぼっちだね」

「ひどいこと言うな。おまえは」

 妹は「ゆな」と言った。

 小学生にしては大人びていたが、高校生の清司郎によく懐いていた。

 清司郎は高校で友人があまり、いなかった。

 いつも図書館で本を読んだり、校庭でサッカーボールを追いかけるサッカー部を見下ろしていた。

「阿伽陀くんはいつも図書館にいるね」

 清司郎とおなじ、図書委員の少女が笑いかけた。

 清司郎は、ただ「うん」とか「ああ」とか、返事にも満たない声でうなずくと、少女はもう一度、笑った。

 その時は、ゆなが死ぬことなど、思ってなどいなかった。

 今思うと、ゆながいることが当たり前すぎて、そんなことは無意味な問いなのだと考えていたのだろう。


 ――人間など、すぐに死んでしまうというのに。


 円寿(かれ)の考えているとおり、人間はすぐに死ぬ。

 心臓や脳や内臓が機能停止すれば、簡単に人は死ぬのだ。


 ぼんやりと、朝になってゆく空を見上げる。

 ゆなも、恐ろしく簡単に死んでしまった。

 明日も明後日も、生きているのだと簡単に考えていたのだから。

 橋から転落して死んだゆなは、今も事故なのか、他殺なのか、妖魔のせいなのか――自殺なのか、分かっていない。

 けれどひとつだけ、清司郎のなかに秘めていることが、ある。

 ゆなが死ぬ前日に、「わたしがいなくなったらどうする?」と言っていた。

 そのことは、誰にも言っていない。


 ――自死かもしれない、という可能性を、徹底的に排除したかった。

 ゆなを発見した清司郎は、警察に何度も事情聴取を受けた。

 ――どうしてそこにいたの?

 ゆなのいつもの、散歩道だったので。

 ――妹さんとの仲は、よかった?

 普通だと思います。

 ――周りに人はいなかった?

 いませんでした。


 同じようなことを何度も何度も聞かれたが、清司郎も同じ答えを繰り返した。

 ゆなの持ち物は、清司郎が誕生日プレゼントにあげた、くまのぬいぐるみだけだった。

 そのくまのぬいぐるみはどこかへと消えていた。

 近くに川が流れていたので、はずみで流れてしまったのだろう、と、警察は言っていた。


「お兄ちゃん。」

 

 はっと顔を下げる。ベッドの横に、ゆなが立っていた。

 あの時の、すがたのままで。


「わたしを忘れないでね。」


 そう言い、ゆなは消えた。


「――ゆな。俺を、許してくれるのか」

 その問いに、応えるものはいない。



「けむいぞ。清司郎」

 煙草を吸って、どれほどの時間がたっただろう。

 気づけば昼で、家の前で、ハーフツインの、やわらかそうな髪を持つ刀神が立っていた。

 下駄をからりと鳴らして、清司郎を見上げている。

「何本、吸っているのじゃ」

「ひいろ。いつの間に」

 手のなかにある、携帯灰皿をぎゅっと握りしめると、たばこの灰がわずかばかり、落ちてしまった。

「いつの間に、ではないぞ。数分前からここにおる!」

「それは失礼」

「おぬしがあんまりにもぼうっとしていたから、わしが声をかけたのじゃ」

「あぁ、そんなにぼうっとしてた?」

 うむ、とひいろはうなずき、石の塀に背中をあずけた。

 はなしを聞くぞ、と言うように。

「俺にね、妹がいたんだ。死んじゃったけど。その子の幽霊を見たよ」

「なに。妖魔ではなくか?」

「幽霊だとおもうよ。あの子、言ったんだ。忘れないで、って」

「……そうか。ならば、忘れぬことじゃ。それがおぬしの役目ではないか?」

「そーね。ひいろの言うとおり。残された家族の、役目だよね」

 ひいろは、うつくしい赤玉(ルビー)のような瞳を清司郎に向けて、にっとわらった。


 ――ゆなが、許してくれた、ような気がした。


「清司郎。おぬしが忘れなければ、その娘はきっと、おぬしのそばにいるはずじゃ」

「うん」

「だから、元気を出すがよい。なんならわしが、将棋の相手になるぞ」

「ひいろ、勝つまでやるじゃない」

「もちろんじゃ」

 胸を張って、彼女は笑う。

 彼女の笑顔は、ゆなと似ていた。


「最後の一本、吸っていい?」

「仕方あるまい」

「ありがと」


 じきに暖かくなる。

 そう思うと、視界がにじんだ。

 ゆなが死んだのは、ちょうどこの時期だ。

 まだ寒さの残る3月に、冷たい雨に打たれて死んでいた少女は、夏が好きだった。

 

 清司郎はひいろに気づかれないように、涙をぬぐった。

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