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身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ仇桜【改訂版】  作者: 一ノ瀬 星羅
第1章
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地獄

サイレンの音がうるさい。あれだ、パトカーの……。


暗闇の視界から瞼が開かれるようにゆっくりと景色がクリアになる。私はマンションの車寄せのスペースに座り込んでいた。


カーテンのように周囲を囲ったブルーシート。それを開け閉めして忙しなく行き交うスーツや制服姿の人々。周りの様子を把握するにつれ、交わす言葉も霧が晴れるように明瞭になってきた。


目の前を二人の男性が横切る。彼らが向かう先に視線を向けるとシートが掛けられた包みがあり、一人がその場に屈み手を合わせてから中を確認した。途端に彼は顔を顰めて吐き捨てる。


「元の顔も分かりゃしねぇ。飛び降りは毎回現場を見るのが嫌になる。」

「自宅も悲惨なもんですよ。」

「まだ中学生だろう。何で死ななきゃいけなかったのかね。」


二人はため息交じりに言葉を交わすと再び手を合わせ、その場を去っていった。その場に残された私は、シートに包まれた塊を凝視する。


「あれ……私?」


途端、平衡感覚を失うような目眩と吐き気が押し寄せる。しかし感覚だけで、体は反応しない。ずっと胸のところでえずいているような状態。


当然だ。私の体はあそこにあるのだから。


「私、死んじゃった……。」


自分で望んだことなのに。そう思ったが、両手を見ると今まで見たことがない程震えていた。頭を抱えて蹲れば両手だけでなく全身が震えているのを実感する。


私は、死んだ事に恐怖しているの?


「どうしよう……。」


訳も分からずその言葉が口を付いて出た。


「どうしよう……どうしようどうしようどうするの……?!」

『どうもできないよぉ。』


不気味な声が響いた。ビクッと体が反応して振り返るが、そこには誰もいなかった。


いつの間にか周囲の喧騒も徐々に小さくなっていく。驚いた私は辺りを見渡したが、何故か景色はセピア色にあせてゆき、”それ”になった私も、取り囲んでいた警察官達も居なくなっていた。


『あんたもう死んでるだろぉ?』


また響いた。人が喋るようには聞こえない。獣が無理やり人間の言葉を喋っているような。


『さぁて、断罪の場へ案内してやるよぉ。』


そう楽しげに笑い声を上げた時、私の座り込んでいた地面が割れた。いや、“口を開いた”。


地面に鋭い牙が並んだ大口が現れたのだ。


「いや、いやぁああああああああッッッ!!!」


重力に従って落ちる私。


呑み込まれる!!


そう思って全身を強張らせるが、地面に開いた口は私をその牙で咥えて持ち上げ、放り投げる。


「うぐっ!!」


硬い物に叩きつけられてうめき声が漏れた。恐る恐る目を開けると、私は時代劇でしか見たことのないような古びた荷車に乗っている。所々に染みついた幾つもの赤い模様を目にし、ぞっと背筋が凍った。


『逃げるなよぉ?逃げられないけどなぁ。』


また声が掛けられてハッと視線を遣る。そこは荷車の引手を首に掛ける巨大な赤毛の猫がいた。


近所で見る野良猫みたいに可愛いものじゃない。牙を剥き出しにし、毛を逆立たせ、瞳孔が鋭く尖った金色の目で私を睨んでいる。


「ひっ!」


その形相が恐ろしかった私はその場にへたり込んだ。猫はそれを鼻で笑って跳躍する。


当然それに合わせて荷車が振り回され、私は荷車の中を転がって悲鳴を上げた。猫はそのまま水に飛び込むように硬い筈の地面に潜り込む。


ぶつかるかと思って反射的に目を瞑ったが、思った様な衝撃は無く、恐る恐る眼を開くと視界には真っ暗な空間が広がっていた。


猫はその何もない空間で宙を駆けている。


ふと、生臭い風が顔を撫でた。猫が向かう先から吹いてくる風だ。


何の匂い?


その答えが出る前にぶわりと風が強さと温度を増した。


熱いっ!!


咄嗟に両腕で顔を庇い、強く瞼を閉じる。吹き付ける突風が油のように体に纏わりついて火傷しそうだ。


そして鼻孔に突き刺さる鉄錆の匂い、耳に飛び込んだ業火の唸り。


目を閉じてしまった事でより敏感に感じてしまったそれが、体の芯から怖気を呼び起こし、全身を駆け巡る。本能が、魂が恐怖を訴えていた。


怖い、怖い怖い怖いっ!!


『ご覧なぁ。良い眺めだよぉ?』


猫が楽し気に私に話しかけた。その言葉で私は再び目を開く。


今の一瞬でまた景色が変わっていた。


まず目にしたのは血のように赤黒く染まった空。そしてその虚空に足を止めて下を見遣る猫。


私は猫の視線を辿って荷車から顔を出し、即座に凍り付いた。


見下ろす地面は剣山のごとく巨大な針が軒立ち、その中で私達のすぐ側にあった1本に、人間が突き刺さっていたのだ。


歳は分からなかった。性別も分からなかった。針の下から吹き上がる炎に炙られたのか、服と皮膚が熔けて混ざり合い、何とか人の形を保っていたような有様だったからだ。


その時、一際大きな炎が吹き上がる。


あ、と声を上げた時には既に、炎はそれに喰らいついていた。


業火の雄叫びが熱風を伴って私達を叩きつける。そこに微かに人の悲鳴らしきものが混じっているのを捉えて、あれの断末魔なのではないかと思ってしまった瞬間、沸き上がる吐き気に口元を押さえた。


視界が涙で滲む。しかし、炎が過ぎ去った後も目は捉えてしまった。体積が半分になった物体が、脆く崩れ去って炎の海の中へ落ちていく様を。


「~~っっ!!」


ボロボロと涙が零れて、それを隠すように荷車の中に蹲る。全身の震えを抑え込もうと、抱えた腕を折れそうな程強く握りしめた。


『なぁ?良い眺めだったろう?』


愉悦を含んだ声に信じられない気持ちで猫の方を見た。


猫は私の脅える様子を見て、にたりと鋭い牙を見せて不気味に笑う。私は更に涙が溢れて嗚咽を漏らした。


何よここは。どうして私がこんな所に連れて来られるの?!もしかして今からあの中に落とされるの?どうして!!?


「もう帰してよぉ……っ!!」

『なぁに言ってるかねぇ。言っただろぉ?お前死んでるじゃあないかぁ。』


ぐるぐると喉を鳴らして猫は嘲笑った。


『お前さんはこの“地獄”で炎に焼かれながら罪を償っていくのさぁ。』

「は……?」


今こいつは何を言ったんだろうか。地獄?罪を償う?


「どういうこと……?」

『そのままの意味に決まってるじゃあないか』


なに、それ……。


「どうして私がッ!!!」


私はパニックのまま叫んだ。


「どうして私が地獄に落ちなきゃいけないのよ!!!悪いのはお母さんじゃないッ!!みんなお母さんが悪いのよ!!!」


その時猫がクワッと目を見開いた。金色の目の瞳孔が糸のように細くなってギロリと私を睨み付ける。


『あんたどぅしようもないねぇ。』

「どうしようもないのはあんた達でしょうが!!!人を冤罪でこんな所に呼び込むなんて何考えてるのよッ!!責任とって!!早く私を元の場所に帰してよ!!!ほら早く!早くしろよ、この──」


ガオンッッ!!と衝撃波が私を叩きつけた。視界が真っ白に塗りつぶされ、耳鳴りが鼓膜を何度も突き刺す。


『大声出させるんじゃないよぉ。』


その言葉でやっと分かった。この化け猫は私に向かって馬鹿でかい唸り声を浴びせたのだ。


『あんたの罪なんて知るかねぇ。わっちはわっちの仕事をこなすだけさ。あんたを裁判の間まで連れて来いと言われたから連れていく。それだけのことよぉ。』


駄目だ、取り付く島もない。


しかし、今からこの中に落とされる訳ではないようだ。その事に少しだけ落ち着きを取り戻した。


猫は“裁判の間”と言った。私でも知っている。


地獄の裁判官【閻魔】。私はこの地の王の前に引き出されるのだろう。


弁明の機会は残されている。ならばその時の為に言葉を考えなければ。


化け猫は私が大人しくなったのを見て、再び赤い空を駆け出した。

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