「船長を拘束しろ」
おれと幸村、清正殿ほか数名が船に乗り込み、船長と話をする。通訳はトキがいるから何の問題も無い。トキはどのような言語も、聞けば即座に解読する能力を有している。
船長は、日本人達は金を払って買ったのだから、とやかく言われる筋合いはないと抗弁した。
おれは日本での人身売買は既に禁止されている。直ちに日本人達を開放しないのなら、お前を逮捕し、連行することになると脅した。
それでも船長はトキにやたらがなり立てている。
だがおれは船長よりも、隣に居た幸村の方が心配だった。今にも刀を抜きそうな気配ではないか。
こうなったら問答無用だ。
「兵を船内に入れろ」
「はっ」
「船長を拘束しろ」
「やれ!」
もちろん船長にとっては、多勢に無勢だ。かなうわけがない。縄を掛けられ船外に連れ出された。
後で幸村に聞くと、鯉口を切って身構えていたとの事、危なかった。刀にはある種の「セーフティ」のようなものがかかっていて、これを解除しなくては抜刀することが出来ないわけなのだ。
「あの距離なら、一刀のもとに切り伏せる自信が御座いました。ただ狭い場所でしたので、船長の首を狙い刺し貫くつもりでした」
「…………!」
船底に閉じ込められていた日本人達は解放された。
しかし、スペインは当時ヨーロッパ随一の陸軍国で、同時に海軍国にもなっており、ポルトガルもそれに次いでいる。
布教と言えば聞こえがいいが、植民地工作の先兵という色合いがあった。大航海時代などというのは、実態を隠した都合のいい命名かもしれない。
言い方を替えれば、スペイン、ポルトガルによる植民地開拓時代の幕開けでもあり、キリスト教布教と一体化した世界征服事業をアジアに展開して勢力を広げていたのだ。
ところが日本では、その出鼻をくじかれた格好となった今回の事件は影響が大きかった。
ポルトガルにとってみれば、未開の国であるはずの東洋の小さな島国が、船長を拘束して積み荷を奪ったのだ。
この後ついにスペインとポルトガルの利害が一致した為、連合軍となり長崎にやって来るという事態にまで発展してしまった。