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10/11

彼女の勇気

前話についてのお詫びです。


11/21(水)6:00に予約投稿していたのを忘れていて、手直しが間に合いませんでした。その後9:30頃に、修正したものを投稿しております。


修正前のものをチェックされた方、誠に申し訳ありません<(_ _)>

大筋は変わりませんが、かなり手を入れているので、気になる方は前話を確認していただけると有難いです。

 次の一週間も、眼鏡をかけた強面男が引き続き(みつる)ちゃんの送り迎えを行っていた。


 彼からの返信は、いまだ無い。電話も無い。

 携帯は解約していないようで、メールが届かない訳では無いのに、何故かあちらからの連絡は全く無かった。


……もしかして、悠馬さんは携帯を取り上げられているのではないだろうか?


 そんな考えが、浮かんだ。

 あの涼しい顔をした妻が、悠馬さんの自由を制限しているのではないか? そのために、私に接触するあらゆる機会を奪っているのではないだろうか……。そんな恐ろしい考えが浮かんで来て、たちまち不安になった。

 だから幼稚園の玄関で。勇気を振り絞って、靴を履く満ちゃんを屈みこんで見守っている強面の男に、声を掛けたのだ。


「……あの」


 しかし男は、振り返らない。

 震える私の小さな声が、彼に届かなかったのかもしれない。


「あの、満ちゃんのお迎えの方ですよね」


 今度は、もう少し大きい声で呼んでみる。それでも、彼は振り返らない。無視されたという可能性もあったが、それは考えないようにした。ここで引き下がっては、繋がる糸も繋がらない。積極的に行動するのは苦手な筈だった。けれども悠馬さんへの思いが、私を突き動かす。


 私に気付いた満ちゃんが、自分の方を向いている男の腕をポンポンと軽く叩き、こちらを指さした。そこで漸く、彼はゆっくりと振り返る。


 満ちゃんへ屈みこんでいた背をすくっと伸ばされる。大層、背が高い。上から見下ろすような彼の視線は、とても冷たいものだった。無表情だから、余計にそう見えるかもしれない。しかし、私の恐怖心を喚起するのに十分な威圧感を、彼の視線は放っていた。それが背筋を震わし、一瞬言葉を失う。


「何か用ですか」


 声は地を這うように低い。

 まるで硬質な強化ガラスを間に挟んで話しているような、そんな印象を受けた。


「あの、満ちゃんのお父さんは大丈夫ですか? 最近お迎えに来られないので……」

「……」

「あの……」


 返事が無いことに焦れて、私は再び言葉を継ごうとした。

 するとそれを遮るように、彼が口を開いた。




「あなたには、関係の無い事です」




 男はそう投げ付けるように言葉を吐き出すと、すぐさま私に背中を向ける。「満、行くぞ」と声を掛けると、満ちゃんはパァッと笑顔になって両手を広げた。男は軽々と彼女を抱き上げると、振り返ることなく玄関を出て行った。


「航太郎! ばいばーい!」


 大きな背中越しに、手を振る満ちゃんに航太郎が手を振り返す。


「満ちゃん、ばいばーい!」


 私はと言うと、手を振る事も出来ずボンヤリとその大きく硬い背中が遠ざかるのを、見守っていた。心の中では、嵐が吹き始める。


 やはり、何かあったのだ。

 彼の身に、重大な問題が。

 皆よってたかって、私と彼を引き剥がそうとしている。だから―――彼は私の問いかけに応える事が出来ないのだ……!


 こうなれば、最終手段だ。

 彼の無事を確認するため―――彼の家を訪ねよう。


 そうして私は勇気を奮い起こし、これまで訪ねることを我慢していた場所へと向かったのだった。







 驚くことに、彼の家から出てきたのは、あの強面の男だった。彼の足元に纏わりつくのは、満ちゃん。てっきり、悠馬さんに会えると思っていた私は動揺で言葉を失った。


「あ! 航太郎と航太郎ママ! どうしたの?」

「満ちゃん!」


 私の手をパッと離して、航太郎は満ちゃんに駆け寄った。二人で手を合わせて、笑い合う。久しぶりに満ちゃんの家を訪れることが出来たことが、本当に嬉しいのだろう。息子はこの家に来るのが、大好きだったから。


「何の御用ですか」


 変わらない温度の低い問いは、まるで詰問だ。明らかに不機嫌を隠さない眼鏡越しの男の視線は、鋭い。体格の良い大きな男にこのように圧力を掛けられれば誰だって委縮してしまうだろう。つい視線を逸らして、俯いてしまう。動揺と恐怖で足が震えそうになったが―――それでも、私は自分を励まして声を発した。


「あの、満ちゃんのお父さんはお元気ですか? 幼稚園にもいらっしゃらないし、連絡しても返事が無いので心配で……」

「……重ねて言いますが、あなたには関係の無い事です」


 カッとなった途端、恐怖心が拭き取んだ。


「関係あります! 私達は……!」


 顔を上げて、相手を睨みつけようとした。

 しかし、返り討ちのように底冷えのする冷たい双眸に射抜かれて、言葉を失う。


「『私達は』……何ですか?」

「……」


 喉が張り付くようになって、声が出せない。

 でも必死だった。せめて彼が無事かどうかだけでも知りたい。なのに大きな男から放たれる威圧感に、私は口を開けたり閉じたりするだけで、音を発することが出来ずにいた。


 すると男はチッと舌打ちをし、溜息をついて玄関の壁に片手をついた。


「もう、この家には来ないで下さい。これ以上関わるつもりなら、しかるべきところに相談いたします。―――それに、あなたがお探しの人物は、もうここにはおりません」


 表面的には、とても丁寧な言葉使いだ。しかしその視線と声音には、明らかな侮蔑が含まれている。

 放たれる圧力に耐え切れず、私は再び目を逸らした。


 私はただ、悠馬さんの無事を確認したかっただけ。なのに何故、会ったばかりの人間に、理不尽にも蔑まれなければならないのだろう?


 強い怒りが湧き上がる。それはきっと、あの傲慢な妻の所為に違いない、と。

 彼女は自分の行いを棚に上げて、一方的に悠馬さんと私を貶めるようなことを、第三者であるこの男にまで吹き込んだのだ。だから私は、このような理不尽な扱いを受けなければならないのだ。その上彼女は、私と決して連絡を取れないように悠馬さんを何処かに隠してしまっている。

 卑怯で悪辣なその手口に―――血の気が引くような、感覚を覚えた。


 気が付くと足元にいた筈の航太郎は、既に満ちゃんに手を引かれ、勝手に家の中に入ってしまっている。


「……航太郎!」


 私は部屋の奥に向かい、怒気を込めて航太郎の名を呼んだ。


 一刻も早く、ここを立ち去りたい。彼がいないのであれば、こんなところにいる意味は無い。そんな私の挙動を咎めるように、目の前の男は眉を顰めた。

 でも、そんな事どうでも良かった。渦巻く怒りを込めて、再び息子の名を呼ぶ。


「航太郎! 帰るわよ!」


 返事は無い。きっともう、遊びに夢中なのだろう。


 あの息子は、夫にそっくりなうえに全く役に立たない。その時の私は、上手く行かない悠馬さんとの関係に対する苛立ちを、そのまま息子に向けることに決めていた。目の前の男には全く歯が立つ気がしない。私は威圧的な男に立ち向かえるような、そんな強い女じゃないのだ。あの傲慢な女と違って。


「……聞こえないようですね」


 男がそう、ポツリと呟いた。


「差支えなければ四時までお預かりして、送り届けますが」

「……えっ……」


 先ほどのバカにし切った態度が嘘のように、静かに事務的な言葉を掛けられて少し怯んでしまう。顔を上げると、相変わらずの無表情だ。不気味に思い、私はしぶしぶ頷いてしまった。


「……わかりました。よろしくお願いします」


 あくまで丁寧な口調を貫く男に、内心苛立ちつつも引き下がった。

 そうよ。航太郎の面倒を見なくていいなら―――いっそ、せいせいする。それに私には、これから考えなければならない事が山ほどあるのだ。







 家に戻った私は、思考を巡らせる。分からないことが沢山ある。それから、整理しなければならないことも、調べるべきことも。

 悠馬さんが、あの家にいない?

 なら、何処へ行ったというのだろう。私へ一言も連絡せずに。


―――ふと、思いついた。

 もしかして私が想像していたことが現実になったのでは……?


 離婚が成立して……若しくは離婚することが決まって。だからあの強面男が、代わりに満ちゃんの世話をしているのかもしれない。ひょっとして……あの男は、あの強欲妻の愛人か何かだろうか?


 悠馬さんと会えない間。私だってただ不安を持て余していた訳じゃない。これでもネットなどで、色々と調べて来たのだ。

 離婚後女性は六ヵ月を経過しないと、結婚できない。だから、あの妻と男は籍は入れてない。けれども、彼はまるでそこが自分の家であるかのように自由に振る舞っていた。彼女はきっと悠馬さんが去った後、あの男と結婚しようと考えているに違いない。


 悠馬さんはあっさり捨てられたのだ。

 あんなに尽くしていたのに……。


 いや、そもそもずっと―――あの女は悠馬さんに面倒な家事と育児を押し付けて、自分はあの男と楽しんでいたのかもしれない。悠馬さんは、騙されていたのね? なのにあの女とやり直すなどと、殊勝にも決意していたのだ。事実を知って、どんなに彼は傷ついたことだろう。私の夫と同じく、彼女もまた主夫を一段下の人間とみなす、不遜な人間だったのだ。


 私は二人の離婚を望んでいたことを一瞬忘れて、悠馬さんに同情した。自分があっさりと夫に籍を抜かれる所も、想像する。苦労を重ねた分、愛していない夫でも、いざ別れるとなると複雑な気分を抱いてしまう。


 しかし、こうして打ちひしがれている訳にはいかない。

 もし悠馬さんの離婚が事実であれば、私達に障害は無くなったも同然だ。私が夫と離婚するのは簡単だ。浮気の証拠を集めて、夫の目の前に突き付ければ良い。それが上手く行かなくても、訴訟を起こすとか……別居して一定の時間が経過すれば、離婚を認めないわけにはいかない筈。


 けれども何と言っても気になるのは、悠馬さんの行方だ。いったい悠馬さんは何処にいるのだろうか? 既に家族のような顔をして、強面男があの家に入り込んでいる。つまりはもう、そこに悠馬さんはいないと考えて良い。では何処に?


 そこで思いつく。

 私の夢として思い描いていた未来、それが現実になったのではないか? と言うことを。


 もしかして彼は。自分の生活基盤がちゃんと整ってから、私に連絡をしようと考えて今はあえてメールや電話に返事をしてくれないのではないだろうか? 『別れる』と言い切った手前、直ぐには連絡できないのかもしれない。それが、決して本心から来るものではないとしても。

 しかも何も持たずに放り出されたてしまったとしたら……あの真面目な彼なら、ありそうなことだ。


 今までの私は、待つだけの女だった。

 彼の気持ちが落ち着くのを。

 状況が許すのを。じっと、ひたすらに待つだけだった。


 けれども、弱い女の私だって。勇気をもって、一歩踏み出すことが出来たのだ。

 今度こそ、私が……私から、彼の元に飛び込まないと。


 しかし、あの強面男は口を割りそうもない。

 電話もメールも、届いていないかもしれない。ならば、どうする……? 私に、何が出来る?




 なら……あの女に直接聞くしかない。




 彼女はいかにもプライドが高そうだ。渋るかもしれない。

―――が、もう別れる相手だ。次の相手もいる事だし、悠馬さんの居場所を私に教えても、彼女にデメリットは無い筈なのだ。


 あの女と偶然ホテルで対面した時……あの瞬間は、高揚感でドキドキしていたので、特に怖いとは思わなかった。

 だけど冷静になってから、あの女がいつ家に怒鳴り込んで来るかとヒヤヒヤしていた。けれども全くと言って良いほど、いつも通りの日常を過ごしている。……すっかり、拍子抜けしたものだ。お蔭で夫や義母、両親に責められる事も無く、今はかろうじて平穏な生活を取り戻している。


 ただ、傍らに悠馬さんがいないだけだ。

 そのことが、私の視界から色を奪った……。心を躍らせることもない、つまらない色の無い世界に私は一人、取り残されている。


 あの女にとって、悠馬さんはそれほど大事な存在ではないのかもしれない。

 だから、私に何も言ってこないのでは? ならば、悠馬さんの居場所を聞き出すことは案外難しいことではないかもしれない。

 彼女がそうしてくれれば、穏便に全てが丸く収まるのだ。彼女にも新しい男がいるのだから、勿体ぶる必要はない筈だ。……しかしそう、上手くいくだろうか? プライドを傷つけた私達をすんなり幸せになどしたくないと、渋るかもしれない。




 けれども、私は諦めない。

 もう、私達の間には何も障害もないのだと、伝えたい。私は悠馬さんを……二度と一人にはしないと、彼の目の前で誓うのだ。


 悠馬さん、待っていて。

 早く会いたい。今度は私が、貴方を支えるから―――

次話、最終話となります。

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