「いまだ、掛かれ!」
一番隊は片膝をついた者と、すぐ後ろに立った者が二列に並んで射撃。撃ち終わるとその場で弾の装填を始める。すると後ろに控えていた二番隊が、一番隊のすぐ前に出て同じように射撃。次は三番隊と、わずかづつ前進して行く。
「二番隊撃ち方用意、撃て!」
再び一千発の銃弾が敵に浴びせられる。どちらの側も一人二人と倒れる者が居る。敵はマスケットに次の弾を装填し始めているのだが、ほとんどの敵兵はまだ装填を終わってない。
「三番隊用意、撃て!」
さらに一千発だ。
敵はやっと装填を終わり、撃ち返してくる。
だが、日本の鉄砲隊の銃撃は終わらない。
「一番隊、撃て!」
白煙が周囲を厚く覆い、敵の兵士に動揺が見られ始めた。
日本勢からの銃弾の雨が一向に止まない中で、必死に弾を装填している。
「二番隊、撃て!」
敵兵の中には、ついに地面に伏してしまう者が現れた。だが先込めのマスケットに弾を装填するには、鉄砲を立てた状態でやらなければならない。地面に伏した状態では非常に困難なのだ。
敵は次第に反撃出来なくなってしまった。なのに日本の鉄砲隊は徐々に前進しているので、次第に的中率が上がってくる。銃弾による被害はまだそれほどでもないが、このままではまずいと気づいただろう指揮官が撤退を指示した。
「いまだ、掛かれ!」
おれは全軍に突撃を命令した。
左右の丘からも待機していた兵士が駆け下りて来る。遂にスペインとポルトガルの連合軍将兵は、クモの子を散らすように逃げ始めた。
後は追撃される側からの銃撃は全く無かった。逃げながらマスケットを操作する事など不可能だからだ。
この追撃で敵の兵、約半数は後ろからなで斬りにされ、鎧を身に着けている者は首を狙われた。
スペインとポルトガルの軍船は長崎港を離れ、帰って行った。
翌年、日本との交渉再開を求める使者を乗せ、ポルトガル軍艦2隻が再び長崎に来港したが、臨戦体制を敷いた日本勢は使者の受け入れを拒否した。
その後、ポルトガルと日本との関係は、次第に離れていくことになる。
長崎で被害を受けた住民には、十分な補償をする事となった。町は豊臣の資金援助で再建され、すぐに復興した。
「太郎兵衛」
「はい」
「イギリスとの商談は進んでいるのか?」
「はい、あちらも一度殿には、お目にかかりたいと申しております」
「そうか」
イギリス人商人との面談で、船、とりわけ軍船の技術者を紹介してほしいと、おれは持ち掛けた。
かの国の進んだ造船技術を、ぜひ日本に取り入れたいのだ。商人は喜んで協力すると約束をしてくれた。
その後、イギリスの商人から、様々な情報が得られた。
長崎でスペインとポルトガル軍が、日本の組織だった軍勢から手痛い敗北を期したと話が伝わり、ヨーロッパは日本を植民地化出来ないだろうと考え始めているとのことだった。
日本の豊臣秀矩という為政者には、宣教師が侵攻の先兵だとの認識もあるようだと。
スペインはたった百数十人の兵隊と十数丁の鉄砲で八万もの兵隊を有するインカ帝国を滅ぼしたようです。その後やって来た日本では状況が全く違っていた。
二丁の火縄銃をポルトガルの商人から買うと、すぐに模倣が始まり、やがて量産体制に入っていった。このような日本の状況を欧米人は全く理解していなかった。自分達が理解出来ることしか見なかったと言っていいだろう。長崎の戦闘で痛い目を見るまでは。