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#113 昨日までの昨日は昨日でなし

あなたの母から少し前に来た、あなたが退院したという、スマホに表示された文章の連なりを最終確認すると、ずっと静止していた風景から歩みを進めた。


ふと遠くの方に視線を送ると、一番見たくなかった私の妹が、カッコイイ男性に突き放される無様な姿がそこにはあり、ただただ複雑さに締め付けられるだけだった。


妹を避けるようにあなたの家の前へと歩き、気が付けばキョロキョロと360度見回して、僅かな服の擦れにまで耳を集中させていた。


あなたに貰ったお揃いの鞄に、久し振りにあなたに渡すプレゼントを秘めて、鞄の滑らかさに指の皮膚を這わせながら、気を落ち着かせて、前に進んだ。


髪が短くなった自分の姿を、最後にもう一度カーブミラーで確認して、あなたの家の扉の前へと、ゆっくり歩を進めた。


あなたとの破局を報告したり、恋愛相談をしている時の、先輩の優しい姿が、あなたに突入する前の今も、目の奥にファッと浮かんでいた。


あなたに貰ったバラのハンドクリームは底をつき、何も付けずに無臭のままで、私本来の香りそのままで、あなたの前に立つことになった。


チャイムを鳴らしてから少し時間が経過し、扉が開くと、左腕に右手を添えながら、あなたの怯えた顔が現れ、その顔とその細すぎる腕が、逆にとても凛々しく映った。


「久し振りだね」


「は、はい」


「玲音、会いたかったよ」


「あ、はい」


「ごめんね。諦めがかなり悪くて」


「いいえ」


「友達からまた始めたり、出来ないかな?」


「あ、はい。よろしくお願いします」


「本当にいいの?」


「こちらが全部悪いので。色々と振り回してしまって、すみませんでした」


「私は大丈夫だから」


「はあ」


「玲音の前には、この先いい人が現れると思うよ。でも、私には玲音しかいないから。もう、玲音しかいないから」


「それはこちらの言葉です」


「えっ?」


「また付き合うとしたら、菜穂さん以外いませんから」


「本当に?嬉しい」


「あっ、髪の毛切りましたよね?」


「うん」


「すごく似合っています」


「ありがとう」


あなたと会話を交わしてからは、心臓はブンブンと勢いよく振り回されているような、激しさのある感覚に陥っていた。


あなたの精神のバランスはいいようで、私の下唇のニキビも、あなたが退院したと聞いてから、明らかに控えめになったような気がしている。


怯えは僅かに含んでいたが、謝りながらゆっくりハグをしてきたあなたに対して、私は肩から指先にかけての神経をしっかりと安定させて、ギュッと力を腕全体に入れ込んだ。


近くで見るあなたの背中辺りの陸地は、黒いTシャツで全体的に覆われていて、少しだけ小刻みに震えているように感じた。


あなたの襟足は少し伸びていて、ずっと悩みのなかにいたことを思い知らされる感覚があり、また髪の毛を切ってあげたい気持ちが心を横切った。


口を開け続けていたせいか、口内の皮膚の上下が吸い付く感覚や、カラカラに乾いたような味が、じんわりと口全体に広がっているような感覚があった。


このままずっと抱き付いていたい、ずっとこのままを続けていきたいという気持ちが、あなた特有の、馴染むような優しい香りによって、さらに煽られた。


僅かに落ち着きを取り戻し、萌那から貰ったデジカメを首から下げていたことに気付き、そのゴツゴツしたフォルムまでいとおしく思った。


このデジカメで、あなたの写真を撮りたいなと伝えると、あなたは、いま出来る最大限の微笑みを、私に対してナチュラルに、美しく溢してくれた。


美しい小さなツインテールで決めた髪の毛の皮膚は、敏感にあなたを受信して、あなたを強く感じていて、写真を撮るために近づいてきたあなたが触れた、私の服の生地ごと優しくなれた。


あなたは、すみませんというフレーズを連発させ、スマホにデータとして残るあなたの愛しい声と、生で聞いた今のあなたの繊細な声がしっかりと重なった。

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