斬首した
筑前国に上陸した勝永の隊はおれから連絡を受け、すぐに肥前国に向け進軍を開始した。その際斥候隊を先に行かせていたのだが、小早川軍の小隊と思われる先陣と遭遇。どちらが先に発砲したか分からないまま、戦闘が始まってしまったという。
この段階ではまだ小早川秀秋は態度を決めかねていたのだが、偶発的とはいえ戦闘が始まってしまった事態を受け、遂に全面的な攻撃命令を出さざるをえなくなった。
勝永隊は降り始めた雨と霧に紛れながら、発見した小早川軍に接近すると、居合わせた小早川軍主力隊にのみ攻撃目標を絞り、一斉に突撃した。
小早川軍は勝永隊の突然の攻撃の為、応戦が遅れた。断続的に降り注ぐ雨もあり、状況が把握できないまま潰走を始めてしまう。これに周囲の諸隊も連鎖反応を起こしてしまった。
こうして小早川軍は一時的とはいえ、豊臣軍の前から撤退を始めることになったようだ。
勝永隊と同時に筑前国に上陸した秀就の軍は南下を開始。黒田忠之の軍を警戒していた。
豊後国に上陸した秀家と盛親の軍は、当初何の抵抗も受けないまま西に向かい進軍したのだが、途中藤堂高虎の軍と対峙することになる。
高虎の軍には秀家隊の先発二〇〇〇が殺到、高虎側も強固な防御態勢を敷いて応戦した。この戦いは激戦であったが、翌日になり秀家の本隊が到着すると、高虎軍が西に撤退することで終結したと連絡があった。
ところがその戦の最中、おかしな出来事が起こり、後になって問題となった。秀家の軍に少し遅れて進軍していた盛親軍の一部の隊が途中そっくり消え、その日の夕頃になってまた表れたと言うのだ。それを聞いたおれは事実を究明するように秀家と長曾我部殿に命じた。
そして出来事の一部が判明することになった。
なんとその隊は戦場をこっそり抜け出ると、乱取り(らんどり)に走ったようなのだ。女子供を捕らえ連れ去ったというのだ。厳しく追求されても、証拠も無くなかなか白状しないと連絡が来た。
「トキ」
「連れて行ってくれ」
「はい」
おれは豊後国近くに行くと、トキに協力をしてもらい付近を捜索した。戦闘の最中の事なら、女子供が拉致されてまだ日が経っていない。どこかに隠されているのではないかと考えた。
そしてやはりその考えは当たった。戦場から少し離れた沢に数十人の女と子供がまとめて拘束されているのを発見したのだ。
おれは解放した女達に犯人を確認させると、実行した雑兵どもを秀家や盛親の軍が見守る前で、全員を並べ片っ端から斬首した。