「そなたもいずれ分かる」
紀伊国屋文左衛門のミカン船伝説というのがありますね。
紀州で大豊作だったミカンを運ぼうとしたが、その年の江戸への航路は嵐に閉ざされていた。運べなくなり余ったミカンは上方商人に買い叩かれ、価格は暴落。
当時江戸ではある祭りで、屋根からミカンをばら撒いて振舞う風習があったが、紀州から船が来ない事でミカンの価格は高騰している。
紀州では安く、江戸では高い。これに目をつけた文左衛門はミカンを買い集め、荒くれの船乗り達を説得し命懸けで嵐の海に船出。
大波を越え、風雨に耐えて何度も死ぬ思いをしながら、ついに江戸へ。
ミカンは高く売れて、なおかつ江戸の人達の為に頑張ったと、人気者になったというものです。
また大坂で洪水が起きて伝染病が流行っていると知った文左衛門は、江戸にある塩鮭を買えるだけ買って、先に上方で「流行り病には塩鮭が一番」と噂を流してから戻った。
噂を信じた上方の人々は我先にと塩鮭を買い求め、文左衛門が運んできた塩鮭は飛ぶように売れた。なんてのまであります。
紀州と江戸を往復し大金を手にした文左衛門は、豪商へと昇りつめ、富と名声を掴んだ。
和歌山県から東京まで和船で航海は相当リスクのあることだったんでしょう。無事に着けば大儲けかもしれないが、無理して船出をすれば難破する可能性も相当ある。
いずれにせよ流通をうまく使った文左衛門の勝利という事です。
これが陸路だったら嵐もあまり関係なく、予定通り荷物が届くだろうから、船便より確実に注文が入るはず。注文が多くなれば幌馬車を増やして、隊列を組んでも良い。
多分この時代は、船が着いてからも、大八車に載せ替え人が引っ張って荷物を運んでたんでしょう。
「行長」
「はっ」
「積み荷の盗難破損等あった場合の保証は、豊臣家が責任を持ってする。安心して任せて欲しいと宣伝するのだ」
「分かりました」
開業初期は宣伝が第一だ。
「佐助」
「はい」
「トキ達腰元を誘って幌馬車に乗れ」
「はっ?」
「移動する幌馬車から、もちとミカンを沿道の人たちに配るんだ」
「…………」
「もちもミカンも大量に用意せよ」
佐助と幸村がおれの顔を見ている。
「ひょっとして、それも宣伝というものですか?」
「その通りだ」
佐助に答えた後、
「幸村」
「はっ」
「この宣伝が評判になって注文が来るまで、毎日行うぞ」
「分かりました」
ただ幌馬車は旗をなびかせ走っているのだが、音楽が無く、佐助たちの声だけとういのがちょっと寂しい。
まさか未来からラジカセを持ってくる訳にはいかないからな。
「そうだ!」
「殿どうされました?」
幸村がおれを見た。
「歌劇団の女子たちがいるではないか」
おれはお国に言って歌劇団の女子全員を連れてこさせ、幌馬車と一緒に歩かせて、もちやミカンを沿道の人々に配らせることにした。
もちろん同時に踊りも披露する。歌劇団の宣伝もかねて、一石二鳥ではないか。
結果は大盛況。
沿道は鈴なりの人人人。
幌馬車はほとんど前に進めない状況となってしまう有様だった。
これには後日談がある。
歌劇団のとんでもない人気ぶりにヒントを得たおれは、新たな企画を考えた。
彼女たちの路上パフォーマンスを兼ねた桜祭りだ。もちろん業者の出店も自由にさせる。
その催しは評判となり、全国に広まっていく。また歌劇団に公演依頼が殺到したため、姉妹組織も出来ることになった。
太郎兵衛が思わず声を出した。
「殿にはかないませんな、一体どこからこのような考えを――」
「そなたもいずれ分かる」
幸村が含みのある発言をした。