第105話 家出は国境を越えて
家を出ると決めた私の行動は早い。
夜闇に紛れてとか、エドさんサジさんの留守を狙ってとかまだるっこい真似はしない。もちろん、正々堂々と玄関から出て行くなんてこともしない。
サラクでレーグルさん(その頃はサンダリだった)にわざと誘拐されよう作戦を提案したときに取得した空間魔法を使うのだ。私と目的地の間の空間を消滅させることで瞬間移動みたいなことが出来るアレだ。サラクの宿で練習したきり使っていないが、最初っから上手く出来たし今も出来るだろう。
部屋の窓を開けて、地面を見下ろす。2階だし、飛び降りても何とかなるかなぁ?いやいや、足でも挫いて家を出る心積もりがバレたら厄介だから、やっぱり空間魔法だろうな。
「ヨル、タマコ、おいでー」
『おでかけなのよー』
「にゃあ」
私はヨルとタマコを抱き上げる。ヨルが猫型タマコと同じくらいに大きくなったので結構重い。ヨルはどこまで大きくなるのかなぁ……。ブラックサラマンダーの成体ってどの位なんだろ。タマコのように変化できるならいいけど、大きくなりっぱなしだったら街中で暮らすのは難しいだろうなぁ。
【空間消滅】
2階で地面を見下ろしていた私は瞬時に見下ろしていた地に着いた。おお、やっぱすごいなー、これ。鍛錬してもっと長距離を飛べるようになったら便利。練習してみようかな?
正門から出たらグエンダル様とバッティングするかもしれないので、裏門から出よう。
『ホリィ、どこに行くのー?』
「どこに行こうねぇ」
これと言って当てはない。行くべきところが無いんだから、どこに行ってもOKだ。どうせなら、まだ行ったことのない所へ行こう。
国を出ると入出国管理局に履歴が載ってしまうよね。第三王子の権力がどれほどのものかは分からないが、国王陛下が私を探す可能性を考えて足跡を残すのは避けた方がいいか。国内より幾つか国境を越えた方が安全か。
幸い、機動力ではタマコが頼りになる。ドラゴン化したタマコに乗って一気に距離を稼ごうか。灯台下暗しを狙って、国内にしようか。うーん。
どこに行ってもOKとなると、選択肢が多すぎてこれも困るもんなんだなぁ。
とりあえず、国を超えてみるか。ぬらりひょん装備を付けた私とヨルとタマコとで、駅馬車乗り場ヘ向かい、一番早く出る馬車の券を買う。決められないのなら風任せでいこう。
私が乗った駅馬車は長距離ではなかったようで、翌日の昼には目的地についた。
昨日のうちは私が部屋に籠っていると考えていたとしても、さすがにもうエドさんもサジさんも部屋に入って置手紙を見たことだろう。彼らの衝撃を考えると罪悪感が湧く。
もっと言葉を尽くして気持ちを分かってもらう努力をすべきだったんじゃないか。決別するにしても、そうと知られぬように黙って家を出たのは酷い仕打ちだったのではないか。喧嘩別れになったとしても正面切って、家から去るべきだったのではないか。せめてリズ様には直接お別れを告げるべきだったのではないか。
私が暗い顔をするとヨルとタマコが慰めてくれるのがまた申し訳なく思えて、袋小路に入ってしまいがちな思考を遮断する。
だって、ねぇ?もう、出てきちゃったもんは仕方ないじゃんねぇ。後悔したって時間を巻き戻せるわけで無し、前を向いていこう。
私は彼らに依存し過ぎていた。第四界で他者との交流が出来なかった私は、オルダで生まれて初めてできた友達を拠り所にせずにはいられなかった。家族という言葉に酔っていた。帰る場所を得たことに有頂天になっていた。彼らと一緒にいれば何もかも大丈夫だと思い込んでいた。だから、分かってくれない事にあんなにも腹を立てていた。
それを自覚するきっかけになったと思う事にしよう。幸い懐はかなり温かい。仕事をせずの旅暮らしでも数年は平気だ。
さらに風任せで駅馬車を乗り継ぐこと10日。サンストーンとは反対側の隣国ブロワリアの都市ノラナへと到着した。ぬらりひょん装備を解かないまま、それでも虚偽を申告するわけにもいかず正直に入国のための書類に自分の情報を記入した。薬師という職業柄、勉強の為に各地を回っているとか珍しい素材を集めているとか旅の理由を付けられるのが有難い。
「今日はこの町で一泊して、明日にはまた出発しようねー」
「にゃあ」
「ん?どうしたの、タマコ?」
『馬車じゃなくて、タマコが乗せてくれるって言ってるのよー。ヨルも乗せたいのよー』
「おお、タマコ、ありがとう。でも、ヨルはちょっと無理かなぁ。私が乗ったら潰れちゃうでしょ?大きくなったら乗せてね」
猫サイズのトカゲに乗ったら虐待だと思う。
『早く大きくなりたいのよー』
「ヨルはどのくらい大きくなるの?」
『分からないのよー』
「そっか、分かんないか」
ヨルの言いように笑いが出る。大きくなるのはそこそこにしてほしいな。同じ部屋に入れないとか困るでしょ?
この調子でいくつか国境を越えれば、もし私を捜索していたとしても簡単には見つかるまい。アイオライト国と国交があり且つ友好的な国ばかりではないだろうから。
この時はそう考えていた。
昼食の為に町を散策しているときに目に入ったあの人たちを見るまでは。
◇◇◇
この人たちは、海の向こうのアマレロ国にいるんじゃなかったっけ?
なんでここにいるんだろう。
姿を変えていない彼らと、容姿が変わっていて更にぬらりひょん装備の私。隠密なんて使わなくても、こっそり様子を窺う事は可能。
でも、様子を窺ってどうする? 声を掛けるの?
同級生との邂逅が上手くいったからって、この人たちともそうなるとは限らない。
同級生にとって私は、同じ空間にいるけどいないようなものだったけど、彼らにとっては生活の中に入ってきた異物。いまさら関係の修復をしたいわけでなし、出来るとも思えない。彼らもそうだろう。
なのに、何で目を離せないんだろう。どうでもいいって言ったじゃん、私。そう思ってたじゃん。オルダに来て2年の間で彼らを懐かしがったことも無く、柳君たちに消息を聞いても会いたいとも思わずにいたじゃん。
オルダに来てからできた家族の元から飛び出してきた今だから、第四界で家族という括りの中にいた彼らに縋りたいんだろうか。――いや、それは無いな。そういう感情じゃない。じゃあ何だとなると、良く分からない。
グエンダル様に消耗させられた一か月間と、家出をしてからの十日間で大分メンタルが弱くなっている気がする。
どうしたいのかも分からないまま、私は彼らの後を付いて歩いていた。