「二人を呼べ」
光照から話を聞いたおれは、唸ってしまった。
「二人を呼べ」
「はっ」
光照はいったん引き下がり、幸村、行長と共に再びおれの前に進み出た。
「話はこの者から聞いた。だがもうそなたたち二人に秘密にしておく必要はないだろう」
おれは幸村と行長に、内容を話して聞かせることにした。
その内容とは、光照は生前の秀吉から、豊臣家が内蔵している黄金一〇〇万枚相当を、ひそかに埋蔵せよとの密命を受けていたというものだった。
「この者によると黄金は、大坂から北西に位置する銀銅山を隠し場所に選んだと。坑道の奥数十か所に分けて埋蔵して、即「閉山」を命じたそうだ」
おれが元服したら打ち明けるようにと言われていたようだが、あの徳川殿との戦の騒ぎでなかなか言い出す機会がなかったとの事だった。
豊臣の埋蔵金という話は時折話題になります。
豊臣家が莫大な黄金を蓄えていたことは確かで、家康がその財力を少しでも散財させようと、社寺の「修復」「改築」を勧めたことは有名です。
大坂の陣のときでさえ、黄金一〇〇万枚相当、もしくはそれ以上あった可能性があると言われているくらいです。
自らの死期が近い事を悟った秀吉は、まだ幼い息子のために、全国の鉱山から集めた莫大な黄金「四億五〇〇〇万両」を秘密裏に隠すよう、配下の幡野三郎光照という武将に命じたようです。
埋蔵されたものはインゴットだった可能性が強いと思われますが、大判なら現代では海外のオークションで「一枚一億円」の価値があるほどだとか。
家康は大阪の陣の後、焼け跡から黄金を探すよう命じ、約半月にわたる探索の結果、黄金二万八〇〇〇枚のほか、銀も多数発見され、すべて家康の元に送られたのだそうです。
重い埋蔵金は数十回に分けて掘り出し、少しずつ大阪城に運ぶことになった。行長と光照が担当し、幸村の手の者が護衛に付いた。軍が出動するなどといった、派手な警護ではかえって目に付くからな。
黄金は全て大阪城の地下深く、石作りの蔵に運び込まれ、頑丈な二重の扉で守られることになった。おれも一度だけその中に入ったが、金冷えするとはこの事かと思えるような感じだ。意外にもあまりいい気分ではない。早々に外に出てしまった。
ただこの豊臣家の財力が、とんでもない力になることだけは確かだ。
ここでふと、この金貨を現代に持ち帰ったらおれは大金持ちではないかと考えた。
だがどうやって運ぶ?
埋めておき、未来に行って掘り出すなんてことも、違う時代に行ってしまったらアウトだ。少しずつ運ぼうとしても同じで、そのたびに違う世界では何にもならない。
過去に戻る時はどうやら出発点に来れても、未来は無限に枝分かれしてしまうかもしれないのだから。
また運んだインゴットや大判をスムーズに現金化出来るのかという問題もある。
身分証明の出来ない怪しい人物が、大量の金をたびたび貴金属店に持ち込んだらどうなる。もうこれは事件だろう。