追放ざまぁ系が苦手? その苦手は、得意の裏返しかもしれません。
皆様こんにちは!
ランキングに多数載っている、追放、ざまぁ、もう遅い作品の数々。実は私も、これら追放系作品を読むのが苦手でした。
そんな私ですが、流行ってるからと、ある時軽い気持ちで試しに書いてみました。
すると、これが不思議。
書くのは、楽しかったのです。
すらすら書けました。
書いた作品に、望外の評価も頂きました。
しかし、それでもやっぱり他人様の書かれた追放系は、今でも読むのが苦手だったりします。
これは小説だけてはなくて、テレビの「ス○ッとジャパン」等も苦手だったりします。
見終わっても、なんだかモヤモヤが残るんです。スカっとしないのです。
この、読むのが苦手だけど書くのは楽しい現象。
なんでかなーと自作を書き続けながら不思議に思っていたのですが、最近、自分の中でようやく答えが出ました。
私にはもう一つ、この現象の起きる物に、心当たりがありました。
それは、グロテスクなシーンやスプラッタな描写。これも、他人様の物を読むのは苦手なのですが、書くのは好き。
そして多分、書くのは得意(あくまで自分の他のシーンの描写に比べて、です!)
これら二つ、ざまぁとグロの共通点を考えていくと、答えが見えてきました。
どちらも、読んでいて自分の感性と少しでも合わない所があると、もう無理ってなってしまう。そこから先が読めない。
ざまぁとグロへの自分の許容範囲、めちゃくちゃ狭いんです。
言い換えれば、この二つの事に、かなり敏感(過敏?)なんだと思います。
しかしそれは一方で、書く分にはどうもプラスに働いているみたいです。
まあ、当然ですよね。自分で書けば自分の許容範囲内の描写になります。
そうなってくると、それ自体が本当に苦手な訳ではなかったから、書く分にはすらすら書ける。
さらに書いていると、自分の中に細かなこだわりが沢山ある事に気がつく。その要点を押さえて書いていくから、書いた内容にも、まとまりがでやすい。
つまり、「グロとざまぁを読むのが苦手」と、「書く分には楽しい」とは、実は表裏一体だったんだなーと言う結論に、自分の中ではなりました。
このエッセイを読まれている追放ざまぁが苦手な方の中にも、もしかしたら、いらっしゃるかもしれません。
その苦手が、実は得意の裏返しだったという方が。