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#110 校舎に溢れる憂鬱

やっぱりあなたのことを諦められず、教室の正面に存在する黒板の文字も、みんなの後頭部もほとんどが、ぼやけてしまっていた。


教卓の前の席の、心をくすぐる声を出すお調子者の麗愛さんは、少しずつ前の状態へと戻ってきていて、私の好きな歌姫と同じヘアゴムで綺麗に髪を束ねていた。


耳を時折塞ぎたくなるような、耳鳴りにも似た高い音が、生徒たちの話し声による雑音の手前辺りで、断続的に鳴っているように感じた。


ほどけないくらいの強い結び目のようなものが、今も心の至るところに幾つもあり、何に触れる指先の感覚にもムズムズがあり、それがスッと襲ってくるようだった。


教室の色彩は、まるでグレーの下敷きを前に翳して、その下敷き越しに見ているかのように、暗さがいつも以上に目についた。


あなたの母の体調を来る日も来る日も、ずっと気に掛け続けていたら、私とあなたが話しているときに、あなたの母がよくしていた優しい笑顔が、目の前に浮かんできた。


集中を奪うように、誰かの香水の匂いが風に乗って鼻に入ってきて、それがあなたの想像の姿を掻き消そうとしたが、すぐにしっかりとした、いつものあなたの姿を取り戻していった。


窓の方向に顔を向ければ、今はもういなくなってしまった左の席の男子が思い出され、あなたがその男子にされた困難と共に唇を噛むと、仄かに苦い味がした。


「玲音に会いたい」


「玲音に会いたい」


「早く玲音に会いたいよ」


「会いたいよ」


「会いたい」


「玲音に会いたい」


「玲音に会いたい」


「あの、どうしたんですか?菜穂さん」


「あっ、ごめんごめん」


「何かあったんですか?」


「まあ、色々あって。ブツブツ言ってごめんね」


「いいえ。大丈夫なんですか?」


「うん」


「話したくなったら、私に話してくださいね」


「うん、ありがとう」


恋人同士はよく似てくると言うが、あなたは私から段々と遠ざかっていき、私はそれを猛スピードで必死に、追いかけているような感じだ。


失恋の寒さを改善するために、部屋でずっと付けっぱなしにしていた、暖房の温風によって、今の身体には芯からの熱さがみなぎっていた。


かっこ悪くてもいいから、どんな目で見られても構わないから、あなたの家に押し掛けてしまおうと心に決め、胸に手を当てて強く息をした。


あなたから貰った悲しみのために、私が使ったティッシュペーパーも含めて、教室の隅にあるゴミ箱には、白い山が出来上がっていた。


右側の席でぐったりして居眠りをする、あなたと幼稚園が一緒だった山崎さんは、こちらを見て僅かなハニカミを見せてくれて、とても癒された。


じわっと、望みを含んだような甘さと、滑らかなや優しさが溢れてきて、忘れられずにいるあなたを含んだカタチではあるが、幸せの断片を見つけた気がした。


鼻の通りは良くなり、鼻に入る香りは七色になり、鼻腔に特に障害を感じることもなく、少しずつ前に進めそうな気がしてきた。


教室の色は、グレーの下敷き越しのようなものから、クリーム色の下敷き越しのようなものに代わり、明るさの断片が見えてきたように思えた。


前の席の田中さんは、あの後からだんまりを決め込み、可愛い声を一切発することなく、優しい猫背で黙々と机に向かっていた。


カラッとしていない皮膚には、汗がうっすらと付いてはいるが、一番じめじめとしているのは、まだ私の心なのかもしれない。


今すぐあなたに逢いたいと願っているのに、数学の先生が赤いスーツで、可愛い声を垂れ流したりと、なかなかあなたの声にチューニングが合わなかった。

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