「なに、買い占めだと」
「殿」
「なんだ」
それは暑い日だった。幸村が少し難しい顔で、おれの前に進み出た。
「実は庶民の間で、困った事が起きておるようで御座います」
「困った事だと」
「はっ」
「なんだその困った事とは?」
「それが……」
米の値段が高騰して、皆が困っているとの事であった。
「今年は確か、豊作になりそうだと聞いておるが」
「その通りで御座います」
「豊作ならば値段は下がるのが普通ではないか」
「ところが、どうも、買い占めを図っておる者が居るようなので御座います」
「なに、買い占めだと」
「さようで御座います」
ここ数年米の不作が続いていたが、今年は嬉しいことに豊作だろう、と噂が流れていたのは確かだ。
だからこの買い占めは市場の話題を呼んでいるとのことだった。米がこれから余るかもしれない時に、これほど買うのはいったい誰か、なんの為かと。
「幸村」
「はい」
「誰が買い占めているのか調べてこい」
「すでに調べさせております」
「そうか、分かったらすぐに知らせてくれ」
「かしこまりました」
やがてその買い占めの主が分かった。
大阪屈指の豪商で大矢太郎兵衛という、穀物問屋の老舗「近江屋」を営む者だった。
雑穀商で丁稚奉公し、手代から番頭に昇進したのち独立して、大阪でも指折りの豪商となった男だ。
信条は、見込みを立てた以上、必ず儲けるのだと。
太っ腹で目先が利いて、物に動じない度胸と判断力で、鮮かな手腕を発揮するとも言われている男だった。
そんな男が何故この時期に米を買い占めているのか。本来ならば豊作を控えて値段は下がってくるはずなのだが、買い占めの影響で逆に上がっている。
それで庶民が困り切っているとの事であった。
太郎兵衛は何を考えているのか、下手をしたらだぶついてくるのが目に見えている米をだ。
もちろん上がって来た米価をいいことに、売り方はどんどん売るので、市場の米は在庫が減りますます価格が高騰しているという。
売り方はもうしばらくすれば新米が入って来るので、在庫など気にする必要はないと考えているのだった。