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#143 消えてほしいものが消えない

突然、スローモーションになったり、突然、かすれてきたりする視界は、まだ本来のものに戻りきっておらず、いつも歩んできた世界とは、全く違う。


回復したあなたに、会うためにやってきた病院は、暗い顔をした人々が多く、斜め上を向いている人など、数えられるほどしかいなかった。


あなたのお母さんから、ずっと一緒にいてあげてほしいとお願いされ、何とかここまで歩いてきたが、まだ耳も正常ではなかった。


まぶたは相変わらずピクピクし、喉元は突っ張っていて相変わらずで、腕の皮膚のひきつりも、違和感をかなり感じるほどの、強さが続いた。


バッサリと髪を切り、ショートカットで会いに来たが、少し前より視界が軽くなった気がするだけで、ありとあらゆる重さは、あの日のままだった。


病室へと足を踏み入れると、第一声で、あの日、頭を打ってしまったあなたに、私のことを忘れているのかを聞くと、暗くうなずかれた。


あなたの動揺の度合いから考えても、あなたが嘘をついていることは、確定に近いと思ってしまい、そう思った瞬間からもう、鼻は急に詰まり出していた。


記憶喪失のフリで苦しんでいるあなたを、近くで見つめていたら、色々な味に複雑に苛まれていた味覚に、苦さがドッと溢れた。


「本当は覚えているでしょ?」


「あっ」


「本当は、私のこと知ってるでしょ?」


「はい。すみません」


「やっぱり」


「ごめんなさい」


「私、上京はしないし、ボイトレもやめたから」


「えっ、何でですか?」


「一番大事なものを優先するの」


「何が一番大事なもの何ですか?」


「玲音だよ」


「いやっ、僕はいいので」


「玲音が良くても、私はダメなの。玲音は私のこと必要ないかもしれないけど、私は玲音が必要なの」


「ああ」


「重いかもしれないけど、私は玲音がいないと生きられないの。私は玲音よりも弱いの。もろいの」


「はい」


「こんなこと言ったら、玲音が苦しくなることは分かってる。でも抑えたら、私がダメになる。爆発しちゃう」


「はあ」


「私は守っているようで、玲音に守られていたの」


「あ、はい」


嘘をつける人ではないけど、嘘をついてまで、私と過ごすことを拒むということは、私とそれだけ一緒にいたくないのだろうと、思うしかなく、何を言ってもあなたの心は変わらないと、感じた。


あなたがもしも、また頭を打ったなら、症状が治るかもしれないけれど、そのツラさを考えるだけで、私の身は、信じられないくらいに、縮み上がる。


足を動かし、あなたに近づきすぎることも、離れすぎることも出来ず、ずっとずっと、その場で足踏みを続けてしまっている私がいた。


今のあなたは、腕を噛むと落ち着くらしく、私ではなく、自分の腕を噛んでいるあなたが病室にはいて、今まで以上に暗く感じた。


あなたは、普段はほとんど涙を見せないタイプで、人前では涙を隠すタイプなのに、静かに泣いていて、こっちまで泣きそうになってしまった。


あの日、あなたを乱した引ったくり犯に、全ての怒りを集中させたが、自分の方が悪いかもしれないと、唇をぎゅっと絞ると、甘さが出てきた。


もっと深く関わりたい心情が溢れ、服用している薬の話を、あなたとしていなかったことを後悔し、また鼻腔が狭くなっているのが分かった。


あなたの横でスマホを覗くと、ゆっくり休んで、というあなたへのSNSのコメントが多数あり、背を向けて寝ているあなたに、愛を心のなかで投げ掛けた。


あなたは、おもむろにこちらを向き、長いまつげと、整った下がり眉と、低い鼻、そして薄い唇を見せてくれて、とても幸せだった。


高い場所から蛍光灯を落とすと、破片が飛び散るが、私の心が、高い場所から落ちて飛散し、その破片が身体のどこかに突き刺さったかのような、そんな悲惨な痛みが、感覚としてここにある。


あなたのことがあり、高校サッカーの次の試合は見に行けなくなってしまったのだが、先ほど萌那からの電話があり、優勝候補にあっさり負けたらしいと、可愛い声で知らされた。

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