「どうやら城を枕に、討ち死にも辞さない構えのようです」
徳川殿との戦も終わり、幸村の兄である真田信之が江戸城の新たな築城をし、そのまま城主を命じられた。
江戸城攻略は主な戦闘が城の内部だけで行われ、周囲の住民が城内に逃げ込まなかったこともあったりして、被害は参加した兵だけという限定的なものだった。
そのため築城前後から、比較的平穏な江戸の街となっていたのだが、それと並行して別な場所で問題が起こっていた。
「殿」
幸村が声を掛けてきた。
「なんだ」
「政宗殿なのですが」
「なに、見つかったとでも言うのか」
「そうでは御座いません」
「ではなんだ」
「政宗殿の家臣どもが、仙台の開城、引き渡しを拒んでいるとの知らせで御座います」
「なに」
「どうやら城を枕に、討ち死にも辞さない構えのようです」
「そうか」
仕方なく仙台城攻略の兵を進めることとなった。大阪以東の大名に参加を促す書簡を送り、直ちに出発した。
二か月後、仙台の城は約五〇〇〇〇の豊臣方の軍に包囲されることとなった。幸村の手の者による偵察では、城内はほぼ前の戦での残兵といった感じなのだが、政宗家臣達の家族が大勢入っているようだ、との知らせにおれは暗い気持ちになった。
何度も投降するようにとの使者を送ったが、追い返された。
政宗殿の遺児の命と御家安泰を言ってくる始末。
豊臣政権に反旗を翻し、負けた者が言える事ではない。おれは家老の切腹と引き換えに、城兵や他の家族たちの命は助けようと提案した。
それでも交渉は難航し、使者は何度も行き来した。政宗殿の遺児はどうなるのか、御家はと。
「御家の存続は諦めろ。それが当然だ。ただ遺児の命は助けよう。ただし、頭を丸め寺に入ってもらう」
ついに城側が折れ、家老が共の者数名を連れ、城門前に出て来る。
豊臣方の軍が見守る前で、家老は見事な切腹をした。
ただ、その後は見守る者たち皆の肝をつぶすような場面が展開した。共の者全員が自らの腹を掻っ捌いて果てたのだった。
「幸村」
「はっ」
「……この家老と家臣達の残していった家族に配慮をするようにな」
「分かりました」