「パイン、おれは正面から行く」
おれはパインに、この後に行われるであろうイギリスとスペイン・ポルトガル軍船とのバトルがどうなるのかと聞いた。
パインは、まず互いに風上を取ろうとして、場合によっては何日も操船に費やすような戦いが行われるだろうと言う。気の長い話しだ。
帆船では風上をとり維持出来れば戦闘の主導権を握った事になる。風下にいると風圧で傾き、時には船底を敵の砲の前にさらけ出してしまう。それに風上の船から流れてくる硝煙は視界を悪くするのだ。
ただし、強風が吹く場合にのみ、風上に不利が生じる。風下側に傾き低くなった砲門が波に洗われるので、浸水のリスクを避けるには低層甲板の開口部を閉じておかねばならないからである。風上から攻撃する艦は下層甲板に装備した重砲を使うことができないのに対し、風下の軍船は風上側の砲が船の傾斜で持ち上げられるのでそのような問題がない。
そんなことをパインから聞いたおれは、ふと今は台風シーズンではないかと気づいた。
「パイン」
「何ですか?」
「九州沖の海は今荒れるシーズンなんだ」
「…………」
「強風になる確率が高い。嵐が頻繁にやって来る季節だ」
「それは本当ですか?」
「嘘なんか言うもんか」
「だとしたら重要な情報ですね」
「いったん強く吹き始めた風は、止まずにどんどん強くなる」
「分かりました。すぐ船に知らせましょう。まだ出港してないはずです」
城井谷城の支城を含めて包囲網は整ったとの知らせを、宇喜多秀家、長宗我部盛親の軍それぞれから受け取った。毛利秀就の軍も小早川の軍と対峙しているようだ。
藤堂軍と合流した黒田軍とスペイン・ポルトガル軍は長崎港を離れ、佐賀城方面に向かい進軍中だとトキが知らせて来ており、総数は一〇〇〇〇から一五〇〇〇という事だった。長崎港から北東の佐賀城方面という事は、やはり城井谷城が気になるんだな。
薩摩の軍からは、鹿児島湾岸沿いの建物を占拠したスペイン軍との戦は膠着状態だと連絡があった。
パインは黒田利則との戦闘に関して、我が方は数に勝っているようだが、それこそ奇襲を掛ける良いチャンスではないかと言って来た。余裕のある側の軍が夜襲など掛けては来ないと考えるが普通だ。ならばその逆を突いて奇襲すれば成功する確率が高いという訳だ。
「パイン、おれは正面から行く」
「奇策や夜襲は掛けないという事ですか?」
「そうだ」
「…………」
「この戦の後、豊臣政権を確かなものにする為にも、絶対的な勝利を掴み世に知らしめる必要がある」
「小手先の手段には頼らないと」
「その通りだ」
「分かりました。正攻法で行きましょう」
だが、その前に鍋島軍と龍造寺側との問題を何とかする必要がある。おれは両家に使者を送り、取り合えず兵を引くようにと言った。それが出来なければ両軍とも豊臣の敵になると宣言した。これでやっと両軍は兵を引き上げた。