「トキを呼んでくれ」
秀吉は南蛮貿易を奨励していたので、オランダやポルトガルの商船が長崎に来ていた。だが、やはりというか、問題が起きる。
当初の来航目的は、食料や必需品の補給の役割が大き かったのだが、最初に布教や交易を広め、その後、軍事侵略をするのが主なパターンだったからだ。
キリスト教のもたらす問題と貿易利益の間で、南蛮人の取り扱いは難しいかじ取りを迫られる。
しかし、キリスト教もさることながら、奴隷売買の問題は何としても先に解決しなければならない事態だった。
「幸村」
「はい」
「トキを呼んでくれ」
幸村にもそれとなくトキの事は話してある。
「殿、なんでしょう」
「トキ、ちょっと頼みたい事があるんだが」
「…………」
「長崎に太郎兵衛が行っている。彼と連絡を取る役目を引き受けてはくれないだろうか」
「いいわよ」
「そうか、ありがとう」
何しろ大阪と長崎間だから、相互の連絡には往復でとんでもない日数が掛かる時代だ。それをトキがやってくれるのなら有難い。
そのトキの持ち帰った話から、太郎兵衛は長崎で商館を手に入れ、南蛮商人らと交易を始めることが出来たと早くも知った。
こんな情報があっという間に届くのだ。
商人らの船は、夏になると来港し、同じ年の年末まで滞在してという例が多いようだ。当然ながらその期間は、商品の需要も増えるので、地域の経済も潤っているという。イギリスの船にも来航が許されていた為、それらとの交易も行なっているとの事だった。
太郎兵衛は、どうせなら南蛮の商品を大阪に運んだらどうかと言って来た。
もちろん反対する理由などない。それなら豊臣商事の出番だと言っておいた。それは太郎兵衛に任せることにする。
その年の暮れ、奴隷を乗せた船が長崎の港を出るらしいという情報が、ついに太郎兵衛からもたらされた。これは動かねばならないな。
「幸村、行くぞ」
「はい」
おれは幸村と共に、熊本城に居る加藤清正殿の元に行くと決めた。熊本城から長崎港まで陸路では約二〇〇キロだから、兵士が急げば六日か七日くらいで着けるだろう。
西南戦争で薩摩軍が鹿児島を発したのが二月一五日で、熊本城を包囲したのが二一日。約一八〇キロを六日で歩いているようですから、一日三〇キロです。
「トキ、連れて行ってはくれないか」
「はい」
清正殿は突然現れたおれにびっくりしたようだが、訪問の理由を聞き、是非もなしと協力してくれる事になった。
即刻五〇〇もの兵を出してくれたのだが、清正殿自ら陣頭指揮を執って頂けるという。
おれは一足先に幸村と港に行き、深夜、出港を遅らせる為ちょとした妨害工作を企てた。
「トキ、あの帆の下にまで行けるか?」
「もちろんよ」
「よし、幸村、落とすなよ」
「大丈夫です」
幸村が油を染みさせた布をマストの隙間に挟むと、おれが用意してあったライターで火を付けた。トキの協力を得て、闇にまぎれて帆に火をつけてやったのだ。
だが火は意外に早く、見つけた水夫達によって消し止められたが、それでも修理に手間取るだろう。
そして到着した清正殿が直ちに港を急襲した。ポルトガル船はまだ出港の準備をしているところだった。