85話 旅支度
一人あたり2万円という超高級中華料理をゴチになってから一週間、燕の巣という食材を初めて口にした余韻に浸る暇もなく、目まぐるしく毎日が過ぎていった。
その面談の翌日、談話室に集まっていた俺たちの元に、マリッカから正式にツアーへの同行が許可されたと川島さんから連絡が入った。琴さんへは、マリッカのマシューからも個人的に連絡が届いたようだ。
「楽しみにしとる、なんていけしゃあしゃあと言いよってからに。ほんま腹立つわぁ」
言葉とは裏腹に、琴さんは何だか嬉しそうだった。
あまりの急展開にいまひとつ実感を持てていなかったが、これでマリッカとのツアーは現実となる。川島さんから送られてきたメッセージには、レコ発ツアーの詳細な日程と会場も併せて記されていた。
11月4日 (木)石川県 金沢NINE HOUSE
11月5日 (金)長野県 善光寺Cubic Club
11月7日 (日)秋田県 SWING-BY
11月11日 (木)高知県 高知サニーキャラバン
11月13日 (土)岡山県 LAZY DAD HALL
11月14日 (日)福岡県 天神Drum Lotas
11月18日 (木)静岡県 サウンズ・グッド
11月19日 (金)京都府 倶楽部・礎
11月20日 (土)大阪府 道頓堀Hack
11月23日 (火・祝)北海道 札幌ストロベリー・フィールズ
12月4日 (土)東京都 ZIPPER Tokyo
どこも500人以上のキャパシティを持つ会場で、中でもツアーファイナルのZIPPER Tokyoは2,000人以上の収容が可能な大型ライブハウスだ。もちろん、俺たちにとってこれまでの人生で最大のステージである。
この情報はまだどこにも発表されていない。そのため川島さんからのメッセージには、くれぐれも口外しないようにとの注意書きがされていた。
「すげぇ……本当に全国ツアーだ」
「会場名出されるとマジなんだって思うな」
「1、2、3、4……11箇所も回るんですね。行ったことない街がたくさんあるので楽しみです! あ、でもこの期間の学校はどうすれば良いんでしょう?」
「ツアー期間中は休むしかないやろなぁ」
「この前の必修出といて良かった……って、京太郎?」
京太郎の目はあちこちに泳ぎまわっていた。
「お前……」
「ん? あぁ、大丈夫大丈夫。あと2年ある」
「だから必修は出ておけとあれほど」
「だいじょぶだいじょぶ」
ハッキリ言って、まったく大丈夫ではない。京太郎は一年生のころから授業をサボりがちで、単位の取得状況が芳しくなかったからだ。
俺たちの通っている大学は、学部にもよるが4年間で大体120単位を取得しないと卒業ができない。真面目に授業に出ていれば年間40単位以上は取得できるので、四年生の頃にはほとんど授業に出る必要は無くなったりする。
だが、京太郎が一年生の時に取得した単位はわずか12単位である。ちなみに俺は36単位だった。京太郎が今年どうにか20単位程度取得したとしても、三~四年生の時にフルで単位を取得しなければ留年することになる。
必修授業はその他の授業に比べて出席日数が評価に直結しやすいため、バンド活動が本格化してきた今、ストレートで卒業するためには相当がんばらなくてはならないだろう。
「玲は出席状況は大丈夫?」
「皆勤賞です。あ、嘘でした。初ライブの次の日の午前中は休んじゃったんですよね」
「まぁ一回くらいなら」
「琴さんは?」
「ウチも問題あらへんよ」
3人の視線が京太郎に注がれる。
「だ、大丈夫だって! ツアーまではちゃんと授業出るし、終わった後もちゃんと出るから! あとテストはマジで本気出す。俺はやればできる子なんだ」
「やればできるって、割と誰にでも当てはまりますよね」
「辛辣ぅ!」
「京太郎、玲が一緒に卒業してくれるよ」
「いや、玲ちゃんの方が先に卒業するやろ」
「2留確定!?」
単位の取得については一旦置いておくとして、ツアーに出るにあたり、俺たちの前に横たわる問題は他にもある。
まず第一に、音源の現物が無い問題。
現状cream eyesの音源は、ネット上に公開されているフリー音源のみである。プロとして活動をスタートするマリッカと一緒にツアーを回る以上、手に取って購入できる音源は必須となるだろう。そうでなければ、とても対等とは言えないコバンザメになってしまう。
「川島さんと、あと斎藤さんにも言われたけど、やっぱりCDは作らなきゃだよね」
「せやなぁ。この前のライブで元手はできたし、今度はちゃんとエンジニアつけてレコーディングしよか。ツアー開始までは一ヶ月以上あるんやし、すぐに動き出せば何とか間に合うやろ」
「また姫ちゃんには頼めないでしょうか?」
「まぁ、あいつなら何だかんだでやってくれると思うけど」
「それも考えたんだけど、身内に頼るのはもうそれしか手段が無い! って時だけにしたいんだ。どうしても甘えちゃう部分が出る気がしてさ。前の時は時間も金も無かったけど、今回はそういうわけではないし」
京太郎の妹である姫子の能力を疑うわけではない。お願いすれば、きっとまた素晴らしいものを作ってくれるだろう。でも、それは何だか甘えているように思えてしまうのだ。
身内に頼むことは決して悪いことではない。使えるコネは使っていくべきだとも思う。だが姫子はプロとして活動しているわけじゃない。そこが、今回はどうしても引っ掛かった。
「俺らはリーダーの決断に従うよ。ですよね、琴さん」
「せやな」
「わかりました。うん、確かに朔さんの言う通りですね。姫子ちゃんには、今度は純粋に私たちの音楽を楽しんでもらいましょう!」
「みんなありがとう」
レコーディングスタジオについては既にいくつか目星をつけてある。どこを選ぶかはまたみんなで話し合うとしよう。だが、CDを作るにあたってはもうひとつ課題がある。
「アートワークはどうしようか」
アートワークとは、CDのジャケットや歌詞カードのデザインのことである。音源そのものはインターネット上で簡単にダウンロードできるようになった現代において、アートワークは音楽ファンがCDを手にする一番の理由と言っても過言でないだろう。
「写真にするか、イラストにするか、まずはそこが問題だな」
「誰かイラストレーターの知り合いなんている? どこに頼めばいいかもわかんねー」
「琴さんのバイト先で、カメラマンさんとか知り合いいませんか?」
「おらんこともないけど、写真やったらあの人に頼んでみたらええんちゃう?」
「あの人?」
「ほら、何て言うたっけ。SNSでうちらの写真を上げてくれた人おったやん」
「あー! takuさん!」
taku氏はcream eyesがネット上で話題になるきっかけとなった「奇跡の一枚」の撮影者だ。SNS上にアップされていた他の写真を見る限り、素人目でもカメラの腕前は確かだとわかる。
「takuさんがジャケ写を撮ってくれたら、それも話題になりそうですね」
「でも引き受けてくれるかな。そもそも、あの人普段何してるんだろ」
「たしか趣味でバンドの写真を撮っとる、言うてたなぁ。そこで言うと、朔のこだわり的にはオッケーなん?」
プロじゃないから姫子には頼らない。そう考えていた矢先に、腕が立つとはいえ素人であるtaku氏に依頼するのは確かに矛盾しているように思えた。
「うーん……」
とは言え、他にあてがあるわけではない。レコーディングスタジオについては自分も多少なり知識があるので、ネットにある情報などを頼りに良し悪しの判断ができる。だが、写真については何を基準に決めればよいのかわからないのだ。
「琴さんから見て、takuさんの写真はどうでした?」
cream eyesのメンバーの中で、一番カメラに縁があるのは読者モデルをやっている琴さんだろう。
「ウチもカメラについてはあんま詳しい訳ちゃうけど、雑誌のカメラマンの方がええと思うなら、今ここでtakuはんの名前は出さへんよ。上手い下手ももちろんあるけど、この人からはバンドとか音楽への情熱を感じるやん」
「音楽への情熱か……」
taku氏は趣味で写真を撮っていると言っていたが、SNS上に載せていた写真は全てライブハウスでバンドが演奏する姿だ。きっと、音楽の中でもバンドと言う形態にこだわりをもってくれているのだと思う。そして、自分が良いと思うものを発信したいという欲求もあるんだろう。
「takuさんは身内じゃねーし。ちゃんとギャラ払って、フリーのカメラマンとしてやってもらえば良いんじゃね? これに関しては音楽やバンドに興味の無い他の写真スタジオとかで撮ってもらうより、takuさんに撮ってもらった方が良いものができる気がするんだけど」
「そうだな。うん、確かにその通りだ」
「ほな、takuさんにオファーするのは決定っちゅーことで」
「すぐ連絡してみます!」
玲がSNS上でtaku氏にダイレクトメッセージを送ると、程なくして返信が届いた。
「素敵なお誘いありがとうございます! とても喜ばしいことなのですが、正直身にあまる大役です。本当に私なんかで良いのでしょうか?」
恐縮した様子のtaku氏に、玲はすぐさま返信する。
「身に余るなんてとんでもない! 私たちはぜひtakuさんに撮ってもらいたいのです。謙遜は日本人の美徳ですが、表現者は賦存な方がいいらしいですよ!」
その文面の言い回しには覚えがあった。
「玲、それって」
「えへへ、川島さんっぽく言ってみました」
「漢字、間違うとるで」
「え! 嘘!」
賦存。その言葉の意味を調べてみると、「天然資源が、利用の可否に関係なく、理論上算出されたある量として存在すること(出典:大辞林)」とある。
うん、何を言っているのかわからない。もちろん正しくは「不遜」である。
「恥ずかしい……」
誤変換はスマホ世代のあるあるだ。玲は顔を真っ赤にしていた。格好つけて送った文面が誤字っているというのは中々に恥ずかしい。
「どどどどうしましょう! 馬鹿なやつって思われたら断られちゃうかも!」
「ただの誤字だって向こうもわかるだろ」
「それより文面から滲み出るドヤ感の方が気になるんやけど」
「あわわわわわ」
「玲ちゃん、落ち着いて」
玲が顔面ドラムを打ち鳴らそうとしたその時、taku氏から返信が届いた。
「つまり、自然に培われた自分のセンスを過小評価するな、お前には実力があるぞ。ということですね。そんな風に言ってもらったのは初めてです! ありがとうございます。何だかヤル気が漲ってきました! そのオファー、ぜひやらせてください!」
「……」
ものすごい方向に深読みされて、何だか良いことを言った風になっている。
「ほ、ほら! やっぱりわかる人にはわかるんですよ!」
玲はクソダササムズアップを決めた。taku氏よ、あなたは本当にそれで良いのですか。
「まぁ結果オーライってことになるんかね」
「takuさんってちょっと変な人なのかな」
「でもこれで、CDについては目途が立った。あとは……」
俺たちの前に立ちはだかる第二の問題。これが最大のネックになる。
「ツアーを回る移動手段、どうしようか」
「それな。川島さんから、各地の宿泊費と交通費は支給されるってあったけど……」
単発のライブなら新幹線などでの移動も可能だろう。だが、ツアーとなれば話が違う。機材に加えて着替えなどの荷物が加わると、公共交通機関での移動はかなりの労力を要することになる。ただでさえ長時間の移動は大変なのに、ライブ前にあまり体力を消耗することは避けたいところだ。
「車の免許持ってる人~」
俺の呼びかけに応えるメンバーはいない。東京で暮らす俺たちにとって、今まで免許を必要とする機会など無かったのだ。
「たしかケンさんは免許持ってたよな」
「さすがに1ヶ月もドライバーとして拘束するわけにはいかないだろ……」
「免許取るのってどのくらい時間かかるんですか?」
「教習所に通うなら早くて1ヶ月。免許合宿なら2週間ってとこやね」
「それなら今から通えば何とか間に合いますね!」
「いや、これからレコーディングもあるし、マリッカと対等にライブするには練習だって相当やらなきゃダメだから、そこに時間は取れないよ」
「でも、それじゃあどうしたら……」
その時、談話室の引き戸が勢いよく開かれた。バァン! という派手な音に、中にいたサラダボウルの面々の視線が向けられる。
「話は聞かせてもらった!」
どこかで聞いたことのある台詞と共に入室してきたのはみはるんだった。一体、どこでどうやって話を聞いていたのか、それは知らない方が良いのかもしれない。




