「太郎兵衛、そなた長崎に行ってはくれないか?」
幌馬車運輸も豊臣商事も少しづつ動き出し、これで良しと思っていた頃、
「殿」
幸村が難しい顔で現れた。
「なんだ幸村、また面倒事でも起きたのか?」
「面倒事と言うか、これはかなり深刻な事態で御座います」
「なに」
大阪でというよりも、日本全国の村々で人さらいが横行しているとの事であった。
戦国の世であれば、雑兵が戦利品として女や子供を略奪するのは、当たり前になっていた。戦場となった村々で、逃げ遅れて捕らえられた者を、牛馬のごとく運んで売った。女、子供は二束三文で売られる。
大きな問題だったのは、一部の宣教師たちが奴隷商人と結託して、日本人奴隷の売買に関与していたということである。
秀吉はキリスト教が人身売買にかかわることを危惧していたようだ。日本人が奴隷としてポルトガル商人により売買され、家畜のように扱われていることに激怒した。奴隷たちは、まったく人間扱いされていなかったからである。
当初、アフリカがヨーロッパに近かったため、かなり遠い国の日本人は奴隷になるという被害を免れていた。しかし、海外との交易が盛んになり、その魔の手は着々と伸びていたのである。
日本でイエズス会が布教を始めて以後、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買が問題となっていた。日本人奴隷のほとんどが、アジア諸国のポルトガル植民地で使役させられていたのだ。
植民地では手足となる、労働に従事する奴隷が必要であり、それを新たに進出した先の日本からも調達していたのである。理由は、安価だからであった。捕らわれた日本人は男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて芋虫のごとく船底に追い入れられていると言う。
「ポルトガル船は長崎から出るのだな?」
「さように聞き及んでおります」
「太郎兵衛は居るか」
「はい、こちらに」
「そなたに働いてもらわねばならないようだ」
「…………」
宣教師どもは、奴隷売買の原因を日本人にあるとしており、自分たちは悪くない、あくまで売る者が悪いと主張している。
詭弁だ。日本を奴隷の産出国などにしては断じてならない。太郎兵衛もこの件に関しては憤慨している。
「太郎兵衛、そなた長崎に行ってはくれないか?」
「行って何をすればよろしいのでしょうか?」
「商いを始めてくれ」
長崎に奴隷商人達の様子を探る、前線基地を設けようというのだ。
「資金はいくらでも使え。オランダやポルトガル商人達と交易をするんだ」
「分かりました」
太郎兵衛は近江屋を番頭に任せ、すぐ長崎に向け出立した。
「幸村」
「はっ」
「日本での人身売買は禁止とする旨、全国に伝えろ。売った者、買った者双方をきつく罰するとな」
「分かりました」