87.9話 REC Track Final cream eyes
レコーディング5日目。
「The Catcher in the Route246とHello, Mr.Postmanの二曲、何て言うか、演奏に躍動感が足りない感じがするんですが……」
順調に歌録りを進めていた玲が、突然こんなことを言い出した。
もちろん演奏に妥協はしていない。昨日の玲のギターも含め、個々の演奏クオリティは満足のいく仕上がりになっている。だが、
「確かに玲の言う通りかも……そういう風に意識したからそう聴こえるだけ?」
「いや、気のせいちゃうよ。確かに違和感あるわ。なんやろなぁ。まとまりが無い、ってのともちゃう気がするけど」
「マジでなんだこの感じ!? すげーモヤッとする!」
「ああああ、何かすいませんすいません」
「躍動感が足りない」と言われて改めて聴いてみると、確かにそんな気がしてくるから不思議なものだ。しかもその原因がわからないという、モヤモヤ感が尋常ではない事態に陥ってしまった。
「ライブ感が足りないんじゃないかなぁ。試しに一発録りでやってみたら?」
そこへ、ベテランエンジニアの小林さんから鶴の一声。
「あ、それ良いかもしれないっすね!」
「あの、一発録りって何ですか?」
「その名の通り、全パートの演奏を一発で録音することだよ。普段スタジオやライブで演奏してる時みたいにね」
演奏の一発録りは、デモ音源を作成する時に用いられることが多い手法だ。全パートを一度に録音するので、時間を短縮できるというメリットがある。そのため、レコーディングスタジオを借りる時間も短く済むと言うコスト面のメリットも大きい。
その反面、各パートの細かいクオリティを突き詰めていこうとすると果てしなく時間がかかる。一人がミスをすれば全員がやり直さなければならない上に、曲の途中から録音を再開するパンチインという手法が使えないからだ。
だが、プロでも敢えて一発録りでレコーディングを行うバンドはいると聞く。個別録りでは出せないバンド全体のノリ、グルーヴ感やライブ感と呼ばれる物を重視するバンドだ。
「二曲ともアップテンポな曲だし、一発録りの方が間違いなく躍動感は出るよね」
「今日の残り時間は?」
「あと5時間や」
「それじゃあこの後2時間一発録りをやってみましょう。玲の歌録りもあるし」
「一発録り……プレッシャーがすごいですね……でも何かやれそうな気がします!」
「やってみてダメならまた別の方法を考えればいいんだよ。このまま何も試さずに妥協するのだけは無し!」
「やっべー何かテンション上がってきた!」
「勢いに任せて雑にならんようにな」
思いもよらず一発録りを敢行することになったわけだが、メンバー全員のモチベーションはここに来て最高潮に高まっていた。きっとこのレコーディングを通して、自分の成長を実感しているからだろう。
楽器のセッティングを終えると、琴さん以外は全員座らずに立っていた。
「何だか本当にライブをやるみたいですね」
「ライブ感を出すんだから、当然だろ?」
「玲ちゃん、勢い余って歌い出さないようにね。あくまでオケの一発録りだから」
「だ、大丈夫ですよ! そこまで馬鹿じゃありません! 多分」
「準備はええみたいやな。ほな、いこか」
そこで行われたその日限りのオフボーカルのライブは、まるで満員の観客を相手にしているかのような熱を帯びていった。誰も見ていやしないのに、頭を振ったり動き回ってみたり。レコーディングでは本来不要なアクションがてんこ盛りだ。
1時間後、録音された演奏を聴いてみると、ひとつひとつの音の正確さは当たり前のように個別録りに比べて劣っていた。
「で、どっちが良い?」
「え、それ聞く必要ある?」
「それじゃあせーので個別録りか一発録りか、どっちが良いか全員で言おうか」
それぞれがそれぞれのパートを煮詰めていったからこそ生まれるグルーヴがあることを知った。それは、俺たちにとって大きな自信になったと思う。
「せぇーのッ!」
全員の声と心が、その時一つに重なる。




