スペイン軍が上陸
誤字を教えて頂いた方、有難うございます。
助かりました。
おれは九州上陸を前に、全軍に対して一つだけ厳命した。戦場では人や物を捕るな。女子供を捕らえて売った者は、分かり次第その場で斬首すると。
そのかわり、命令を守った者は、この戦の報酬は倍にすると明言した。
スペイン船奇襲を優先したイギリス軍船が、鹿児島湾より平戸まで回航して来る。イギリス軍の上陸が始まったのだが、豊臣軍の上陸と重なってしまい、背後に山が迫っている狭い港はごった返していた。こんなところを鍋島軍に攻撃されたらまずいと思ったのだが、幸いその気配はなかった。
鍋島軍も内部では龍造寺側の動きを察知、けん制しなくてはならず、思うように動けないのではないか。
上陸したイギリス軍は約二〇〇〇、それに対して豊臣軍も二〇〇〇。勝永に出来るだけ早く肥前国方面に進軍するようにと連絡した。
筑前国と豊後国への上陸も、無事出来たとの報告がトキからあった。
豊後国には秀家の軍一五〇〇〇、盛親の軍八六〇〇が上陸したのだが、岡藩は全く抵抗しないでそれを容認した。
その後立花家では、九州に上陸した豊臣方の圧倒的な勢力を知るに及び、主戦派だった家臣達も黙ってしまい、中立を宣言するのが精一杯という有様になってしまったようだ。
最初に陸上で戦闘の火ぶたが切られたのは鹿児島湾岸だった。
夜明け前、大破した三隻の軍船からスペイン軍が上陸、攻撃してきたが、薩摩側は待ち構えていた精鋭軍の応戦でこれに対抗した。
激戦となったが、薩摩軍は建物等の陰から猛射を浴びせたため、スペイン軍側に多くの負傷者が出てしまい、指揮をしていた武官も狙撃される。
優勢な薩摩軍ではあったが、スペイン軍が回り込んで薩摩軍の横を脅かした事で劣勢となる場面もあった。これに対し薩摩軍も新手の兵を投入して攻勢を強め、横からのスペイン軍と交戦して退却させている。
しかしスペイン軍側は、総員が湾岸に沿って次々と上陸して来た為、薩摩軍は弾薬の補給が間に合わない事もあり一時撤退した。
それでもスペイン軍迎撃の初日は、薩摩軍側の予想外の働きで戦闘を終えたと連絡があった。