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銀さん帰還せず

作者:安江俊明
 かつて日本人町が栄えたタイ王国・アユタヤに、大阪出身の未帰還元日本兵が暮らしていた。利田銀三郎さんという。わたしは親しみを込めて「銀さん」と呼んでいた。 
 銀さんは敗戦直後、仲間と捕虜収容所から「脱走」した。
 彼は命を助けられた寺で学んだ漢方薬を使い、母なる川、チャオ・プラヤ沿いにあるスラムで貧しい人々の医療に従事し、細々と暮していた。
 戦争に無理やり駆り出したにも拘わらず、行方不明になった元日本兵を捜そうともしなかった日本政府。そして、戦後幾星霜が過ぎ去った。
 一九八六年(昭和六十一年)になり、タイに生存していることがわかった銀さんを、戦友らが一時帰国させようと、関係者に働きかける。銀さんは娘で看護師のマリワンとともに、四十三年ぶりに祖国ニッポンの地を踏む。
 兄である銀さんを捜し続けた弟の大作さんは既に亡くなり、姉のとし子さんは寝たきりの病院暮らし。銀さんは大作さんの妻、敬子さんと息子、朋靖さんの自宅に身を寄せて、日本での短い日々を送る。二人は再びタイに戻って行った。
 それからさらに二十六年の星霜が過ぎ去り、わたしは以前から気になっていた銀さん親娘のその後を知りたいと思い立ち、取材を始めた。
 ところが、歳月が立ちはだかっていた。関係者の多くは他界し、取材ノートの電話番号も古くなり、連絡がとれない。
 ようやく大作さんの三女、文子さんとコンタクトが取れたが、一時帰国した時、銀さん親娘を一番身近で世話していた朋靖さんは既に亡くなっていたことがわかる。
 その頃、タイ・バンコクにある日本人会から返信が届き、銀さんも亡くなっていたことがわかった。娘のマリワンを何とか捜し出そうとしていたところ、文子さんの夫、秀信さんがタイ出張の際、彼女と再会を果たした。彼女はわたしのことをよく覚えていることがわかった。
 わたしはマリワンから銀さんの一時帰国以降、亡くなるまでの人生を取材するため、再びバンコクの地を踏んだ。
 取材後、姉妹にお願いして、バンコクにあるマリワンの姉の家に安置されている銀さん夫婦の遺骨を拝ませてもらった。
 時の日本政府が「集団自衛権」を根拠に自衛隊の海外派兵の道を開き、再び戦争の道を突き進むのではないかと懸念される中で、自衛隊員が戦地から遺体で帰国したり、行方不明になることのないように願い、銀さんの軌跡を辿ってみた。(重複投稿)

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