「全軍攻撃だ!」
鍋島軍と龍造寺軍が兵を引いた以上、後ろを気にする必要が無くなった。小早川軍には毛利軍が対峙しているのでこちらも良し、あとは南の敵を見るだけだ。黒田軍側とは佐賀城近くで相対する事になった。
おれは勝永が率いて来た豊臣軍と合流、イギリス軍と共におよそ二二〇〇〇の軍勢で到着し、布陣を完了させた。本陣に一〇〇〇〇、勝永、勝家にそれぞれ五〇〇〇づつ任せて、後はイギリス軍の二〇〇〇だ。
加藤軍と小西軍には、それぞれ左右に進軍するように前もって伝令を出してある。これで黒田軍側は背後にだけ逃げ道が出来たわけだ。敵軍勢は、どうやら一五〇〇〇近くはいそうだ。
戦闘は正午ごろ始まったが、双方直ちに攻撃に打って出ることはせず、銃撃戦に終始した。そして互いに弾の尽きるころ、勝家隊に正面の黒田軍に対し攻撃命令を出した。加藤軍は藤堂軍に、小西軍はポルトガル軍に、イギリス軍はスペイン軍に対して攻撃を開始した。
激しい戦闘が行われているのだが、やはり数の優位は明らかだった。さらにおれは勝永隊に勝家隊を支援せよと命令した。
敵はじりじりと押されていく。
「全軍攻撃だ!」
おれは大声を出せと命令、ときの声を上げさせると、残されていた一〇〇〇〇全軍を投入して攻撃を開始した。
これによりスペイン軍の士気が明らかに下がり、ポルトガル軍の士気も一気に下がった。劣勢であると判断したスペインとポルトガル軍が撤退を開始する。
勝家・勝永の軍勢は黒田軍本隊に殺到、多勢に無勢の状況を支えきれず黒田の軍勢は崩れ、もと来た長崎港に向けて退却して行く。奮闘していた藤堂軍も撤退を開始。これで流れは完全に豊臣軍側となった。
その日の内に藤堂高虎殿の討ち死にと、黒田忠之殿の自害が確認された。追い詰められたスペインとポルトガル軍は、降参して捕虜となり武装を解除された。
忠之殿が自害されたと知った城井谷城は、城を明け渡して降伏した。小早川軍は戦わずに撤退を始めたと連絡があった。
捕虜は加藤軍に預け、残りの全軍を南下させて薩摩軍の支援に向かうことにした。ここから二〇〇キロはあるだろうから、薩摩軍には、最低でもあと七日は持ってもらわねばならない。