「毛利勝家という者を召し抱えられないか」
豊臣商事の業績は、ガールズコレクションの成功もあって順調に伸びていたんだが、幌馬車運輸の方が、どうも思うほどいってない。
原因は大井川に橋が無い事だ。そこが物流の妨げになっているのは明らかだった。なにしろ日本が分断されてしまっているのだからな。
なんとしても橋を渡さなくては。渇水期なら歩いて渡れる川なのだから、一部堤で流れを変えて土台を造ることは可能だろう。
下流の川幅は約一キロで、仮に十分の一づつ作業を進めたとすれば一〇〇メートルだ。十分土台を完成させることは出来る。
大井川の橋が出来れば、他の川も渡せるだろう。
こんな時にこそ、大阪城の地下に眠る黄金の出番だ。おれは全国の諸大名にも声を掛け、大井川架橋工事に着手した。ただし片側からだけとした。現代のように両側から工事をしたら、真ん中で合わないという悲劇になる可能性が十分あるからな。
一方この年、一六一八年、ロンドン東インド会社が日本の肥前国平戸に商館をおき、通商を始めたと太郎兵衛より連絡が入る。
おれは日本もアジアに進出するべきではないかと考え、人材を探していた。
そんな折ふと、遠州で共に戦い、すさまじい活躍をした毛利勝永の子、毛利勝家が南蛮貿易に興味を持っているという話を小耳にはさんだ。
史実でも毛利勝家は大阪の陣で奮戦し、父勝永が惜しきものよと口走るほどであったという逸材のようだ。
「幸村」
「はい」
「毛利勝家という者を召し抱えられないか」
「毛利勝家ですか?」
「そうだ」
まだ十代の若者なのだから、その気があるのなら、アジアに活躍の場を提供出来ないかと考えたのだ。
勝永からはすぐ返事があり、そのような事でしたら、息子の勝家をよろしくお願いしたいとのことだった。
「勝家」
「はい」
「そなた、長崎に行ってはくれないか」
「長崎で御座いますか?」
「太郎兵衛という者の元で、働いてもらいたいのだが、どうだ?」
「分かりました」
「ただし、刀は預からせてもらうぞ」
「…………」
太郎兵衛の元で修行をさせようと思ったのだが、それは侍を一時でも捨てる覚悟がいる。その事を言って聞かせると、さすがに見込んだだけの事はあった。
即座に刀をおれの前に差し出し、仰せに従いますと申し出て、長崎に向かい出立したのだった。
トキが連れて行きましょうかと言ってきたが、歩いて行かせることにした。勝家はこれから商人になるんだ。大阪から長崎までの道のりは、情報の宝庫ではないか。