「今すぐイギリスの商館に行こう」
「幸村」
「はい」
「今度ばかりは五〇〇〇という訳にはいかないだろう」
「さようで御座いますな」
「やはり一〇〇〇〇か二〇〇〇〇は用意せねばなるまい」
「そのように準備致します」
「あと毛利殿、長曾我部殿にも兵を出してもらおう」
「秀家殿にも連絡致します」
「そうしてくれ」
ところがそこから先、さらに深刻な事態が待っていた。
「殿」
「トキ、どうした?」
「新たなスペインの艦隊が鹿児島湾にも現れました」
「なに!」
長崎港に五隻、さらには鹿児島湾に三隻と合計八隻の軍船が現れたというのだった。
「太郎兵衛は居るか?」
「はい」
「今すぐイギリスの商館に行こう」
「分かりました」
「トキ、頼むぞ」
「はい」
太郎兵衛はこれで二度目の転送になるのだが、商人ではあるが肝の据わった男だ。もうなんの動揺も示さなかった。
イギリスの商館(ロンドン東インド会社平戸)では、スペインの軍船が鹿児島湾にまで来ている事は既に知っていた。
ここで単刀直入に言ってみた。
「イギリスの軍船でスペインやポルトガルを牽制してもらえないか?」
それに対して、彼らの要求はごく当たり前のものだった。日本と通商の独占を保障して欲しいと言って来た。
おれはその要求は飲もう、ただし、キリスト教の普及や、奴隷売買は禁止する。さらに軍の常駐もしない事とする。そして日本を植民地化するような動きは一切させないとした。世界はいずれグローバルになるのだが、一七世紀の今はイギリスと手を組む。
イギリス側はその条件を受け入れたが、シャムに停泊していた軍船四隻は既に出港して、日本に向かっているとの返事には驚かされた。
ことごとくスペインと対抗しているイギリスは、今回の事態をすでに把握していた。日本との共闘を視野に、おれと交渉出来ないか、機会をうかがっていたとの事だった。
「トキ」
「はい」
「今度は島津殿の所に頼む」
「分かりました」
おれは幸村と、新しく薩摩藩主となった島津忠恒殿の所に行った。
「殿、いつの間に!」
「詳しくは話せないのですが……」
その辺はぼかすと、本題に入った。
「スペインの船からは、何か言ってきましたでしょうか?」
「それが今のところ何も言っては来ません」
やがてイギリスの艦隊がやって来るという情報を話して聞かせたが、鹿児島の湾に来るとは聞いていない。そこでイギリス軍船が長崎に向かうようなら、和船で鹿児島湾を封鎖してもらえないかと尋ねた。
忠恒殿は難しい顔をして黙ってしまった。
藩内の誰もがスペインの軍船を見るのは初めてでもあり、脅威に感じているのは明らかだ。それを封鎖して閉じ込めろとは、敵を挑発しろと言っているようなものだ。
「だが安心して頂いていいです。敵の動きを封じ込める手段はありますから」
「どのような手段なのでしょうか?」
「それはおいおい分かるでしょう」
「…………」
とにかく、封鎖をするだけで、攻撃などする必要はないからと、説得した。
次は平戸に留まらせた太郎兵衛より、イギリスの軍船が沖合に来ているとの情報がもたらされた。ボートで上陸して来た幹部との短い軍議がなされた。
長崎の港は狭い入り江の奥にある。入っても思うようには動けず、封鎖をしても膠着状態になるだけではないかとの意見が多かった。結局イギリスの軍船四隻は、鹿児島港に居るポルトガル船を奇襲すると決定した。
薩摩藩は和船を用意しただけで、湾を封鎖することはなかった。
北九州諸藩の動きにその後変化は無く、進軍もしていなかったが、豊臣側の軍は約六〇〇〇〇となり、九州に近づいていた。